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117「傷薬に潤滑を足せば」
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「先生、ほら見て! 虹が出ましたよ」
風呂から上がったエイダールに、ユランが虹を見せてくる。
「お、いい精度みたいだな、虹の色が濃いし」
百点満点でいえば八十点くらいの出来である。
「頑張りました。というか、これ危険ですよ」
「危険?」
エイダールは怪訝そうな顔になる。そこに実際に虹が出ている訳ではないし、仮に出ていても虹である。危険はない。
「七色出るまでは絶対やるぞって気持ちになるし、七色が安定したら、もうちょっと濃くもうちょっと大きくって、際限なくて。ついつい十枚以上書いちゃいました」
予想外にやる気が起こってしまったらしい。
「カイくんもやる気出してくれるといいな……じゃあ動作確認は完了ってことで、明日警備隊に持って行って、カイくんに渡してくれ」
「了解しました。あ、僕、明日の仕事は夕方からって言いましたっけ?」
ユランは勤務予定の変更を告げる。
「聞いてないな」
「急に変更になったんです。明日の夕方から夜勤、明後日は日勤で、戻るのは明後日の夕方になります」
普段は、日勤からの夜勤、翌日休みという流れなのだが、今回は夜勤から始まる。
「分かった。じゃあ明日の朝はゆっくりでいいんだな。だからって、あんまり夜更かしするなよ」
出勤日に起きてくるのが遅いと起こしに行くのだが、明日はユランが寝こけていても放っておいていいということである。
「特に夜更かしの予定はないですよ。朝ちゃんと起きないと先生に会い損ねちゃうじゃないですか」
明日の朝に会い損ねると、今夜会ったきり、明後日の夜まで顔を合わせないことになってしまう。
「一緒に住んでるんだからそれくらいのすれ違いどうってことないだろ……」
他でどうとでも補填できる気がするエイダールだが。
「一緒に住んでるのに会えないなんて納得がいきませんよ」
ユランの意見は違うようだ。
「まあ、何時に起きたっていいけどな。お前も風呂入って来いよ」
「はーい」
夜更かしするしないはともかく、寝る準備を整えておけと、エイダールはユランを風呂場へ追い遣った。
「お風呂上がりましたー」
風呂上がりのユランが髪を拭きながら居間に戻ると、エイダールが、壁に作りつけられた棚から香油の瓶を手に取ったところだった。
「香油ですか? どうしたんですか先生、お手入れする気になったんですか」
入学式前に一度使うのを見たきりなので、ユランは少し驚く。あの時ですら、サルバトーリ家の侍女たちの押しに負けただけで、決して自主的ではなかったのに。
「いや、ちょっと粘度が気になって」
エイダールは、香油を数滴手のひらに垂らして、指でくるくると混ぜる。
「割とさらっとしてるんだよなあ、匂いはいいけど……やっぱり、専用のを準備しておくべきか」
悩ましいな、と首を捻る。
「何の専用ですか? 髪にでも塗り込むんですか?」
髪質の所為か、ぼさぼさになりがちなエイダールの頭に目を遣り、ユランは問う。
「違う違う、潤滑剤として使う奴だよ。いざ事に及ぼうって時にないと困るだろ、俺は痛いのやだぞ」
準備不足で無駄に痛い目には遭いたくないエイダールである。
「潤滑剤? 事に及ぶ?」
ユランは口をぱくぱくとさせる。
「うーん、滑りがよくなればいいんだから、香油にこだわる必要はないんだよな。成分的には傷薬のほうがいいかもしれないな。殺菌、消毒、鎮痛、消炎、どれもあって困るものじゃないし、ここに潤滑を足せば」
完璧な気がする、とエイダールは独り言ちる。
「先生、そのようなことをなさる御予定がおありなのでしょうか?」
気が動転しているのか、無駄に尊敬語を駆使するユラン。
「今のところ予定はないが、お前の告白を受け入れて付き合うとなった場合、そういうのも込みなんだろ?」
エイダールはそのつもりで、答えを出そうと思っている。
「それはそうですけど……そうだといいな、とは思います、けど」
ユランは言い淀む。確かに身も心も繋がりたいが、絶対条件ではない。
「込みなら付き合えないって振られるより、無しでも付き合ってもらえる方が」
もちろん理想は込みで付き合ってもらえることだが。
「というか、僕、期待してもいいんですか?」
体を重ねることまで想定してくれているということは、そういうことではないのだろうか。
「さあな。俺がユランを好きなのは間違いないが、それがお前の気持ちと重なるものとも思えない。家族枠っていうのが一番しっくりくるんだがな」
恋愛よりも、親愛の方向に明らかに傾いている。
「家族、ですか」
ユランの声が沈む。分かっていたが弟枠は強固であり、壊すのは難しそうだ。
「ただ、実の家族でも許容できないことが、ユランにならまあいいかって思うこともあるんだよな」
たとえば、過度な身体的接触とか。
「普通なら首筋かがれるとか気持ち悪いのに、ユラン相手だと平気なんだよな。いっそ一回やってみるのもありかと思ってる」
頭で考えても分からないなら、体に聞いてみるのも一つの手である。
「何を言ってるんですか、だめですよ。もっと御自分を大切にしてください……!」
とんでもないことを言われたユランの声が引っ繰り返った。
風呂から上がったエイダールに、ユランが虹を見せてくる。
「お、いい精度みたいだな、虹の色が濃いし」
百点満点でいえば八十点くらいの出来である。
「頑張りました。というか、これ危険ですよ」
「危険?」
エイダールは怪訝そうな顔になる。そこに実際に虹が出ている訳ではないし、仮に出ていても虹である。危険はない。
「七色出るまでは絶対やるぞって気持ちになるし、七色が安定したら、もうちょっと濃くもうちょっと大きくって、際限なくて。ついつい十枚以上書いちゃいました」
予想外にやる気が起こってしまったらしい。
「カイくんもやる気出してくれるといいな……じゃあ動作確認は完了ってことで、明日警備隊に持って行って、カイくんに渡してくれ」
「了解しました。あ、僕、明日の仕事は夕方からって言いましたっけ?」
ユランは勤務予定の変更を告げる。
「聞いてないな」
「急に変更になったんです。明日の夕方から夜勤、明後日は日勤で、戻るのは明後日の夕方になります」
普段は、日勤からの夜勤、翌日休みという流れなのだが、今回は夜勤から始まる。
「分かった。じゃあ明日の朝はゆっくりでいいんだな。だからって、あんまり夜更かしするなよ」
出勤日に起きてくるのが遅いと起こしに行くのだが、明日はユランが寝こけていても放っておいていいということである。
「特に夜更かしの予定はないですよ。朝ちゃんと起きないと先生に会い損ねちゃうじゃないですか」
明日の朝に会い損ねると、今夜会ったきり、明後日の夜まで顔を合わせないことになってしまう。
「一緒に住んでるんだからそれくらいのすれ違いどうってことないだろ……」
他でどうとでも補填できる気がするエイダールだが。
「一緒に住んでるのに会えないなんて納得がいきませんよ」
ユランの意見は違うようだ。
「まあ、何時に起きたっていいけどな。お前も風呂入って来いよ」
「はーい」
夜更かしするしないはともかく、寝る準備を整えておけと、エイダールはユランを風呂場へ追い遣った。
「お風呂上がりましたー」
風呂上がりのユランが髪を拭きながら居間に戻ると、エイダールが、壁に作りつけられた棚から香油の瓶を手に取ったところだった。
「香油ですか? どうしたんですか先生、お手入れする気になったんですか」
入学式前に一度使うのを見たきりなので、ユランは少し驚く。あの時ですら、サルバトーリ家の侍女たちの押しに負けただけで、決して自主的ではなかったのに。
「いや、ちょっと粘度が気になって」
エイダールは、香油を数滴手のひらに垂らして、指でくるくると混ぜる。
「割とさらっとしてるんだよなあ、匂いはいいけど……やっぱり、専用のを準備しておくべきか」
悩ましいな、と首を捻る。
「何の専用ですか? 髪にでも塗り込むんですか?」
髪質の所為か、ぼさぼさになりがちなエイダールの頭に目を遣り、ユランは問う。
「違う違う、潤滑剤として使う奴だよ。いざ事に及ぼうって時にないと困るだろ、俺は痛いのやだぞ」
準備不足で無駄に痛い目には遭いたくないエイダールである。
「潤滑剤? 事に及ぶ?」
ユランは口をぱくぱくとさせる。
「うーん、滑りがよくなればいいんだから、香油にこだわる必要はないんだよな。成分的には傷薬のほうがいいかもしれないな。殺菌、消毒、鎮痛、消炎、どれもあって困るものじゃないし、ここに潤滑を足せば」
完璧な気がする、とエイダールは独り言ちる。
「先生、そのようなことをなさる御予定がおありなのでしょうか?」
気が動転しているのか、無駄に尊敬語を駆使するユラン。
「今のところ予定はないが、お前の告白を受け入れて付き合うとなった場合、そういうのも込みなんだろ?」
エイダールはそのつもりで、答えを出そうと思っている。
「それはそうですけど……そうだといいな、とは思います、けど」
ユランは言い淀む。確かに身も心も繋がりたいが、絶対条件ではない。
「込みなら付き合えないって振られるより、無しでも付き合ってもらえる方が」
もちろん理想は込みで付き合ってもらえることだが。
「というか、僕、期待してもいいんですか?」
体を重ねることまで想定してくれているということは、そういうことではないのだろうか。
「さあな。俺がユランを好きなのは間違いないが、それがお前の気持ちと重なるものとも思えない。家族枠っていうのが一番しっくりくるんだがな」
恋愛よりも、親愛の方向に明らかに傾いている。
「家族、ですか」
ユランの声が沈む。分かっていたが弟枠は強固であり、壊すのは難しそうだ。
「ただ、実の家族でも許容できないことが、ユランにならまあいいかって思うこともあるんだよな」
たとえば、過度な身体的接触とか。
「普通なら首筋かがれるとか気持ち悪いのに、ユラン相手だと平気なんだよな。いっそ一回やってみるのもありかと思ってる」
頭で考えても分からないなら、体に聞いてみるのも一つの手である。
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とんでもないことを言われたユランの声が引っ繰り返った。
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