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20「やっと結婚の許可が下りたんだ」
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「ああああ、先生まだいるかな……!」
何もなく予定通りに事が進むことを祈っている時に限って何か起こりがちなのは何故だろうか。仕事が押したユランは約束した時刻から四十分ほど遅れて、アカデミーの学食に飛び込んだ。遅れることはもちろん、場合によっては食事の約束自体が反故になる可能性もお互い織り込み済みなので、相手が現れなくても気にしない、待たないと取り決めてある。
「タルトがどうとか言ってたからデザートまで食べてる筈だけど……」
突然タルトが食べたくなったらしいエイダールが『今日は絶対アカデミーの学食に行く』と言い出したので『僕も一緒に行きたいです』と取り付けた約束である。
食事だけなら確実に済ませて席を立った後だろうが、デザート付きならまだいるかもしれないと、きょろきょろと辺りを見回す。
「あ、いた」
かなり離れた奥の方のテーブルに、エイダールの姿を発見した。
「……あれ? カスペルさん?」
表情をぱっと明るくしたユランの視界に、エイダールに向かって大きな歩幅で勢いよく近付いていく人物の姿が映った。エイダールの友人のカスペルである。彼は王城勤めで、こんなところにいる筈がないのだが。
「聞いてくれエイダール、やっと結婚の許可が下りたんだ! 七年だぞ、七年!!」
嬉しそうな声を上げたカスペルは、座ってタルトを食べていたエイダールの肩を強く揺すって、感極まったように抱きつく。
「結婚? そうかそうか……あれから七年も経つのか。長かったな」
「そうだよ七年だよ、本当に長かった……もっと喜んでくれよ?」
お前も嬉しいだろ? と、エイダールの頬にちゅっと口付けを落とす。
「ああ、はいはい、良かったな」
エイダールは少し困ったような顔をしながらも、カスペルを抱き締め返し、背中をぽんぽんと叩く。
「…………っ!?」
離れた場所でそれを見てしまったユランの顔が引き攣った。
もしもユランが同じことをしたら、『何をするんだ』と怒られて、軽く殴られているに違いない。しかしカスペルなら抱き締め返すのだ。
何を見せられているのか理解できない。自分の心臓の音が頭にガンガンと響いて、周りの音がうまく拾えない。
「それで、今日はこれを」
カスペルは、懐から小さな箱を取り出した。箱の蓋を開けると、銀色に輝く上品な腕輪が入っているのが見えた。銀の腕輪は、婚約や結婚の証に贈られるものだ。
腕輪を示しながら何か説明した後、カスペルは腕輪を箱に仕舞い直し、エイダールに差し出す。二言三言話した後で、エイダールは分かった、と言うように頷いて、その箱を受け取った。
「腕輪を、受け取った?」
ユランは呆然と呟く。
銀の腕輪は、受け取った時点で婚約や婚姻を了承したと見做される。
「先生が、結婚? は?」
今までそんな気配など微塵もなかったのに? カスペルと親しいのは知っているけれど、あくまで友人としてだと思っていたのに?
衝撃で動けなくて立ち尽くしていると、隣から驚いたような声が聞こえた。
「ギルシェ先生、あの方と結婚の約束をしてらしたんですね。全然知りませんでしたけど」
エイダールの助手のスウェンである。彼も昼食をとりに来たところで一部始終を目撃したらしい。
「道理で、条件のいい縁談が来ても全然取り合わない訳ですね。てっきり結婚に興味がないからだと思ってました……ユランくん? どうしました?」
ユランの様子がおかしいことに気付いたスウェンが、気遣うように顔を覗き込んで来る。
「大丈夫です……すみませんがスウェンさん、先生に伝言をお願いできますか? 僕は用があるのでこのまま戻ります、と」
ユランはとても大丈夫とは思えない顔色で告げて、逃げるようにその場を後にした。
「御結婚が決まったんですね、おめでとうございます」
二人に近付いたスウェンはまず、カスペルを言祝ぐ。
「ああ、ありがとう。漸く念願叶ってね」
にこやかに頷いたカスペルは、時計を見て、あっと声を上げる。
「思ったより時間を食ってしまった、今日はこれで失礼する。……エイダール、細かいことを打ち合わせたいから、また今度時間を作ってくれ」
「分かった」
片手を上げてカスペルを見送り、エイダールは冷えてしまった紅茶を飲み干す。
「そんなあっさりと見送っていいんですか?」
長年停滞していたらしい結婚話が、今まさに成立したのに、エイダールの反応は淡白すぎないかと、スウェンは問う。
「忙しいんだろ、いつものことじゃないか」
カスペルは、激務だと噂に高い宰相府の文官である。
「まあ、お二人がいいならいいですけど。それとギルシェ先生、ユランくんがそこまで来ていたんですが伝言を頼まれました、用があるのでこのまま戻ると」
「来られないときも連絡は要らないって言ってあったのに、律儀だな」
ここまで来たなら食事をしていけばいいのにとも思うが、職業柄そんなことを言っていられないこともあるのだろうと考える。
「昼食の暇もないなんて大丈夫なのか。夜はいいもの食わせてやらないとな」
栄養をつけさせないと、というエイダールに、スウェンは、ユランに対する過保護さは結婚が決まっても変わらないのだなと微笑ましく思う。
「そうだ先生、どっちなんですか? あちらの家に入るんですか? それとも婿を取るんですか?」
「え、何の話だ?」
「先程の結婚話ですが……」
しっかりしてくださいと助手に突っ込まれるエイダール。
「あいつは跡取りだから、家に入ってもらうつもりだと思うが?」
何でスウェンがそんなことを気にするのだろうという顔で答える。
「籍はあちらに入れるにしても、仕事上は別姓のままにしてはいかがでしょうか? 手続きが面倒ですし」
エイダールの秘書的役割も担っているスウェンにとっては、重要なことである。余分なことに労力を割きたくない。
「そうだな?」
エイダールは、よく分かっていない顔で、頷いた。
何もなく予定通りに事が進むことを祈っている時に限って何か起こりがちなのは何故だろうか。仕事が押したユランは約束した時刻から四十分ほど遅れて、アカデミーの学食に飛び込んだ。遅れることはもちろん、場合によっては食事の約束自体が反故になる可能性もお互い織り込み済みなので、相手が現れなくても気にしない、待たないと取り決めてある。
「タルトがどうとか言ってたからデザートまで食べてる筈だけど……」
突然タルトが食べたくなったらしいエイダールが『今日は絶対アカデミーの学食に行く』と言い出したので『僕も一緒に行きたいです』と取り付けた約束である。
食事だけなら確実に済ませて席を立った後だろうが、デザート付きならまだいるかもしれないと、きょろきょろと辺りを見回す。
「あ、いた」
かなり離れた奥の方のテーブルに、エイダールの姿を発見した。
「……あれ? カスペルさん?」
表情をぱっと明るくしたユランの視界に、エイダールに向かって大きな歩幅で勢いよく近付いていく人物の姿が映った。エイダールの友人のカスペルである。彼は王城勤めで、こんなところにいる筈がないのだが。
「聞いてくれエイダール、やっと結婚の許可が下りたんだ! 七年だぞ、七年!!」
嬉しそうな声を上げたカスペルは、座ってタルトを食べていたエイダールの肩を強く揺すって、感極まったように抱きつく。
「結婚? そうかそうか……あれから七年も経つのか。長かったな」
「そうだよ七年だよ、本当に長かった……もっと喜んでくれよ?」
お前も嬉しいだろ? と、エイダールの頬にちゅっと口付けを落とす。
「ああ、はいはい、良かったな」
エイダールは少し困ったような顔をしながらも、カスペルを抱き締め返し、背中をぽんぽんと叩く。
「…………っ!?」
離れた場所でそれを見てしまったユランの顔が引き攣った。
もしもユランが同じことをしたら、『何をするんだ』と怒られて、軽く殴られているに違いない。しかしカスペルなら抱き締め返すのだ。
何を見せられているのか理解できない。自分の心臓の音が頭にガンガンと響いて、周りの音がうまく拾えない。
「それで、今日はこれを」
カスペルは、懐から小さな箱を取り出した。箱の蓋を開けると、銀色に輝く上品な腕輪が入っているのが見えた。銀の腕輪は、婚約や結婚の証に贈られるものだ。
腕輪を示しながら何か説明した後、カスペルは腕輪を箱に仕舞い直し、エイダールに差し出す。二言三言話した後で、エイダールは分かった、と言うように頷いて、その箱を受け取った。
「腕輪を、受け取った?」
ユランは呆然と呟く。
銀の腕輪は、受け取った時点で婚約や婚姻を了承したと見做される。
「先生が、結婚? は?」
今までそんな気配など微塵もなかったのに? カスペルと親しいのは知っているけれど、あくまで友人としてだと思っていたのに?
衝撃で動けなくて立ち尽くしていると、隣から驚いたような声が聞こえた。
「ギルシェ先生、あの方と結婚の約束をしてらしたんですね。全然知りませんでしたけど」
エイダールの助手のスウェンである。彼も昼食をとりに来たところで一部始終を目撃したらしい。
「道理で、条件のいい縁談が来ても全然取り合わない訳ですね。てっきり結婚に興味がないからだと思ってました……ユランくん? どうしました?」
ユランの様子がおかしいことに気付いたスウェンが、気遣うように顔を覗き込んで来る。
「大丈夫です……すみませんがスウェンさん、先生に伝言をお願いできますか? 僕は用があるのでこのまま戻ります、と」
ユランはとても大丈夫とは思えない顔色で告げて、逃げるようにその場を後にした。
「御結婚が決まったんですね、おめでとうございます」
二人に近付いたスウェンはまず、カスペルを言祝ぐ。
「ああ、ありがとう。漸く念願叶ってね」
にこやかに頷いたカスペルは、時計を見て、あっと声を上げる。
「思ったより時間を食ってしまった、今日はこれで失礼する。……エイダール、細かいことを打ち合わせたいから、また今度時間を作ってくれ」
「分かった」
片手を上げてカスペルを見送り、エイダールは冷えてしまった紅茶を飲み干す。
「そんなあっさりと見送っていいんですか?」
長年停滞していたらしい結婚話が、今まさに成立したのに、エイダールの反応は淡白すぎないかと、スウェンは問う。
「忙しいんだろ、いつものことじゃないか」
カスペルは、激務だと噂に高い宰相府の文官である。
「まあ、お二人がいいならいいですけど。それとギルシェ先生、ユランくんがそこまで来ていたんですが伝言を頼まれました、用があるのでこのまま戻ると」
「来られないときも連絡は要らないって言ってあったのに、律儀だな」
ここまで来たなら食事をしていけばいいのにとも思うが、職業柄そんなことを言っていられないこともあるのだろうと考える。
「昼食の暇もないなんて大丈夫なのか。夜はいいもの食わせてやらないとな」
栄養をつけさせないと、というエイダールに、スウェンは、ユランに対する過保護さは結婚が決まっても変わらないのだなと微笑ましく思う。
「そうだ先生、どっちなんですか? あちらの家に入るんですか? それとも婿を取るんですか?」
「え、何の話だ?」
「先程の結婚話ですが……」
しっかりしてくださいと助手に突っ込まれるエイダール。
「あいつは跡取りだから、家に入ってもらうつもりだと思うが?」
何でスウェンがそんなことを気にするのだろうという顔で答える。
「籍はあちらに入れるにしても、仕事上は別姓のままにしてはいかがでしょうか? 手続きが面倒ですし」
エイダールの秘書的役割も担っているスウェンにとっては、重要なことである。余分なことに労力を割きたくない。
「そうだな?」
エイダールは、よく分かっていない顔で、頷いた。
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