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19「弟枠は絶好調なので」
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「スウェン」
家に帰る途中、思い立って研究所に寄ったエイダールは、自分の研究室にいた助手のスウェンに声を掛けた。
「え、ギルシェ先生?」
書類棚の整理をしていたスウェンは、驚いて振り向く。
「お帰りなさい。騎士団への出向は終わったんですか?」
「残念ながら継続中だな。一段落ついたけど、動きがあればまた呼ばれると思う」
再現転移陣に動きがあったら連絡が来る筈である。
「まあ、呼ばれるまではこっちに出てくる……留守中変わったことは?」
「特にはありませんが、書類は溜まっています。学生から先生に見てほしいって論文も来ています。留守中に届いた手紙と荷物はそちらの箱にまとめてあります」
書類はここ、論文はここ、手紙はここ、とてきぱきと説明がなされる。スウェンは出来る助手である。
「ありがとな。あれ、机の上が片付いてる?」
「先生がいらっしゃらないこの機会にと思い、大掃除させていただきました。机の上にあった物は整理して収納棚に。大変やりがいのある仕事でした」
騎士団に出向する前は机の上で雪崩を打っていた本や資料が、綺麗に分類されて壁際の棚に収められている。
「そ、そうだな、やりがいって大事だな」
そのうち暇なときに気が向いたら、と整理整頓を先送りにしていたエイダールは、スウェンから視線を逸らしながら、書類を手に取る。
「ああくそ、予算申請が差し戻されてるじゃねえか、最終締め切りいつだよこれ」
さすがに去年の倍額は盛り過ぎだったか、と言いながらカレンダーを見る。
「最終締め切りは今月末ですが、なるべく早く直して申請してください。実績はあるんですから、常識的な額ならすぐ通りますよ」
倍額で申請して通る訳ないでしょう、とスウェンが冷たい。
「よし、じゃあ三割増しで行こう」
譲歩しつつも増額を諦めないエイダールは、ペンを執った。
「あれ?」
仕事を終えてエイダールの家の前までやってきたユランは、真っ暗な家の様子に不安を覚えた。人の気配もなく、玄関には鍵が掛かったままだ。
「先生戻ってないのかな? あの後、家に帰ったって隊長が言ってたのに……」
そしてはっと顔を上げる。
「まさか誘拐されて!?」
エイダールも立派な魔力持ちである。戦闘能力が高いので標的になりにくいとは思うが、絶対に狙われないという保証はない。
「……落ち着け僕、寝てるのかもしれないし」
仮眠のあともまだ寝足りなさそうだったので、早くに就寝している可能性もある。ユランは合鍵を使って家の中に飛び込み、エイダールの姿を探す。
「先生! 先生!」
一階はほぼ物置なのでざっと見てすぐに二階へ上がる。居間にもいない、厨房にもいない、書斎にもいない、寝室にもいない。
「先生!!」
玄関の扉が開く音が聞こえて、ユランは階段を駆け下りた。
「うわっ、どうした」
泣きそうな顔をしたユランに勢いよく抱きつかれて、エイダールは買ってきたばかりの荷物をその場に取り落とす。
「せ、先生がいなかったから、誘拐されたのかと思って」
背筋が凍りつくような気持ちになっていたユランは、そこにエイダールがいることを確かめるようにぎゅうぎゅうと強く抱き締める。
「ちょ、苦しい……っ」
もがくエイダールに、漸く腕の力を緩めるユラン。
「ふぅ、誘拐されても大丈夫なように対策はしてあるから心配するな」
「誘拐されてもってなんですか、誘拐されない対策をしてくださいよ!」
「え、いや、俺もまあ一応、囮役の一人だし?」
攫われたらついでに暴れてこようと思って立候補している。騎士団にこき使われた鬱憤を、犯人相手に直接晴らそうという計画である。
「囮? 危ないことに首を突っ込む気なんですか? まさか強制されて? 騎士団に殴り込んでもいいですか?」
先生を危険に晒すような真似をするなんて誰であろうと許さないと低い声で問う。
「殴り込むなよ、強制もされてないからな?」
「…………はい」
言い聞かせるような口調のエイダールに、ユランは、不満そうにしながらも頷いた。
「それで、こんな時間までどこに? てっきり家で休んでると思ってました。あ、買い物に?」
ユランは、エイダールが取り落とした荷物を拾い上げる。
「ああ。警備隊で飯食わせてもらったあと、家に帰る前に研究所に寄ったんだよ。書類が溜まってたから、ちょっと仕事するかと思って色々片付けてな。それから食料を仕入れに行ってきた」
机の上に物が少ないと仕事が捗って、少し働き過ぎたので、遅い時間になってしまった。
「今日はお前が泊まりに来るだろうと思って、夕飯を多めに買ってきたぞ……泊まっていくんだろう?」
にやりとしながら問うエイダールに、ユランも破顔する。
「はい! よろしくお願いします!」
二人のいつもの日常が戻ってきた。
「今日は御機嫌だな。『愛しの先生』と同伴出勤してたようだし?」
翌朝、緩んだ顔で出勤したユランは、ヴェイセルにからかわれる。
「可能な限り行き帰りの警護をすることにしただけです」
「下手すると付き纏いだから程々にな」
「酷いな先輩、ちゃんと先生の合意は取ってあります」
行き帰りの時間が合えば、という程度の合意だが。
「今日は昼食も一緒に取る約束をしたので、朝の警邏は時間通りきっちり終わるようにお願いします!」
お願いされても、何か問題が起これば対処が終わるまで帰れないのだが。
「努力はするけど、間に合わなくても恨むなよ? と言うか、ちょっと前まで、出入り禁止だのなんだのと落ち込んでたのに、突然仲良しだな!?」
昼まで一緒とか何なんだと、呆れるヴェイセル。
「多少は恋愛要素が出てきたとか?」
昨日のエイダールの言動からするとないだろうと思いつつ確認する。
「そんなものは出てきませんけど、弟枠は絶好調なので」
結局、いつも通りのその立場が一番安心で平和だなと、ユランは思っていた。
その時までは。
家に帰る途中、思い立って研究所に寄ったエイダールは、自分の研究室にいた助手のスウェンに声を掛けた。
「え、ギルシェ先生?」
書類棚の整理をしていたスウェンは、驚いて振り向く。
「お帰りなさい。騎士団への出向は終わったんですか?」
「残念ながら継続中だな。一段落ついたけど、動きがあればまた呼ばれると思う」
再現転移陣に動きがあったら連絡が来る筈である。
「まあ、呼ばれるまではこっちに出てくる……留守中変わったことは?」
「特にはありませんが、書類は溜まっています。学生から先生に見てほしいって論文も来ています。留守中に届いた手紙と荷物はそちらの箱にまとめてあります」
書類はここ、論文はここ、手紙はここ、とてきぱきと説明がなされる。スウェンは出来る助手である。
「ありがとな。あれ、机の上が片付いてる?」
「先生がいらっしゃらないこの機会にと思い、大掃除させていただきました。机の上にあった物は整理して収納棚に。大変やりがいのある仕事でした」
騎士団に出向する前は机の上で雪崩を打っていた本や資料が、綺麗に分類されて壁際の棚に収められている。
「そ、そうだな、やりがいって大事だな」
そのうち暇なときに気が向いたら、と整理整頓を先送りにしていたエイダールは、スウェンから視線を逸らしながら、書類を手に取る。
「ああくそ、予算申請が差し戻されてるじゃねえか、最終締め切りいつだよこれ」
さすがに去年の倍額は盛り過ぎだったか、と言いながらカレンダーを見る。
「最終締め切りは今月末ですが、なるべく早く直して申請してください。実績はあるんですから、常識的な額ならすぐ通りますよ」
倍額で申請して通る訳ないでしょう、とスウェンが冷たい。
「よし、じゃあ三割増しで行こう」
譲歩しつつも増額を諦めないエイダールは、ペンを執った。
「あれ?」
仕事を終えてエイダールの家の前までやってきたユランは、真っ暗な家の様子に不安を覚えた。人の気配もなく、玄関には鍵が掛かったままだ。
「先生戻ってないのかな? あの後、家に帰ったって隊長が言ってたのに……」
そしてはっと顔を上げる。
「まさか誘拐されて!?」
エイダールも立派な魔力持ちである。戦闘能力が高いので標的になりにくいとは思うが、絶対に狙われないという保証はない。
「……落ち着け僕、寝てるのかもしれないし」
仮眠のあともまだ寝足りなさそうだったので、早くに就寝している可能性もある。ユランは合鍵を使って家の中に飛び込み、エイダールの姿を探す。
「先生! 先生!」
一階はほぼ物置なのでざっと見てすぐに二階へ上がる。居間にもいない、厨房にもいない、書斎にもいない、寝室にもいない。
「先生!!」
玄関の扉が開く音が聞こえて、ユランは階段を駆け下りた。
「うわっ、どうした」
泣きそうな顔をしたユランに勢いよく抱きつかれて、エイダールは買ってきたばかりの荷物をその場に取り落とす。
「せ、先生がいなかったから、誘拐されたのかと思って」
背筋が凍りつくような気持ちになっていたユランは、そこにエイダールがいることを確かめるようにぎゅうぎゅうと強く抱き締める。
「ちょ、苦しい……っ」
もがくエイダールに、漸く腕の力を緩めるユラン。
「ふぅ、誘拐されても大丈夫なように対策はしてあるから心配するな」
「誘拐されてもってなんですか、誘拐されない対策をしてくださいよ!」
「え、いや、俺もまあ一応、囮役の一人だし?」
攫われたらついでに暴れてこようと思って立候補している。騎士団にこき使われた鬱憤を、犯人相手に直接晴らそうという計画である。
「囮? 危ないことに首を突っ込む気なんですか? まさか強制されて? 騎士団に殴り込んでもいいですか?」
先生を危険に晒すような真似をするなんて誰であろうと許さないと低い声で問う。
「殴り込むなよ、強制もされてないからな?」
「…………はい」
言い聞かせるような口調のエイダールに、ユランは、不満そうにしながらも頷いた。
「それで、こんな時間までどこに? てっきり家で休んでると思ってました。あ、買い物に?」
ユランは、エイダールが取り落とした荷物を拾い上げる。
「ああ。警備隊で飯食わせてもらったあと、家に帰る前に研究所に寄ったんだよ。書類が溜まってたから、ちょっと仕事するかと思って色々片付けてな。それから食料を仕入れに行ってきた」
机の上に物が少ないと仕事が捗って、少し働き過ぎたので、遅い時間になってしまった。
「今日はお前が泊まりに来るだろうと思って、夕飯を多めに買ってきたぞ……泊まっていくんだろう?」
にやりとしながら問うエイダールに、ユランも破顔する。
「はい! よろしくお願いします!」
二人のいつもの日常が戻ってきた。
「今日は御機嫌だな。『愛しの先生』と同伴出勤してたようだし?」
翌朝、緩んだ顔で出勤したユランは、ヴェイセルにからかわれる。
「可能な限り行き帰りの警護をすることにしただけです」
「下手すると付き纏いだから程々にな」
「酷いな先輩、ちゃんと先生の合意は取ってあります」
行き帰りの時間が合えば、という程度の合意だが。
「今日は昼食も一緒に取る約束をしたので、朝の警邏は時間通りきっちり終わるようにお願いします!」
お願いされても、何か問題が起これば対処が終わるまで帰れないのだが。
「努力はするけど、間に合わなくても恨むなよ? と言うか、ちょっと前まで、出入り禁止だのなんだのと落ち込んでたのに、突然仲良しだな!?」
昼まで一緒とか何なんだと、呆れるヴェイセル。
「多少は恋愛要素が出てきたとか?」
昨日のエイダールの言動からするとないだろうと思いつつ確認する。
「そんなものは出てきませんけど、弟枠は絶好調なので」
結局、いつも通りのその立場が一番安心で平和だなと、ユランは思っていた。
その時までは。
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