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第四章
第12話
しおりを挟む結局それからはお互いのスケジュールが合わず、八朔とは会えずじまいのまま八月に突入した。連日の猛暑が続き、街中が蒸し焼きにされているかのような毎日だ。
俺も仕事に追われる日々で、日に日に疲れが蓄積していくのが分かる。撮影スタジオを出たときには零時を回っていて、また終電を逃してしまったので、今日もタクシーかとスマホを取り出したときだった。
「……え、影山さん?」
着信音とともに、スマホのディスプレイに映し出された名前を見て目を瞠る。ライン交換はしているが、電話がかかってきたのは初めてだ。しかもこんな時間に。
なぜか胸騒ぎがして、俺は慌てて電話に出る。
「影山さん? お疲れ様です」
話しかけるが応答がない。代わりに、苦しそうな息遣いと呻き声が聞こえてきて、俺はざっと血の気が引いた。
「影山さん!? 影山さんですよね!?」
「……にきくん……、ごめん……」
「どうしたんですか! 大丈夫ですか!?」
影山さんは消え入りそうな声で、何度も「ごめん」と繰り返すばかりだ。尋常じゃない事態に俺は焦る。
「どこにいるんですか? 俺、すぐに行きます!」
影山さんはしばし逡巡している様子だったが、ようやく山手線の駅名を教えてくれた。どうやらその駅の近くにいるらしい。
一人で来てほしいと彼が言うので、俺はマネージャーにも誰にも告げず、急いで駅までタクシーで向かった。
駅名から察しはついていたが、目的地はやはりクラブやバーが建ち並ぶ繁華街で、深夜でも人通りはかなり多かった。若者や外国人の姿も見える。遠くから誰かの怒鳴り声や、パトカーのサイレンの音が聞こえてくる。物騒で騒々しいが東京ではよく見る光景だ。
電話で話しながら捜索すると、影山さんは大通りから数本裏手にある、人気の少ない路地裏にいた。歩道の小さなガードレールに腰を下ろして、力なく項垂れている。
「影山さん!」
俺は急いで駆け寄って、その顔を覗き込んだ。
「……仁木くん……」
顔を上げて、虚ろな目で俺を見る。服は汚れていて、右目の辺りが痛々しく腫れあがっていた。
「殴られたんですか……!?」
「ごめん、仁木くん、迷惑かけて……」
「いいから、こっちに!」
俺は影山さんを連れて、さらに人がいない空き地のようなところに場所を移した。近くに自販機があったので、急いで水を買ってくる。
「飲んでください」
「……ありがとう……」
石のブロックに腰掛けた影山さんはそう呟いて、一口二口と水を飲んだ。俺はペットボトルを受け取って、残りの水で持っていたハンカチを濡らす。
「目に当てて下さい。病院に行かないと……」
「大丈夫だよ、ちゃんと見えてる」
「一体、何があったんですか。どうしてこんな……」
俺は緊張と不安で、声が震えるのを止められなかった。あの穏やかで物静かな影山さんが、こんな場所で怪我をしているなんて信じられない。
「ちゃんと説明してください」
俺が真剣に問い質すと、影山さんは力なく俯いた。
「女性問題で、ちょっとトラブったんだ……。知り合った女の子に彼氏がいたらしくて、偶然鉢合わせてしまって……」
と、そこまで説明して、影山さんはじっと無言になる。何かに迷っているように視線が揺らぎ、重い溜息を吐いた。
「ごめん。君をここまで呼び出しておいて、まだ誤魔化そうなんて往生際が悪いよな。仁木くんも、ドラマのスタッフさんから俺の様子が変だって聞いたんだろう? 俺は――――クスリをやってる」
「――――‼」
想像だにしていなかった告白に、俺は瞠目して息を呑む。
「クスリ……?」
「大麻だよ」
「そんな……」
俺は呆然と立ち尽くすしかない。
確かに、ヘアメイクさんが影山さんの様子がおかしいと心配していた。現に俺も、彼らしからぬ高笑いを聞いて驚いたのだ。大麻を乱用すると幻覚や妄想が現れたり、酒に酔ったようにテンションが急に変わると聞いたことがある。
だけど、まさか影山さんが大麻を使用しているなんて、考えも及ばなかったのだ。
「嘘ですよね……影山さん」
「本当なんだ」
「何で……っ」
俺は思わず影山さんの両肩を掴み、強く揺さぶっていた。
「どうして、そんなこと……!」
声が詰まって、上手く喋れない。影山さんの肩に食い込ませた指がブルブルと震える。
芸能界で薬物が横行しているという現実は今に始まったことではない。いつ自分の元にも薬物の闇が迫ってきてもおかしくないため、事務所からもコンプライアンスを徹底されている。
違法薬物で捕まれば、芸能生命が絶たれてしまうことぐらい、影山さんが理解できないはずはないのに。
「〝S be mine〟」
「え――――」
「覚えているかい? 新田くんが紹介してくれた店の名前だよ」
ドキリとして、俺は影山さんの肩から手を離した。
ドラマスタッフが集まった親睦会で、新田くんが教えてくれたクラブの名前だ。確か、ワイングラスの中に小さなクローバーが浮いているショップカードを持っていた。
「まさか、新田くんが関わっているんですか?」
呆然として尋ねると、影山さんは小さく頷いた。
「初めて彼に連れられて店に行ったのは、もう半年以上前だ。そのときも、お酒が美味い店だから一緒に行こうって誘われた。そこが、クスリの取引に使用されているクラブだとは知らなかったんだ」
影山さんは、血の気の失せた白い顔を苦しげに歪ませる。
「そこで知り合った女性とホテルに行って……俺は大麻に手を出してしまった。かなり酔っていたし、当時仕事についても悩んでいたから、心の弱さが出たんだろうな。きっと彼女は俺が芸能人だと知っていて近づいてきたんだ。俺は世間にバラされるのが怖くて、何度も彼女の誘いに乗ってしまった」
「影山さん……」
何と答えていいのか分からない。影山さんが仕事に悩んでいたなんて知らなかった。
当たり前だ。彼は俺なんかにそんな悩みを打ち明ける人じゃない。いつも周りに気を遣って、余計な心配をかけまいとする人だ。
俺は影山さんを尊敬していたし、仕事について熱く語り合ったこともある。だけど、悩みや本音を打ち明けてもらえるほどの関係じゃなかった。俺だって、八朔に出会うまで、当たり障りない関係を築くことが楽だと思っていたんだから。
だから、余計に、影山さんを責められない。誘惑や魔の手はそこら中に潜んでいて、少しでも心に隙を作ると一瞬で付け込まれる。俺たちがいる世界はそれほど危うい場所なんだと思い知らされた気がした。
「今まで誰にも言えずに、逃げてばかりいた。君やスタッフや、たくさんの仲間を裏切る行為だと分かっていたのに、こんな事態になるまで止められなかったんだ。自分が情けないよ」
影山さんは両手の拳をぐっと握り込み、顔を上げて真っ直ぐに俺を見た。
「俺、事務所に話すよ。この顔じゃ撮影はできないし、もう嘘はつけない。まだドラマは放送されてないから、代役を立ててもらえれば何とかなる」
「そんな……!」
「事務所もクビになるだろうな。だけど仕方ない。全部自分が招いた結果だ」
まるで覚悟を決めたように、影山さんの目にはもう迷いがなかった。そしてもう一度、俺に頭を下げる。
「君を呼び出すべきじゃなかったけれど、あとから事務所伝いで耳に入るよりも、直接謝りたいと思ったんだ。本当にすまない。最後に君と芝居ができて良かったよ」
「……もう、二度と一緒にできないんですか……?」
「……分からない。世間はそう甘くないからね。それだけのことをしたと思ってるよ」
俺はぐっと言葉に詰まる。悔しくて、悲しくて、彼を責める気持ちも、同情する気持ちも両方あった。だけど起きてしまった現実を無かったことになんてできないと、俺も影山さんも理解していた。
「もう一つ……君を呼んだのには理由があるんだ」
石のブロックから立ち上がった影山さんは、意を決したように俺を見る。
「あの店で、八朔くんを見た」
「え……?」
頭をガツンと殴られたような衝撃がきた。あまりのことに、俺は「まさか」と半笑いになる。
「八朔が……? ありえない」
力なく首を振るが、影山さんは真剣な顔つきだ。
「つい先日だよ。彼は俺に気づいていなかったし、あの店がそういう店だと知っているかは分からない。ただ単に酒を飲みに来ただけかもしれない。だけど――――」
「八朔は違う! あいつはクスリなんかやらない! そんなやつじゃ……っ」
俺は思わず叫んでしまい、それが影山さんを遠回しに非難してしまったことに気づいた。彼は自分を嘲笑うように顔を歪め、俺に頷き返す。
「分かってる。八朔くんは俺とは違う。俺のように道を踏み外すような、やわな男じゃないと思ってるよ。俺は彼のことを何も知らないけれど、君たち二人を見て思ったんだ。君たちはお互い支え合って高みを目指している。だからきっと、彼は君を裏切るような真似はしないって」
俺が必死で何度も頷くと、影山さんは俺の肩に手を置いて、安心させるように撫でてくれた。
「大丈夫だよ。君は八朔くんを信じるだけでいい。……だけど、彼を見たのも事実だ。何か事情があるのかもしれない。それだけ伝えておきたかったんだ」
影山さんは優しく微笑み、「……帰ろうか」と呟いて、ゆっくりと歩き出した。俺はその背中をぼんやりと見つめる。
影山さんにはああ言ったけど、足の震えが止まらなかった。
親睦会で、あのショップカードを見たときの八朔は様子がおかしかった。あれからずっと、やけに新田くんを気にしているのも不自然だ。胸の底で燻っていたモヤモヤが、一気に噴き出してきたような気がした。
どうしてこんなことになってしまったんだ。もう影山さんと一緒に芝居はできない。その原因の発端に新田くんが関わっている。そのうえ、八朔まで――――。
不安と恐怖に苛まれる。足元の土台がぐらぐらと揺れて、そこから奈落へと転げ落ちてしまいそうだった。
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