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9「あのベッドは至福の聖域」
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「痛っ、あー、血が出てる」
カイは、手の甲に薄っすら滲む血に舌打ちした。
「どうした? どこかに引っ掛けたのか?」
覗き込んでくるヴェイセルに手の甲を見せる。
「瘡蓋が剥がれたんですよー。くそう、無意識に掻いちゃうんだよな」
直りかけの瘡蓋は痒い。気が付くと掻き毟ってしまっている。
「藪漕ぎの時の引っかき傷か。消毒し直しとけよ。あれ、そういえばユラン」
ヴェイセルが後ろにいたユランを振り返り、じっと顔を見る。
「はい?」
「お前、頬に結構深い傷がついてなかったか? あれ、違ったか?」
傷痕さえないユランの頬を確認して、誰か他の奴だったかなと考え込む。
「僕です。その日の夜に先生が治してくれました、魔法で」
ユランは自分の頬にそっと手を当てて、懐かしむように目を細める。
「あの先生、治癒魔法まで使えるんだ? すごいなー。上級魔術師なんて滅多にお目に掛かれないって噂なのに、意外と近くにいるもんなんだな」
カイが驚く。治癒の魔法は、水の上級魔法である。それを使えるエイダールは上級魔術師ということになる。
「そうだよ、先生はすごいんだよ」
ふふん、と何故か偉そうなユラン。
「騎士団に助っ人に呼ばれる時点で腕がいいのは分かってるよ。しかし、あの頬の傷、深いと言えば深かったが、治癒魔法使うほどだったか? いや、この場合過保護さを疑うべきか。『先生』はユランに甘いからな」
「そうですね、あれは今は昔、僕と先生の仲が良かった頃……」
「遠い目をするのはやめろ」
「よし、警邏ついでに繁華街で夕食とるぞ。希望はあるか?」
今日の三人は、日勤に引き続き夜勤である。
西区はアカデミーとその関連施設が多く、そこに隣接して職人街という構成のために、夜の人口は少ない。当然もめごとも少なく、警備隊員が夕食ついでなどという緩さが許されるのも西区だけだ。あまりに暇なので、花街があるため深夜帯が主戦場の南区への応援が常態化しているほどだ。
「はい! 俺、今日は魚料理の気分です!」
カイが元気よく手を挙げた。
「では、第二回『先生の家に出入り禁止になったユランの今後について』対策会議を開催する、まずは乾杯」
さすがに勤務時間内の飲酒は禁止されているので、三人は濃く煮出した茶を冷やしたものを入れたグラスを合わせる。
「で? ユランはどうしたいんだ」
「出入り禁止を解除してもらって、今までみたいに普通に入り浸りたいです」
普通に入り浸る、の定義については、ヴェイセルは突っ込まないことにした。
「『先生のベッドに潜り込むようなことはもうしません』と誓って、許して貰うのが早そうだけどな」
「そんな嘘はつけません」
嘘はよくない、とまともなことを言っているように聞こえるのに、話の流れからすると何かがおかしいユラン。
「つまり、先生のベッドに潜り込むのをやめる気はないんだ……?」
煮魚をつついていたカイがずばっと核心をついた。
「あのベッドは至福の聖域だし、諦めるとか無理」
涙を呑んで回数を減らす努力をするつもりはある。
「泊めてもらえないってことは、当然ベッドも使わせてもらえないってことだぞ」
「はっ」
「おいおい、今気付いたような声を出すなよ……」
呆れたようにヴェイセルに言われて、ユランは今気付いたということを言い出せなくなる。
「先生は『暫く』って言ったんだろ? なんだかんだ言っても、ユランのこと可愛がってる訳だし、そのうち何もしなくても家に入れてくれるようになると思うが」
絶対に許さないというよりは、少しの間反省しなさい、という意味での出入り禁止と思われる。
「そういや合鍵は? 戻したのか?」
「いえ、預かったままです。非常時のために持っておけって」
取り上げられたりはしなかった。
「どっちにしろ、先生はここ数日は家にも研究所にもいないから話せないし、言われた通り、暫くは自分で借りてる部屋に戻ろうと思ってます」
「家主が留守なら、家に泊まっても問題なくない? 夜勤明けに郊外に借りてる部屋に戻るのきついだろ」
ばれなければいいのではという意見のカイ。
「うん、最初に転がり込んだ時も夜勤明けだったよ」
夜勤明け、部屋に戻る前に少し眠りたい、詰所の仮眠室はうるさくて眠れないからここに泊めてほしいと願って許されたのだ。そのまま翌日の非番の日を過ごすようになり、夜勤明けも非番も関係なく普通に行くようになり、今に至る。
「ん、夜勤明けなら昼間だから『泊まる』の範囲に入らないかもしれんぞ……というか、出入り禁止なのか? 泊まりが禁止なのか? どっちなんだ」
ヴェイセルは抜け道を探そうとして、基本情報があやふやなことに気付く。
「ええと、『暫く自分で借りてる部屋に戻れ、うちに泊まることは許さん』だったかな。あれ、もしかして出入り禁止って訳じゃなく、泊まるのが禁止なだけ?」
どうとでも解釈できそうだったが。
「部屋に戻れって言われたってことは、家には来るなってことだとも考えられるが」
こちらの方が正しそうだった。
「やっぱり出入り禁止かー。一度期待させておいて落とすなんて先輩酷ーい」
俺だったら泣いちゃう、とふざけたカイの頭を、ヴェイセルは無言でぐりぐりした。
カイは、手の甲に薄っすら滲む血に舌打ちした。
「どうした? どこかに引っ掛けたのか?」
覗き込んでくるヴェイセルに手の甲を見せる。
「瘡蓋が剥がれたんですよー。くそう、無意識に掻いちゃうんだよな」
直りかけの瘡蓋は痒い。気が付くと掻き毟ってしまっている。
「藪漕ぎの時の引っかき傷か。消毒し直しとけよ。あれ、そういえばユラン」
ヴェイセルが後ろにいたユランを振り返り、じっと顔を見る。
「はい?」
「お前、頬に結構深い傷がついてなかったか? あれ、違ったか?」
傷痕さえないユランの頬を確認して、誰か他の奴だったかなと考え込む。
「僕です。その日の夜に先生が治してくれました、魔法で」
ユランは自分の頬にそっと手を当てて、懐かしむように目を細める。
「あの先生、治癒魔法まで使えるんだ? すごいなー。上級魔術師なんて滅多にお目に掛かれないって噂なのに、意外と近くにいるもんなんだな」
カイが驚く。治癒の魔法は、水の上級魔法である。それを使えるエイダールは上級魔術師ということになる。
「そうだよ、先生はすごいんだよ」
ふふん、と何故か偉そうなユラン。
「騎士団に助っ人に呼ばれる時点で腕がいいのは分かってるよ。しかし、あの頬の傷、深いと言えば深かったが、治癒魔法使うほどだったか? いや、この場合過保護さを疑うべきか。『先生』はユランに甘いからな」
「そうですね、あれは今は昔、僕と先生の仲が良かった頃……」
「遠い目をするのはやめろ」
「よし、警邏ついでに繁華街で夕食とるぞ。希望はあるか?」
今日の三人は、日勤に引き続き夜勤である。
西区はアカデミーとその関連施設が多く、そこに隣接して職人街という構成のために、夜の人口は少ない。当然もめごとも少なく、警備隊員が夕食ついでなどという緩さが許されるのも西区だけだ。あまりに暇なので、花街があるため深夜帯が主戦場の南区への応援が常態化しているほどだ。
「はい! 俺、今日は魚料理の気分です!」
カイが元気よく手を挙げた。
「では、第二回『先生の家に出入り禁止になったユランの今後について』対策会議を開催する、まずは乾杯」
さすがに勤務時間内の飲酒は禁止されているので、三人は濃く煮出した茶を冷やしたものを入れたグラスを合わせる。
「で? ユランはどうしたいんだ」
「出入り禁止を解除してもらって、今までみたいに普通に入り浸りたいです」
普通に入り浸る、の定義については、ヴェイセルは突っ込まないことにした。
「『先生のベッドに潜り込むようなことはもうしません』と誓って、許して貰うのが早そうだけどな」
「そんな嘘はつけません」
嘘はよくない、とまともなことを言っているように聞こえるのに、話の流れからすると何かがおかしいユラン。
「つまり、先生のベッドに潜り込むのをやめる気はないんだ……?」
煮魚をつついていたカイがずばっと核心をついた。
「あのベッドは至福の聖域だし、諦めるとか無理」
涙を呑んで回数を減らす努力をするつもりはある。
「泊めてもらえないってことは、当然ベッドも使わせてもらえないってことだぞ」
「はっ」
「おいおい、今気付いたような声を出すなよ……」
呆れたようにヴェイセルに言われて、ユランは今気付いたということを言い出せなくなる。
「先生は『暫く』って言ったんだろ? なんだかんだ言っても、ユランのこと可愛がってる訳だし、そのうち何もしなくても家に入れてくれるようになると思うが」
絶対に許さないというよりは、少しの間反省しなさい、という意味での出入り禁止と思われる。
「そういや合鍵は? 戻したのか?」
「いえ、預かったままです。非常時のために持っておけって」
取り上げられたりはしなかった。
「どっちにしろ、先生はここ数日は家にも研究所にもいないから話せないし、言われた通り、暫くは自分で借りてる部屋に戻ろうと思ってます」
「家主が留守なら、家に泊まっても問題なくない? 夜勤明けに郊外に借りてる部屋に戻るのきついだろ」
ばれなければいいのではという意見のカイ。
「うん、最初に転がり込んだ時も夜勤明けだったよ」
夜勤明け、部屋に戻る前に少し眠りたい、詰所の仮眠室はうるさくて眠れないからここに泊めてほしいと願って許されたのだ。そのまま翌日の非番の日を過ごすようになり、夜勤明けも非番も関係なく普通に行くようになり、今に至る。
「ん、夜勤明けなら昼間だから『泊まる』の範囲に入らないかもしれんぞ……というか、出入り禁止なのか? 泊まりが禁止なのか? どっちなんだ」
ヴェイセルは抜け道を探そうとして、基本情報があやふやなことに気付く。
「ええと、『暫く自分で借りてる部屋に戻れ、うちに泊まることは許さん』だったかな。あれ、もしかして出入り禁止って訳じゃなく、泊まるのが禁止なだけ?」
どうとでも解釈できそうだったが。
「部屋に戻れって言われたってことは、家には来るなってことだとも考えられるが」
こちらの方が正しそうだった。
「やっぱり出入り禁止かー。一度期待させておいて落とすなんて先輩酷ーい」
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