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33「拠点は東区ってことになる」
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「お、昼か」
十二時を知らせる鐘が響いてきて、朝から運河沿いで釣り糸を垂れていたエイダールは顔を上げる。半時間ほど前に囮役に動きがあったとの連絡を受けたが、今のところ異常はない。
「どうですか?」
連絡係としてついている騎士団員が尋ねる。
「うん? 結構でかいのが釣れたぞ、一匹だけど」
川に戻してしまったので証拠はない。釣り糸を通して運河を探っているだけで、釣る気もなく、餌もつけていなかったのに釣れてしまったのだ。
「釣果を聞いている訳ではありません……」
騎士団員は脱力する。
「異常なしだよ、北西側は」
運河は、王都の北西から南東にかけて流れている。囮役が南に動いたということで、南東側は騎士団が重点的に固め、北西側はエイダールが一手に引き受けている。運河と言っても元々あった川を利用して作られているので、上流に当たる北西側は普通の川とほとんど変わりがない。
「南へ向かってるなら、中央区と南区の間の橋からぽいっと落とすのが簡単だよな」
そこが区の境目であり、運河としては、その橋からが本番である。
「幾ら簡単でも人目が多過ぎでは?」
目撃者なしでは無理である。
「人目は気にするだろうな。気にしてなかったら巻き込まれた奴はもう気の毒なことになってる」
ただ口を封じるのなら、神殿でもどこでも、ぐさっとやって捨て置けばいい。しかしそれでは犯人を探されるし、隠しておいても行方不明者として捜索される。その過程でどんなぼろが出るか分からない。如何に自分たちとは無関係な物言わぬ存在にするかが、犯人の悩みどころである。
「まあ、運河を渡らずに東区に進む気がするな、最初の頃はずっと東区で事件が起こってただろ? 攫ったやつを移動なんて犯行が発覚する危険が跳ね上がるから、拠点に直接転移させていたと考えるべきで、あの転移陣は転移距離が短いから、拠点は東区ってことになる」
東区が警戒されるようになったため、他の区でも犯行を行えるよう、神殿に第二の転移先を設置したと考えるほうが自然なのだ。
「運河に放り込むことだけを考えると南区かもしれないけど。あっちは昼間閑散としてるし」
南区の運河沿いは花街なので、夜のほうが人通りが多い。
「油断しないでください、囮役とは逆方向に移動している可能性もありますし、北西側を見ているのはあなただけなんです」
騎士団員は少し泣きそうである。彼は連絡係としてエイダールにつくよう命じられているだけなのだが、そのエイダールが運河の半分を任されていることに重圧を感じるらしい。
「分かってるって。と言っても、犯人側にとっても巻き込みは予定外だし、別便を仕立てて処分する余裕はないと思うんだよな」
なので北西側は空振りだと思うのだが、エイダールは手を抜くことなく、神経を研ぎ澄ませた。
「魔術師様、東区に入りましたが」
御者が、客車との境の壁をコンコンと叩き、中の魔術師に尋ねてくる。
「御友人宛ての荷物がおありとのことでしたね、何処にお届けすれば?」
向かいの席に座っていた侯爵家の侍女も重ねて尋ねた。侯爵令嬢が教えを受けている神官の知り合いだというこの魔術師は、時折令嬢の馬車に衣装箱と一緒に便乗してくる。今日は布袋も積んでいて、友人への届け物なので東区に入ったところで少し時間を貰いたいと言われていた。
「……いえ、布袋もそのままお屋敷まで運んでください」
魔術師は、窓の外をちらりと見た。今日は街に騎士団員の姿が多い気がする。少し迷うような素振りを見せた後、そう告げる。
「よろしいのですか?」
最初の話と違うので、侍女は再度確認する。
「届けるのは後日にします、今日はこのまま一緒に」
騎士団が昨日の誘拐絡みの捜査中だと考えると、今処分するのはまずい。
「かしこまりました……このまま行って下さい」
侍女は、窓から御者に向かって頷いて見せた。
「(布袋って、ユランくんが入ってるのか? 途中で放り出さないのか?)」
侯爵令嬢だけではなく、侍女も座っている座席の下の衣装箱の中のエルディは考え込む。エルディが先に衣装箱に詰められたので、その後ユランがどう扱われたかは見られなかったが、布袋の中身はユランで間違いないだろう。放り出されたほうが良かったのか、放り出されなかったほうが良かったのかの判断がつかない。
「東区、運河沿いとのことです!」
移動し始めてから二度目の位置情報が、神殿近くの臨時拠点に届く。
「一度目と二度目、両方の条件に該当する車両はあるか?」
「情報を取りまとめています、少しお待ちください!」
追跡班から随時入ってきている情報を事務官が必死で読み込む。
「該当車両は三台です……あ、一台は無関係と確認できています」
残りは二台ということだ。
「詳細を」
副騎士団長の要求に、事務官は見ていた覚え書きの束から該当車両の情報が書かれた紙を抜き出す。
「野菜農家の荷馬車と侯爵家の馬車か……十一時前後に通用門と正門を張っていた中から誰か呼んできてくれ。詳しい話を聞きたい」
農家の荷馬車は通用門から、侯爵家の馬車は正門から出ている。
「十一時頃に通用門から出た荷馬車がどんなだったか、ですか?」
通用門から呼ばれてきた騎士団員は、考え込んだ。朝からずっと馬車や荷馬車を見てきたので、どの荷馬車だったか、すぐには思い出せない。
「野菜農家ということだが、箱型だったのか?」
成人男性が潜める隙間があったか否かで区別しているはずなのだ。
「野菜を積んできた馬車……あ、幌馬車でした! 後部から荷台が覗けましたが、そこに大きな樽が一つあったので」
一人なら詰め込めそうだと思って、追跡をつけたことを思い出す。
「侯爵家の馬車は、四頭立ての箱型の馬車でした」
正門から呼ばれてきた騎士団員の方は、すぐにどの馬車のことか思い当たった。
「窓の覆いが少し開けられていて、向かい合って座る人影が見えました。ひとりは女性だったと思います」
髪がきれいに結い上げられ、まとめられていた。男性も貴族ならば長髪も珍しくないが、あんなまとめ方はしない。
「女性と誰かもう一人か……他には?」
「窓から見えたのはそれだけです」
侍女と魔術師の他に侯爵令嬢もいたのだが、小さすぎて見えなかったようだ。
「箱馬車なら余裕で人間の一人や二人隠せるだろうが、決め手に欠けるな……」
副騎士団長が顎に手を当てて考え込む。
「あの」
正門から呼ばれてきた騎士団員が声を上げる。
「なんだ?」
「私はよく覚えていないのですが、同じく正門を見張っていた警備隊の者が、その侯爵家の馬車の荷台に乗っていた大きな袋が気になったと言っておりました。『巻き込まれた者が入れられていたら、ちょうどあのくらいの大きさだった』と」
「今の話、どう思う?」
副騎士団長は、同席していたアルムグレーンを見た。
「正門にはユランと……巻き込まれた者と、日頃から班を組んでいる二人を交代で配置している。二人のどちらが言ったにしろ、そう感じたのなら中身がユランだった可能性は高いと思う」
ヴェイセルとは三年近く、カイとも一年以上組んでいるのだ。
「ならばその馬車に絞るか。追跡部隊の応援を出せ。向こうに気付かれないよう遠巻きに、だが見失わないように。侯爵邸の周囲も張り込ませろ」
「すぐに確保しないのか? すれ違いざまの事故に見せかけて車軸をへし折るなんて簡単だぞ?」
拠点が割れたのなら、すぐに助けに入るべきだろうというアルムグレーン。
「警備隊ってのは普段どんな事件を扱ってるんだ、随分と荒事に慣れているようだな。貴殿の部下の安全を蔑ろにして申し訳ないとは思うが、到着先を確認させてほしい。侯爵家の馬車を偽装している可能性もあるからな」
相手が侯爵家では、副騎士団長も慎重にならざるを得なかった。
十二時を知らせる鐘が響いてきて、朝から運河沿いで釣り糸を垂れていたエイダールは顔を上げる。半時間ほど前に囮役に動きがあったとの連絡を受けたが、今のところ異常はない。
「どうですか?」
連絡係としてついている騎士団員が尋ねる。
「うん? 結構でかいのが釣れたぞ、一匹だけど」
川に戻してしまったので証拠はない。釣り糸を通して運河を探っているだけで、釣る気もなく、餌もつけていなかったのに釣れてしまったのだ。
「釣果を聞いている訳ではありません……」
騎士団員は脱力する。
「異常なしだよ、北西側は」
運河は、王都の北西から南東にかけて流れている。囮役が南に動いたということで、南東側は騎士団が重点的に固め、北西側はエイダールが一手に引き受けている。運河と言っても元々あった川を利用して作られているので、上流に当たる北西側は普通の川とほとんど変わりがない。
「南へ向かってるなら、中央区と南区の間の橋からぽいっと落とすのが簡単だよな」
そこが区の境目であり、運河としては、その橋からが本番である。
「幾ら簡単でも人目が多過ぎでは?」
目撃者なしでは無理である。
「人目は気にするだろうな。気にしてなかったら巻き込まれた奴はもう気の毒なことになってる」
ただ口を封じるのなら、神殿でもどこでも、ぐさっとやって捨て置けばいい。しかしそれでは犯人を探されるし、隠しておいても行方不明者として捜索される。その過程でどんなぼろが出るか分からない。如何に自分たちとは無関係な物言わぬ存在にするかが、犯人の悩みどころである。
「まあ、運河を渡らずに東区に進む気がするな、最初の頃はずっと東区で事件が起こってただろ? 攫ったやつを移動なんて犯行が発覚する危険が跳ね上がるから、拠点に直接転移させていたと考えるべきで、あの転移陣は転移距離が短いから、拠点は東区ってことになる」
東区が警戒されるようになったため、他の区でも犯行を行えるよう、神殿に第二の転移先を設置したと考えるほうが自然なのだ。
「運河に放り込むことだけを考えると南区かもしれないけど。あっちは昼間閑散としてるし」
南区の運河沿いは花街なので、夜のほうが人通りが多い。
「油断しないでください、囮役とは逆方向に移動している可能性もありますし、北西側を見ているのはあなただけなんです」
騎士団員は少し泣きそうである。彼は連絡係としてエイダールにつくよう命じられているだけなのだが、そのエイダールが運河の半分を任されていることに重圧を感じるらしい。
「分かってるって。と言っても、犯人側にとっても巻き込みは予定外だし、別便を仕立てて処分する余裕はないと思うんだよな」
なので北西側は空振りだと思うのだが、エイダールは手を抜くことなく、神経を研ぎ澄ませた。
「魔術師様、東区に入りましたが」
御者が、客車との境の壁をコンコンと叩き、中の魔術師に尋ねてくる。
「御友人宛ての荷物がおありとのことでしたね、何処にお届けすれば?」
向かいの席に座っていた侯爵家の侍女も重ねて尋ねた。侯爵令嬢が教えを受けている神官の知り合いだというこの魔術師は、時折令嬢の馬車に衣装箱と一緒に便乗してくる。今日は布袋も積んでいて、友人への届け物なので東区に入ったところで少し時間を貰いたいと言われていた。
「……いえ、布袋もそのままお屋敷まで運んでください」
魔術師は、窓の外をちらりと見た。今日は街に騎士団員の姿が多い気がする。少し迷うような素振りを見せた後、そう告げる。
「よろしいのですか?」
最初の話と違うので、侍女は再度確認する。
「届けるのは後日にします、今日はこのまま一緒に」
騎士団が昨日の誘拐絡みの捜査中だと考えると、今処分するのはまずい。
「かしこまりました……このまま行って下さい」
侍女は、窓から御者に向かって頷いて見せた。
「(布袋って、ユランくんが入ってるのか? 途中で放り出さないのか?)」
侯爵令嬢だけではなく、侍女も座っている座席の下の衣装箱の中のエルディは考え込む。エルディが先に衣装箱に詰められたので、その後ユランがどう扱われたかは見られなかったが、布袋の中身はユランで間違いないだろう。放り出されたほうが良かったのか、放り出されなかったほうが良かったのかの判断がつかない。
「東区、運河沿いとのことです!」
移動し始めてから二度目の位置情報が、神殿近くの臨時拠点に届く。
「一度目と二度目、両方の条件に該当する車両はあるか?」
「情報を取りまとめています、少しお待ちください!」
追跡班から随時入ってきている情報を事務官が必死で読み込む。
「該当車両は三台です……あ、一台は無関係と確認できています」
残りは二台ということだ。
「詳細を」
副騎士団長の要求に、事務官は見ていた覚え書きの束から該当車両の情報が書かれた紙を抜き出す。
「野菜農家の荷馬車と侯爵家の馬車か……十一時前後に通用門と正門を張っていた中から誰か呼んできてくれ。詳しい話を聞きたい」
農家の荷馬車は通用門から、侯爵家の馬車は正門から出ている。
「十一時頃に通用門から出た荷馬車がどんなだったか、ですか?」
通用門から呼ばれてきた騎士団員は、考え込んだ。朝からずっと馬車や荷馬車を見てきたので、どの荷馬車だったか、すぐには思い出せない。
「野菜農家ということだが、箱型だったのか?」
成人男性が潜める隙間があったか否かで区別しているはずなのだ。
「野菜を積んできた馬車……あ、幌馬車でした! 後部から荷台が覗けましたが、そこに大きな樽が一つあったので」
一人なら詰め込めそうだと思って、追跡をつけたことを思い出す。
「侯爵家の馬車は、四頭立ての箱型の馬車でした」
正門から呼ばれてきた騎士団員の方は、すぐにどの馬車のことか思い当たった。
「窓の覆いが少し開けられていて、向かい合って座る人影が見えました。ひとりは女性だったと思います」
髪がきれいに結い上げられ、まとめられていた。男性も貴族ならば長髪も珍しくないが、あんなまとめ方はしない。
「女性と誰かもう一人か……他には?」
「窓から見えたのはそれだけです」
侍女と魔術師の他に侯爵令嬢もいたのだが、小さすぎて見えなかったようだ。
「箱馬車なら余裕で人間の一人や二人隠せるだろうが、決め手に欠けるな……」
副騎士団長が顎に手を当てて考え込む。
「あの」
正門から呼ばれてきた騎士団員が声を上げる。
「なんだ?」
「私はよく覚えていないのですが、同じく正門を見張っていた警備隊の者が、その侯爵家の馬車の荷台に乗っていた大きな袋が気になったと言っておりました。『巻き込まれた者が入れられていたら、ちょうどあのくらいの大きさだった』と」
「今の話、どう思う?」
副騎士団長は、同席していたアルムグレーンを見た。
「正門にはユランと……巻き込まれた者と、日頃から班を組んでいる二人を交代で配置している。二人のどちらが言ったにしろ、そう感じたのなら中身がユランだった可能性は高いと思う」
ヴェイセルとは三年近く、カイとも一年以上組んでいるのだ。
「ならばその馬車に絞るか。追跡部隊の応援を出せ。向こうに気付かれないよう遠巻きに、だが見失わないように。侯爵邸の周囲も張り込ませろ」
「すぐに確保しないのか? すれ違いざまの事故に見せかけて車軸をへし折るなんて簡単だぞ?」
拠点が割れたのなら、すぐに助けに入るべきだろうというアルムグレーン。
「警備隊ってのは普段どんな事件を扱ってるんだ、随分と荒事に慣れているようだな。貴殿の部下の安全を蔑ろにして申し訳ないとは思うが、到着先を確認させてほしい。侯爵家の馬車を偽装している可能性もあるからな」
相手が侯爵家では、副騎士団長も慎重にならざるを得なかった。
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