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34「お、落ち着、けっ……てっ」

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「今、動いたよな?」
「ああ、動いた気がする」
 馬を駆けさせて先回りし、近くの木の上から侯爵邸を窺っていた騎士団員二人が、遠眼鏡を覗き込みつつ囁き合う。
 到着した馬車からは、侯爵令嬢と侍女が降りてきた。二人はそのまま連れ立って本邸に入った。その後、御者と魔術師が、馬車の中から衣装箱を取り出し、屋敷の者が手伝って本邸とは別棟の離れに運び入れる。最後に布袋を荷台に括りつけていた縄が外される。その時、袋が身じろいだように見えた。
「ほら、絶対動いたって! あの袋、何か生き物が入れられてる!」
「生き物って……そりゃ、人間も生き物だけど」
 目を凝らしていると、袋の上部、紐で縛った口から少し離れたところが、明らかに不自然な動きを見せた。もし人が入っていれば肩の辺りだろうか。
「運び方も人を担いでる感じだな」
 御者が、中ほどで曲げた布袋を重そうに肩に担いで、よろよろと離れに向かっていく。
「重そうだけど、囮役にしてはちょっと細身か」
「ってことは、巻き込まれた人と考えていいな。さっきの衣装箱に囮役が入っていたとしたら辻褄が合う」
 二人は頷き合って。
「よし、報告に戻る」
 布袋が離れに運び込まれたのを確認して、一人がするすると木から滑り下りた。






「囮役と一緒に拠点に運び込まれた?」
 ほぼ確定という連絡が、エイダールのところにも、もたらされる。
「はい、それで運河からは撤収だそうです。お疲れさまでした」
 連絡係に労われる。
「ああ、お疲れさま」
 エイダールは、垂らしていた釣り糸を引き上げ、大きく伸びをした。
「良かったです、こんな季節に運河に飛び込まされなくて」
「良くはないだろ。巻き込まれた奴、まだ犯人の手の中ってことだぞ」
「そうでした」
「むしろまずいかもしれん、長引くと命の保証がないぞ」
 犯人側は生かして帰す気がないのだ。運河に放り込まれたり、馬車で移動中ならば遠巻きとはいえこちらの目が光っていたが、邸宅内では何かあっても分からない。
「そういや、巻き込まれた奴って素性ははっきりしてるのか? 俺は若い男としか聞いてないが。囮作戦を続行したってことは、一般人じゃないんだろう? 冒険者か、予備役かなんかか? 戦闘能力は高いのか?」
 自力で何とか出来そうなのかと尋ねる。
「警備隊の隊員だと聞いていますから、それなりなのでは」
「警備隊?」
 嫌な予感がしてエイダールの声が硬くなる。
「はい、確か西区の」
「名前は分かるか?」
 真顔になったエイダールに、連絡係は慌てて懐を探った。
「はい、えっと……」
 取りだした覚え書きを確認しようとしたが、その前にエイダールに奪い取られる。
「………………イーレンの奴、隠してやがったな」
 エイダールにくしゃりと握り潰された覚え書きには、ユランの名が記されていた。
「ギルシェ殿!?」
 騎士団員が、ぶるりと体を震わせた。気の所為ではなく温度が下がっている。エイダールに近い運河が凍りついていくのが見える。
「イーレン・ストレイムスが、今どこにいるか分かるか?」
 凍気をだだ洩れさせながら、エイダールは連絡係に尋ねる。
「き、騎士団本部にお戻りだと思いますが……」
 連絡係の騎士団員は目を見開きながら後退る。魔術師が感情を昂らせると事象に現れるという話は聞いたことがあったが、実際見たのは初めてだった。






「は? 強制捜査の許可が下りないだと?」
 騎士団本部まで来て、会議室で話を聞いたアルムグレーンは、訳が分からないという顔で副騎士団長を見る。
「神殿ほどじゃないが、侯爵家以上の屋敷に踏み込むには、きちんとした罪状と証拠が必要だ」
 それが足りないと、上に言われた。
「攫われた騎士団員を乗せた馬車が入って行ったってだけで充分だろ?」
「姿を確認した訳じゃない。衣装箱と布袋を見ただけだ。位置情報が発信されていると言っても、何かの間違いだと嘯かれればそれまでだ」
「くっそ、騎士団がこんな腑抜けだと知ってたら、勝手に動くんだった」
 侯爵邸に連れ込まれる前に確保すれば良かったと吐き捨てる。
「貴様、無礼だぞ!?」
「よせ、不甲斐ないのは事実だ」
 騎士団への侮辱ともとれる発言に、騎士の何人かが剣に手を掛けるが、副騎士団長が手で制する。
「で? これからどうする気だ、うちの隊員は無事に帰してもらえるんだろうな? ……って、何だ!?」
 会議室の扉が、蹴破られたのかと思うような音を立てて開き、アルムグレーンは目を丸くする。
「あ、エイダール……」
 入ってきたエイダールを見て、会議室の中にいたイーレンが、最悪の状況でばれたことを察して青褪めた。暴走しないようにと情報を隠したが、ユランの身柄を確保した後なら宥められると思っていた。しかし、今はまだユランは犯人の拠点に囚われていて、安否も確認出来ていない。
「ユランは何処にいる? 犯人の拠点ってのは何処だ」
 エイダールは、迷いなくイーレンの許に歩み寄ると、胸ぐらを掴む。
「お、落ち着、けっ……てっ」
 声を出すどころか、息が出来ないほどに絞めあげられて、イーレンは一瞬、死を覚悟した。
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