せつなときずな

岡田泰紀

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せつなときずな 43

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「せつなときずな」43

オフィスは「ハニーぶれっど」が入居するビルの、同じフロアにあった。
美緒さゆりが同行してくれたが、オフィスにいた代表の杉山が刹那に挨拶すると、「私は席を外すね」と言った。
「その方が、お互い第三者に気を遣わず話ができるでしょ?」

刹那はそれもそうだなと思いつつ、やはり美緒の言葉を額面通りに受け取れない、もやもやした感情が喉元に引っ掛かった。

オフィスには杉山と事務員の女性が一人いただけだが、保育スタッフの管理職用のデスクが並んでいる。
向い合わせに並んだ机の奥正面に、全員を見渡すように杉山のデスクがある。
なんだかドラマで見るような、一昔前の事務所のようで垢抜けないなと刹那は思った。

奥の接客室に通されて、杉山と二人になった。
地味な机を挟み、平凡な茶色の革のソファーに腰を下ろすと、痩身でくせ毛の杉山は、少しだけ公彦を思い出させた。
それは、あまりいいイメージではない。

「美緒から聞きました」

その呼び方から、思っていたようにやはりそれなりの関係なのだろうかと刹那は思ったが、杉山の表情からは何も読み取れない。

「うちで面倒みてもいいけど、福原さんはどうしたいの?」

初対面の相手に遠慮ない言葉遣いで遠慮なく突っ込んでくる杉山に少し面食らったが、刹那も負けてはいない。

「私は美緒さんから会ってみたらと言われただけで、杉山さんのところでどうのとか考えた訳ではありません。
どうしたいのかを考えたくてここに来ましたが、お邪魔でしたら失礼します」

自分でどうして、こんな険の立つことを言ってしまうのか刹那はわからなかったが、なぜか、自分はぎりぎりなんだと心中はっきりと言葉にしていた。
ぎりぎりなんだ、きっと。

杉山はしばらく刹那をじっと見ていたが、「いいでしょう。
ではこちらから条件を話します。

どうしたいか考えたらいい」
そう言うと、スタッフが運んできたコーヒーを促した。

「うちの一時託児所で契約社員として採用するとすれば、週休2日有給社保つきで1日8時間、早番遅番が日によって変わるが時間超過手当ては別で月20万。但し契約なので賞与はなし。

この条件にはさらに前提がある。
うちで働く間に保育士の資格を取得して、ゆくゆくハニーぶれっど保育園で保育士として働くことを受け入れるならという条件だ。

それが嫌ならこの話は無し」

杉山は机に置いた煙草に手をのばすと一本取り出し、火を点けてゆっくりと喫った。
その仕草が、妙に生々しく感じられる。

それが何なのかはわからないが、この男は何か違う、刹那はそう思った。

「さらに、これにはもう一つ前提条件がある」

杉山の表情は全く変わらない。

「田辺裕道の義娘さん、あんたが俺の友だちになってくれたら、このスペシャルな好条件は発行される。

高卒で親族会社に数年居候してただけの経歴で、こんな好条件は一宮には存在しない」

正直、綺麗事でない要求がある気はしていたが、それ以上に想定外の義父の名前が出たことの方が刹那を狼狽させた。
この爬虫類のように艶かしい不気味な男の術中にはまっているのだと理解していながら、感情の整理がつかない。

「どうして…」

「田辺は南山大経営学部の同期なんでね。
もっとも、彼と俺は正反対だが」

杉山の声は小さくやさしいのに、言葉が明瞭に聴こえる。
そんな人間には今まで出会ったことはなかった。

「俺には、あんな高邁な理念など存在しない」

高邁な理念がないなら、「友だち」を要求してくるこの青年経営者には一体何があるというのだろうか?

「援助交際とか、そういう話ですか?」

「友だちに援助はない。
友だちになってから、どんな関係になるかはお互いの問題だ。

ただ、俺は賢い女性しか友だちにはなりたくないんでね」

「高卒ですよ、私」

「君は合格してるよ」
このご時世に、法人の経営者がこんなジェンダー差別をできるのかと刹那は呆れてはいたが、嫌悪感はあまりなかった。
むしろ、賢いと認定されたことに浮かれていることに嫌悪感が先立った。

「美緒さんにもそうなんですか?
黒猫に資金援助してるんじゃないですか?」
刹那は畳み掛けるように杉山に言い放った。

「だとしたら、何か?」

「想像に任せるよ」ぐらいの返しを想像していた刹那は、全く表情も変えず手札も隠そうとしない杉山に、強烈に牽かれていく戸惑いを覚えていた。
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