上 下
127 / 160
いざ初戦。甲賀者、参る。

21

しおりを挟む
「審判どの。選手の交代を言いますぞ」

 ゆっくりと白烏がファウルゾーンからフェアゾーンへ線を跨ごうとした時、その声は聞こえてきた。

「三塁手の蛇沼くんを投手にしますぞ」

「……………………へ?」

「……………………へ?」

 白烏と蛇沼が同時に声を出した。

「面倒じゃろうし、滝音くんはそのまま三塁手で結構」

「……………………へ?」

 滝音も声を出す。副島はレフトから声も出せない。

 橋じい劇場は味方すら混乱の渦中に誘う。敵の遠江姉妹社はそれどころではない。

「おいっ、あのサードの投手データはあるのか?」

「いえ、無いです。ていうか、そもそも甲賀のデータはほとんどないです」

「そうか、そうやわな」

 遠江姉妹社は怖がっていた。不安いっぱいでマウンドに登る蛇沼を見て。

「滝音くん、僕、どうすればいいの?」

 蛇沼が目に涙を溜めて滝音に訊ねた。

「俺も分かんない。でも、たぶんだけど、蛇沼の別の顔をしたとき。あれなんだと思う」

「……分かった。やってみるよ」

 ファウルゾーンの片隅で白烏が小さな泡を吹いて直立不動でいる。背番号1は蛇沼よりも信頼がない。それは白烏の心を完全に砕いた。

「白烏くーん、そこじゃまー」

 虚しく桔梗の声が白烏の鼓膜に響いていた。

 蛇沼は手で顔を覆った。

 あの憎らしき日々を思い浮かべる。ひねくれざるを得ず、誰も友達がいなかった時を。手を顔から離すと、蛇沼の愛らしい顔はすっかり変わっていた。口角が鋭く上がり、目も吊り上がっている。

 な、なんだ? 打者はその変わりように怯えた。

 蛇剣を持つ要領だ。蛇沼は握ったボールを見て、思った。こんなに綺麗に握っちゃダメだ。そう感じて、適当に握り直す。全部の指でボールを握り、爪を立てる。初めてボールに触れた赤ちゃんが握るように、めちゃくちゃな握りかたをした。

 蛇沼が道河原に向かうが、道河原は敢えて首を振った。サインは出さない。そんな合図だ。それを見て、蛇沼は細い舌でペロリと唇を舐めた。屈強な道河原でさえ、その姿を見て身震いする。人とはここまで変われるものなのか。

 蛇沼がとても投手には思えない投げ方で初球を投げる。ボールは打者に向かっていく。球速は遅いが、慌てて打者はボールを避けた。

 だが、そのボールは途中でゆらりゆらりと揺れ始めた。ボールは信じられない軌道で大きく揺れながら曲がり、すぽりと道河原のミットに収まったのだ。蛇沼は何も意識していないが、いわゆるナックルという球種だ。

 ス、ストライッ!

 それが、本当にたまたまストライクゾーンへ入っていった。これはただのラッキーだが、初球でこの球を見せたことが大きかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

保健室の秘密...

とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。 吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。 吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。 僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。 そんな吉田さんには、ある噂があった。 「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」 それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

後悔と快感の中で

なつき
エッセイ・ノンフィクション
後悔してる私 快感に溺れてしまってる私 なつきの体験談かも知れないです もしもあの人達がこれを読んだらどうしよう もっと後悔して もっと溺れてしまうかも ※感想を聞かせてもらえたらうれしいです

10のベッドシーン【R18】

日下奈緒
恋愛
男女の数だけベッドシーンがある。 この短編集は、ベッドシーンだけ切り取ったラブストーリーです。

今日の授業は保健体育

にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり) 僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。 その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。 ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。

体育教師に目を付けられ、理不尽な体罰を受ける女の子

恩知らずなわんこ
現代文学
入学したばかりの女の子が体育の先生から理不尽な体罰をされてしまうお話です。

人違いで同級生の女子にカンチョーしちゃった男の子の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

処理中です...