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第一章

第4話

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 一人暮らしには十分な1LDKの間取りだが、築五十年も経っている家なのでそれなりに古く見える。まだ行ったことはないけれど、八朔はタワーマンションに住んでいるらしいので、きっと貧相に見えているに違いない。
 居間にはテレビとローテーブルと、俺の定位置であるローソファーが置いてあるくらいだ。

「お前、メシは? もう食べたのか?」
「飛行機の中で食べたよ」
「そっか。じゃあ茶でも入れるよ」

 八朔はローソファーに腰を下ろして、興味深そうに室内を見回している。奥の寝室には寝間着や洗濯物を放りっぱなしにしているが、居間はさほど散らかしていなくて助かった。
 お互いの住所は教え合っていたが、まさかいきなりお宅訪問されるとは思ってもみなかったので、まあ今回は大目に見て欲しい。

 それにしても、あの超人気俳優の八朔レオが、俺の部屋にいること自体が不思議に思えた。長い足で窮屈そうに胡坐をかいているが、思わず見惚れてしまいそうなほどの男前さと色気は健在だ。

 相変わらず色白で、フランスでのモデル業中に染め直したのか、髪はグレーがかっている。まるでファンタジーの世界からイケメン騎士が召喚されたみたいで、畳敷きの和室とのアンバランスさが半端ない。

 何となく可笑しくて、冷たい緑茶をグラスに注ぎながら、俺が含み笑いしていると、

「ねえ仁木、大丈夫なの、こんなボロ家に住んで」

 と、直球で不躾なことを言ってきた。
 やっぱりそう思ったか。だけど、心優しい大家さんに失礼だぞ、八朔。

「ボロい言うな」

 俺がすかさず言い返すと、

「地震が来たらアウトだし、セキュリティもまったく無い。何かあったらどうするの」

 とさらに畳みかけてくる。

 まさに、仰るとおりなんだけど。だからといって、いま生活に特段困っているわけでもないんだよな。
 俺は八朔に背を向けたまま、なんと答えようか頭を捻る。

「その……なんだ。お前と違って俺はまだ駆け出しなんだよ。贅沢はできるだけしたくない。俺は慎重派で、堅実な男なんだ」
「命には代えられないだろ」

 もっともなことを即答されて、俺は肩を竦めた。とりあえず二人分の緑茶を用意して、八朔の待つテーブルへと置く。

「まあ、今のところ大丈夫だよ。そんな危険な目には遭ってない」
「何かあったらすぐに俺を呼んで。駆けつけるから」
「バーカ。いま日本一忙しそうな男が何言ってんだ。そんなの無理に決まってんだろ」
「俺は本気だよ」

 冗談めかして返した俺に、八朔はことのほか真剣な顔つきになって言った。俺が指名手配犯に誘拐されたときに、助けに来てくれたときと同じ顔をしている。俺に何かあったらどうしようって、不安と恐れが入り混じったような目だ。
 俺は何だか申し訳なくなって、八朔の目を見つめ返した。

「……分かったよ。何かあったら連絡する。約束するから」
「うん」

 嬉しそうに頷く八朔の隣に腰を下ろして、二人して緑茶をゴクゴク飲んだ。蒸し暑い中、俺の帰りをどのくらい待っていたんだろう。ほとんど汗をかかず涼しい顔をしているが、やっぱり喉は乾いていたらしい。俺がラインに気づいてさっさと帰ってきていればと、なおさら後悔する。

 不意に八朔が、テレビ台の端に置いてある写真を手に取った。まだ赤ん坊の俺と、若かりし頃の父親が写った写真だ。

「この子供、あんた?」
「そうだよ。あんまりジロジロ見るなよな、恥ずかしいから」
「かわいい」

 真面目な顔をして呟くので、少しこそばゆくなる。そういえば、八朔と家族の話をしたことがあったっけ?

「それ、俺の親父。若いとき、役者を少しかじったこともあったらしい。俺が俳優目指したのは親父がきっかけなんだよ」

 八朔が僅かに微笑んで、嬉しそうに頷く。

「じゃあ、あんたと出会えたのも親父さんのお陰だね。感謝しないと」
「俺が五歳のときに死んだけどな。母親と、あと妹がいるけど、離婚して子供と一緒に実家に帰ってきてるよ。お前は?」
「え?」

 写真から視線を外した八朔が、目をしばたく。

「そういえば、お前の家族の話も聞いたことないよな。兄弟とかいるのか?」

 教えて、と俺が促すと、八朔はなぜか居心地悪そうに身じろいで、ぽつりと言った。

「……母親は俺が物心つく前に死んだ」
「そっか。お前の母さんも、もういないのか……」
「あと兄貴がいるよ……二人」

 暗くなりそうな雰囲気だったが、意外な事実に俺は「えっ」と身を乗り出した。

「兄貴が二人? お前に似たカッコいい奴が二人もいるのか!」

 興味津々で尋ねたが、八朔は微妙に俺から視線を逸らす。

「……さあ。似てるかどうかは分からないけど」
「……?」

 あまり話したがらない八朔に、家庭環境が複雑なのかな、と憶測してしまう。まあそれぞれの事情もあるだろうし、話したくないなら無理に聞き出す必要もない。そのうち少しずつ知っていくこともあるだろう。

「――――そんなことより」

 八朔が話を切り上げて、俺の手の中のグラスをひょいと奪った。まだ飲みかけなのに、と文句を言おうとした矢先、いきなり両肩を掴まれる。

「久々に会ったんだから、もっと別のことがしたいんだけど」

 そう言って体重をかけてきて、俺をソファーの上にボスンっと押し倒した。いきなり視界が反転して、俺は動揺する。

「おい……ッ」

 天井を背景に、八朔の怖いくらいに整った顔が俺をじっと見下ろしてきた。

「離れてた三ヶ月のあいだ、少しは俺を思い出してくれた?」
「な、何だよ急に……」
「俺はあんたに会いたくてたまらなかったのに、あんたはそうでもなさそうだね」
「はあ……?」

 若干責めるような八朔の物言いに、俺は眉根を寄せる。

 そんなことないぞ。今の今まで、お前のことを考えながら帰ってきたんだぞ。

 そう反論しようと思ったが、八朔の表情がやけに切なげで、だいぶ余裕がなかったことが窺えた。それに比べたら、俺が八朔を想っていた時間が、もしかしたらちっぽけだったのかもしれないと言いにくくなる。

 八朔は俺の手を取ると、自分の指を絡めながら、愛おしそうに手の甲にキスをした。湿った唇の感触に、ドクドクと心臓が騒ぎ始める。

「フランスにいるあいだ、病院でのあんたを思い出しながら、何度も抜いたんだけど」

 真面目な顔をして、とんでもないことを言い出した八朔に、俺は唖然とする。一瞬で頬が燃えるみたいに熱くなった。

「お前な……!」
「でも虚しくなった。まだ本番してないから、結局は想像でしかない」

 八朔の勝手な妄想の中の俺が、どんな淫らな行為をされているのかと思うといたたまれない。

 それに、変に期待されるのも嫌だ。もしかしたら、女の子みたいに可愛く乱れるんじゃないか、とかさ。俺は男だから、そんなの求められても無理だ。男となんて初めてだから、上手く出来ないかもしれないし。

 もじもじする俺に、八朔が強い口調で言い切った。

「想像よりも現実が欲しいんだよ、俺は」
「!」

 まるで肉食獣のように、八朔の眼差しが強く光る。大きな掌が俺の脇腹の辺りを探り、躊躇いもなく服の中へと侵入してきた。

「わっわっ」

 胸をさわさわと撫でられて、俺は慌てて服の上からその手を掴んだ。いやらしい動きを何とか封じ込めて、「ちょっと待ってくれ」とお願いする。

「どうして止めるの。……俺に触られるのが嫌?」

 八朔が傷ついたような顔をする。俺は急いで首を振った。

「ち、違う、お前に触られるのは全然嫌じゃないよ。病院で触りっこしたのも、すごく気持ちよかったし……」
「じゃあ、なに」
「う」

 俺はもごもごと口ごもる。だけど八朔の有無を言わさぬ目が、口を割るよう迫ってくるので、俺は仕方なく小声で漏らした。

「……俺、男と、ほ、本番したことないからさ……」

 いささかビビっているんです、という本音は何とか呑み込んだ。童貞でもない俺が、こんなに照れることを口にしなければならないとは。生娘ぶってごめんなさいと謝りたいくらいだ。

 八朔は一瞬黙り込み、なぜか真顔になる。

「知ってるよ、そんなこと。むしろ経験があったら、俺は相手を殺すかもしれない」
「こ、怖いこと言うなよ」
「大丈夫だよ、安心して。俺も男を抱くのは初めてだけど、前世で散々あんたを抱いたからね。もう何度も夢で見たし、やり方は熟知してる」
「そ、そうだったな……」

 俺は、ハハハと苦しまぎれに笑う。

 八朔の見る前世の夢はかなりリアルで、どちらが現実か分からなくなるほどだと言っていた。
 八朔曰く、こいつの前世である「三郎さぶろう」という男と、その恋人で坊さんだという「にしき」は、何度も何度も逢瀬を重ねたらしい。

「その様子だと、あんたはまだ何も思い出してないんだね。ちょっと複雑だよ。俺と三郎が想うほどには、あんたと錦は、俺たちを想ってないってことなのかな」
「そ、そんなこと……!」

 そんなことは絶対にない、と言い切れない自分が不甲斐ない。
 八朔にはまだ内緒にしているけれど、俺もたった一日だけ、俺の前世だという錦の夢を見たことがある。だけど、あのときは指名手配犯に頭を殴られたり、吹雪の中をバイクで疾走したりと、決まって意識が朦朧としているときだった。

 それから三ヶ月ほど経つが、あれ以来、一度も夢に見ていないのだ。自分の前世が本当に錦だったのか、次第に自信が無くなってくる。八朔のように確信をもって彼の気持ちを語るのは、おこがましいのではないかとさえ思うのだ。

「……悪い」

 八朔の望む答えを言ってやれなくて、俺はそう口にするしかない。ばつが悪そうな顔をした八朔は、俺の頬をそろりと撫でた。

「――――嘘だよ、ごめん。少し意地悪したくなっただけ。あんたを困らせたいわけじゃないんだ」

 気を遣ってくれる八朔に俺も申し訳なくなって、何かこいつを喜ばせることはないかと思案し、ふと思いつく。

「今日さ、俺、占い番組に出たんだ」
「占い?」
「そう。『今からあなたを占います』っていう有名な番組」
「知らない。占いなんてそんな胡散臭えの、あんた信じてるの」

 眉根を寄せて毒づく八朔に、俺は苦笑する。
 お前の信じている「前世」だって、大多数の人間は「胡散臭い」って言うんだぞ。そうツッコもうかと思ったけど、今はこいつを喜ばせたいだけなので、黙って続ける。

「その占い師さんが言うにはさ、俺は半年前くらいに、運命の人に出会ったらしい。そいつは年下で、前世から深い縁があるんだってさ」
「――――間違いない。その人は本物だ」
「アハハ! 早いな!」

 即座に前言撤回した八朔に、俺は今度こそ笑ってツッコミを入れた。
 八朔は占いを信じたわけではなく、自分自身の前世の記憶に全幅の信頼を置いているんだろう。だからこその発言なわけで、何だか格好良く見えてしまう。

「でも、当たってるから凄いよな。俺たちの前世がどんな人生だったのかも見えてんのかな? 俺にも教えてほしいくらいだ」

 俺よりも、あの占い師の方が知っていることが多いなんて、スピリチュアルな能力が羨ましい。俺がそう零すと、八朔は静かに首を振った。

「それほどいいものじゃないよ。俺たちは死別したからね。それに、他の誰にも、俺とあんたの前世の記憶を見られたくない。それは俺たちだけのものだから」

 確かに、悲しい記憶を思い出すのはちょっと怖いし、他人に前世を覗かれる感覚もさほど気持ちいいもんでもない。冷静な八朔の言葉に妙に納得して、俺は小さく笑った。

「……それもそうだな」
「それに、大切なのは今の俺たちだって言ってくれたよね」
「!」

 俺が見上げると、八朔の真剣な眼差しがすぐ近くにあった。俺の心を捉えて離さない、熱の籠った目だ。

「夢の中で、錦を抱いているのは俺じゃなくて三郎だよ。そして……今のあんたを抱いていいのは俺だけだ」
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