甲賀忍者、甲子園へ行く【地方予選編】

山城木緑

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いざ初戦。甲賀者、参る。

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 まだ、転がすことしかできない。

 打つことができれば、この超前進守備の包囲網をくぐれるのかもしれない。だが、今はまだ、無理だ。

 要はかけっこだ。必ずバットには当てる。当ててからのよーい、どん。今までで一番速く、駆け抜ける。それだけ、念じるように思いながら、犬走は打席に入った。

 初球。

 犬走が走りながらバットを出すが、わざとボールに当てるのをやめた。

 ストライク!

 もう3人の野手が目の前にいた。……こんなにも前に来るのか。額に汗が滴る。目の前で捕球されたら、あとはボールとの勝負だ。だが、さすがにボールより速くは走れない。

 ……どうする?

 汗を拭う。ふと、父の言葉が頭に浮かんだ。あの、シン、ヒョウ、セイを30秒引き離した次の日のことだ。あの時はシンたちと引き離されたことで、一切耳に入らなかった。

 父は言った。

『和巳……辛いだろうが、これでお前も〈風犬(かざいぬ)〉を使える筋力がついたということだ』

 確かに父はそう言った。……思い出せ。父はあの時、何と語った。

 大きく息を吐く。そうだ、確かに父は犬走家の奥義を語った。思い出さなければ。その奥義を使わなければ。

 今、その時だ。


 ───あの日、何も語らず、何も口にしない犬走に、父は構わず語った。

「聞きたくなければ聞かずとも良い。そのままふてくされても良い。耳の片隅で覚えておけ。……和巳、人間の筋肉は弛緩と収縮を繰り返す。ゆっくり弛緩し、ゆっくり収縮する。だが、この弛緩から収縮までの長さを短くすることで、そこに瞬発力という力が加わる。これを繰り返す走法こそ、風犬。筋肉がちぎれる可能性もある。だが、その走りは光の如し。心落ち着けば、またいずれ、聞きに来るがよい」

 打席を外して、犬走はその言葉を思い出していた。

 弛緩……収縮……短く。どういうことだ。どうすれば良い?

「君、長いよ。打席に入りなさい」

 審判が長く間合いを取った犬走を注意する。ヘルメットを一旦脱ぎ、審判と投手に頭を下げ、犬走は再び打席に入った。

「弛緩と収縮を短く……弛緩と収縮を短く……」

 打席で、ずっとそう呟いていた。

 弛緩と収縮を縮めるとは、脚を曲げて伸ばす動作を早くすることだろうか。いや、それはないのではないか。速く走るということは、すなわち脚を速く回すこと、曲げて伸ばす動作を早くしていることと同じだ。それはシンたちと走る中で充分身につけてきた。そうではない。風犬とは、おそらく根本的に走り方が違うのだ。

 ストライクッ!

 考えに耽る間にツーストライクを奪われる。審判に怪訝な目を向けられながら、また打席を外してスタンドを見つめた。

 スタンドでは、暇を持て余した子供が車の玩具で遊んでいた。その時、天が犬走に味方したか、閑散としたスタンドに子供の声が響き渡った。

「ママー、もっと大きい車が欲しい」

 大きい車……。大きなタイヤ……。

 半径が大きなタイヤはパワーはあるが、動きは遅い。小さな半径ならば、動きは早い。脚を伸ばさずに、小さな半径のまま脚を回転させ続けたら……どうだ?

「君、いい加減にしなさい。打席に入りなさい」

 審判がたまらず一喝した。

「……すみません、もう大丈夫です」

 犬走はまたヘルメットを脱ぎ、深く詫びた。風犬……おそらく、理論上間違っていない。

 やってみるしか、ない。
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