上 下
4 / 178

4「恋は宗教みたいなもんだろ」

しおりを挟む
「先生、僕、顔洗ったんですけど。そろそろ出る時間なんですけど。何か忘れてませんか、忘れてますよね、ほらほらほら」
 行ってらっしゃいのキスは? と言うように、自分の頬を指で示して見せるユラン。
「うるさいしつこいふざけんな。……あ、俺が先に出ればいいんじゃねえか」
 自分が先に出れば『行ってらっしゃい』という状況にならないことに気付いて、エイダールは鞄を掴む。
「『行ってきます』のキスでもいいですけど……ちょ、一緒に行きますから!」
 大股で玄関に突き進んでいくエイダールを、ユランは慌てて追い掛けた。




「ユラン、なんでついてくるんだ、お前の行き先はあっちだろ」
 路地を抜けて表通りまで一緒に歩いて、そこでいつもなら研究所と警備隊の詰所、それぞれに向かうのに、そのままついてくるユランに、エイダールは首を傾げる。
「ま、まさか『行ってらっしゃいのキス』をするまでついてくる気じゃないだろうな!?」
 恐ろしい可能性に気付いて声が震える。
「え、付き纏ったらしてくれるんですか?」
「…………っ」
 エイダールは無言で拳をユランの横腹に叩き込んだ。
「痛っ、冗談ですよ、研究所の入口まで送ったら戻ります、最近物騒なので念の為護衛させてください」


「ああ、そう言えばまた行方不明者が出たそうだな」
 エイダールも事件のことは知っている。
「俺が狙われるとは思えないが、それで気が済むならまあ別に……」
 研究所に寄り道したところで、警備隊の詰所までは数分なので負担は少ないだろうと許可を与える。
「こんな朝っぱらから、警備隊の目の前の人通りも多い場所で襲ってくるとは思えないけどな」
 研究所のあるアカデミーは王都最大の教育機関なので、今の時間は学生の姿も多い。何より、当てつけでもなければ警備隊の詰所から見える場所でわざわざ事を起こそうという犯罪者は少ないだろう。
「そうですね。ただ、初期の頃より手口が雑というか荒くなってきてるので、油断はしないでください」
「分かった、気を付ける。じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃい」


 研究所内に入っていくエイダールを見送って、踵を返すと、研究所の前に乗合馬車が停まった。
「スウェンさん、おはようございます」
 降りてきた青年に、ユランは声を掛ける。
「ユランくん? おはようございます」
 スウェンはエイダールの研究室で助手を務めている。アカデミーを卒業後、すぐにエイダールの助手になり、現在二十五歳。正式な助手としては三年目だが、学生の頃から研究室に出入りしていたので、エイダールとの付き合いは割に長く、ユランとも親しい。
「ギルシェ先生に何かありましたか?」
 ユランがこんな時間にこの場所にいる理由が分からなくて、少し不安そうな顔になる。
「いえ、何もないです、出勤する先生を送ってきただけです」
「そうですか」
 では失礼します、と軽く頭を下げて、ユランは職場へ向かった。




「おうユラン、こっちに来ないでどこに行くんだと思って見てたが、先生のお見送りだったのか?」
 詰所に着くと、ヴェイセルに声を掛けられる。
「おはようございます先輩。いつから見てたんですか?」
「路地を抜けて出てきたところから。いつもならすぐに通りを渡ってこっちに来るのに先生についていくから、どうしたのかと」
「勝手に護衛してました。先生も一応魔力持ちだから、心配になって」
「あの人なら、何かあっても返り討ちにしそうだけどな」
 エイダールは、緩そうな見た目に反して、魔力操作の巧みさは折り紙付き。攻撃でも防御でも付与でも何でも来いという万能型である。器用貧乏ともいう。


「え、あの先生、強いんだ? 研究者なのに?」
 ヴェイセルの横にいたカイが、驚いたようにユランに尋ねる。
「この詰所くらいなら丸ごと吹っ飛ばせるって言ってました」
 エイダールの攻撃系の魔法を見る機会は、素材集めで魔獣を狩るのにくっついていく時くらいだが、その際も必要最低限な使い方である。本気を出した場合どれくらいの破壊力があるのかは分からないが、そういう自己申告は受けている。
「へえー、そんな危険な人には見えないのになあ」
 人は見掛けによらないなーと、カイは肩を竦める。
「危険じゃないよ、先生はすごく優しい人だよ」
「え、ユラン、突然惚気るなよ、びっくりするだろ」
「惚気てないよ、事実だから」
「あ、そう……」
 引きつりながら頷くカイ。
「基本的には研究者だし、生活に役立つ魔導回路の研究が専門だし。荒事に自分から首を突っ込んだりしないし」
 自分から首は突っ込まないが、荒事に巻き込まれたときは正面からガツンと行くというか、積極的になりがちなことは伏せておく。
「たまに騎士団からの要請で魔術師はやってますけど、それも前線じゃなく技術支援系だし。あ、前にそれで勲章を貰ったこともあるって」
「す、すごいんだなー」
「分かってくれて嬉しいです」
 恐ろしく棒読みで相槌を打ったカイに、ユランはうんうんと満足そうに頷いた。




「ヴェイセル先輩、ユランのアレって、何なんですか、先生という名の宗教の話を聞いてる気分になったんですけどー?」
 納得いかない顔のカイに話し掛けられて。
「恋は宗教みたいなもんだろ、相手を崇め奉る系の恋愛だ」
 そういうもんだと思っておこう俺たちの心の平穏のために、とヴェイセルはぽんぽんとカイの背中を叩いてやった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【本編完結】まさか、クズ恋人に捨てられた不憫主人公(後からヒーローに溺愛される)の小説に出てくる当て馬悪役王妃になってました。

花かつお
BL
気づけば男しかいない国の高位貴族に転生した僕は、成長すると、その国の王妃となり、この世界では人間の体に魔力が存在しており、その魔力により男でも子供が授かるのだが、僕と夫となる王とは物凄く魔力相性が良くなく中々、子供が出来ない。それでも諦めず努力したら、ついに妊娠したその時に何と!?まさか前世で読んだBl小説『シークレット・ガーデン~カッコウの庭~』の恋人に捨てられた儚げ不憫受け主人公を助けるヒーローが自分の夫であると気づいた。そして主人公の元クズ恋人の前で主人公が自分の子供を身ごもったと宣言してる所に遭遇。あの小説の通りなら、自分は当て馬悪役王妃として断罪されてしまう話だったと思い出した僕は、小説の話から逃げる為に地方貴族に下賜される事を望み王宮から脱出をするのだった。

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?

第十王子は天然侍従には敵わない。

きっせつ
BL
「婚約破棄させて頂きます。」 学園の卒業パーティーで始まった九人の令嬢による兄王子達の断罪を頭が痛くなる思いで第十王子ツェーンは見ていた。突如、その断罪により九人の王子が失脚し、ツェーンは王太子へと位が引き上げになったが……。どうしても王になりたくない王子とそんな王子を慕うド天然ワンコな侍従の偽装婚約から始まる勘違いとすれ違い(考え方の)のボーイズラブコメディ…の予定。※R 15。本番なし。

運命の番はいないと診断されたのに、なんですかこの状況は!?

わさび
BL
運命の番はいないはずだった。 なのに、なんでこんなことに...!?

あと一度だけでもいいから君に会いたい

藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。 いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。 もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。 ※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります

侯爵令息は婚約者の王太子を弟に奪われました。

克全
BL
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。

龍は精霊の愛し子を愛でる

林 業
BL
竜人族の騎士団団長サンムーンは人の子を嫁にしている。 その子は精霊に愛されているが、人族からは嫌われた子供だった。 王族の養子として、騎士団長の嫁として今日も楽しく自由に生きていく。

風紀委員長様は王道転校生がお嫌い

八(八月八)
BL
※11/12 10話後半を加筆しました。  11/21 登場人物まとめを追加しました。 【第7回BL小説大賞エントリー中】 山奥にある全寮制の名門男子校鶯実学園。 この学園では、各委員会の委員長副委員長と、生徒会執行部が『役付』と呼ばれる特権を持っていた。 東海林幹春は、そんな鶯実学園の風紀委員長。 風紀委員長の名に恥じぬ様、真面目実直に、髪は七三、黒縁メガネも掛けて職務に当たっていた。 しかしある日、突如として彼の生活を脅かす転入生が現われる。 ボサボサ頭に大きなメガネ、ブカブカの制服に身を包んだ転校生は、元はシングルマザーの田舎育ち。母の再婚により理事長の親戚となり、この学園に編入してきたものの、学園の特殊な環境に慣れず、あくまでも庶民感覚で突き進もうとする。 おまけにその転校生に、生徒会執行部の面々はメロメロに!? そんな転校生がとにかく気に入らない幹春。 何を隠そう、彼こそが、中学まで、転校生を凌ぐ超極貧ド田舎生活をしてきていたから! ※11/12に10話加筆しています。

処理中です...