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トリプティック 14
しおりを挟む別れ際、巴は佐藤の躊躇いを感じていた。
この人は何かを言いたくて、私に伝えたくて、でも言い出せない、そんな葛藤を微かに感じていた。
それが自分の望んでいるような言葉なら嬉しいのだが、違う気がした。
そんな迷いを隠すため、佐藤はわざわざ姉のことを聞いたのではないのかと思った。
帰りの車の中、行きの穏やかな多幸感は巴には無かった。
隣の男はさらに無口で、だからという訳ではなく、胸を締め付けられるような切ない感情が巴を支配した。
それがどんな感情か、おそらく生まれて初めて自分自身に認めたのだ。
失いたくなかった。
このすれ違いのような孤独は、自分だけのものではなくて佐藤のものでもあって欲しかった。
異性を渇望する感情が何か、この歳になって理解する、いや、感情とは理解するものではなく文字通り「感じる」―ことになった巴は、もう後には退きたくなかった。
なのに、怖いのだ。
佐藤の本心は何処にあるのか、自分の思い違いならそれは哀しい。
だとしたら、巴には自分が耐えられる気がしなかった。
常滑街道を戻る道すがら、佐藤は大野町の矢田川の手前でアグリスの駐車場に車を停めた。
定休日だからちょっと失礼させてもらおうと目配せすると、車を降りて歩き出した。
「どうしたの?」
「この辺りが好きなんだ。特に理由はないけど」
北に少し進むと、矢田川の橋に出た。
川沿いには船が停留していて、運河沿いのような景色には西陽が射している。
橋の手前を左に入ると、川沿いの防波堤から堤防に出ることができた。
風が出てきて、暑さも少しまぎれはしたがそれでも少し汗ばんでしまう。
「輝君、本当は何か言いたいことがあるんじゃない?」
巴は、自分でもどこにそんな勇気があったのか驚きを禁じ得なかった。
「私なら、何を言われても大丈夫よ」
佐藤は巴を振り返り、じっと見つめた。
そこにはいつもの佐藤の面持ちはまるでなかった。
「名古屋に戻って、飯でも食べよう」
その言葉を聞いて、巴はやはり自分の願いは叶わないのだなと知った。
この人が躊躇っている言葉は、きっと私が求めている言葉ではない。
それはもっと張り詰めていて、おそらくお互いにとってなにがしかの覚悟が必要なのだ。
名古屋に入って、佐藤は巴に何が食べたいと聞いてきた。
巴には、その後で佐藤の本意が聞けるのか確信が持てなかった。
私ですらそうなら、当の本人ならなおのことに違いない。
「ゴメンね、今日は帰る。そのまま送ってくれる?」
巴は自分の迷いに打ち勝つことができなかった。
マンションの前に着くと、路肩に停車して巴を降ろした佐藤は車から出た。
「今日はありがとう」
佐藤の顔には、いくばかりの後悔のような、見たことがない表情が垣間見えた。
感謝の言葉というより、謝っているように聞こえた巴は佐藤の前に立った。
「私が聞きたかったのはありがとうじゃなかった」
巴は、そんなことを言うつもりはなかった。
なかったのにもかかわらず、気持ちとは裏腹の言葉を止めることができなかった。
「嬉しかったし、楽しかったし、切なかったし…
でも、ありがとう。じゃあね」
それだけを何とか言うと、踵を返して部屋に向かった。
私たちはどうかしている。
どうしてこうも思っていることが言えないのだ?
欲しいものを目の前にして、手を延ばす勇気も持てないままに。
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