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 テーブルの上に腕を投げ出した昴星は、手のひらの台座の壊れたブローチを転がしながら、ぼんやりとその輝きを眺める。
 櫻川には修理依頼の報酬として、アンバーの嵌められた指輪を渡している。即ち、修理をしてもらう約束だ。
「どうしよう……」
 正直、櫻川には会いたくない。しかし早く修理をしなければならないため、避けている場合ではない。
 ことの発端は、祖母マリアの妹、エレナからの手紙だった。

 ”親愛なるマリアの孫、昴星へ

 元気に過ごしていますか?
 あなたと最後に会ったのは、マリアが入院して以来だったわね。あなたにはさぞかし荷が重い日々だったでしょう。
 あれから二年が経つけれど、決心はついたかしら。いいかげん意地を張らないで、素直に周りの意見を聞き入れたらどうかしら。
 私は、学生のあなた一人では限界があるのを分かって欲しいだけなの。それに、マリアも最後は故郷に帰りたいはずよ。
 いい子だから私のお願いを聞いてちょうだいね。
 最後に。マリアが持っているブローチは、引き継ぐ者がいないのなら私の娘に譲ることになるわ。メンテナンスはこちらでするから用意をしておいて。

 もう一人のお婆ちゃまより“

 昴星は、これで何度目かも分からないほど、手紙を読み返しては溜め息を溢す。英語で書かれた文章を、その都度頭の中で翻訳していくうちに、今ではエレナの声で日本語再生されるようになった。全くもっていらない能力だ。
「荷が重い、か……」
 祖母のマリアが入院したのは、昴星が高校三年生、進路面談の日程の相談をしているときだった。
 話すことと聞くことは出来るが、読み書きが苦手なマリアに代わって昴星が書類の説明をし、具体的な希望日時を記入していたら、目の前で急に倒れたのだ。目の前で起こっている現実が理解できず、呆然とし、声すらも発せなかった。それでも何とか自分を奮い立たせ、救急へ連絡し、マリアの一命を取り留められた。
 しかしマリアは加齢のせいもあり、入院していた間に体力が落ち、退院して間もなくまた病気になって入院を繰り返す、そんな生活が続いている。気付けは、元気だった頃のような会話も少なくなり、日に日に眠ることが多くなってきた。
 この二年、マリアが入退院を繰り返している間、何度となくエレナとは今後についての話し合いをしてきた。
 学生が、子供が介護をする現状を見ていられない。
 社会人になっても、今より時間に自由がない中で、一人で面倒を見ていくことができるわけがない。
 マリアを家族と過ごした故郷に帰せるのは、もうあまり時間がない。
 その言葉を、何度も何度も話し合いをするたび聞かされてきて、その都度昴星は拒んできた。
 理由はひとりぼっちになりたくない、ただそれだけだった。それだけの為にマリアの介護も、家事も、バイトだってなんでも出来た。ブローチを返せと言われるのなら返す。でも、マリアと離れ、家族のいない家で一人で生きていくのは嫌だ。入退院を繰り返し、そばにいられる時間が短くても、それでも最期まで昴星のそばから離れないでいてほしい。思い出の詰まったこの家で、父や母、祖父、祖母の存在が溢れる中で、どうやって生きて行けばいいのか考えられないのだ。
 傲慢で、情けなくて、独りよがりな、弱い自分をどうか一人にしないで。
 昴星は祈るようにブローチを握りしめ、孤独に震えそうになるのを堪える。呼吸がし辛く眉間に皺が寄るのを感じながら、目を閉じ、ふーっと大きく息を吐き、ゆっくり吸い込んだ。何度か同じことを繰り返し、体の力を抜いて握りしめていた掌をほどくと、ようやくリラックスし始めた。苦しさが少しやわらいだようだ。
 まずはブローチ。
「……相談するかぁ」


   ***


「……というわけで、二人にお願いできないかなぁ、と思って」
「待て待て待て待て」
「衝撃的すぎて話が入ってこない、というか出ていきました……」
 昴星が櫻川との一連の流れを簡単に説明し終えると、モニターの中の颯は右手を挙げて静止を求め、近田に至ってはフリーズして動かなくなってしまった。こうなるとパソコンの不具合なのか近田の不具合なのかが分からない。
 いつもの如く、作戦会議という名のオンラインゲームを楽しみながら、昴星は櫻川に対する恋愛感情を正直に伝えた。そしてその想いを櫻川に受け入れてもらえなかったことも。
 なるべく事実のみを伝えるようにし、淡々と話しを終えれば、二人を大いに混乱させてしまったようだ。
「やっぱり顔合わせるの気まずくて。ブローチを持って行ってもらえれば、あとはどうすればいいか分かると思う。一応要望書いてチャットに送っておくから」
 手を合わせて拝んでみたが、二人とも渋い顔をする。暫し沈黙が流れ、先に口火を切ったのは颯だった。
「それ、本当に俺らが行ってもいいのか?」
「うん」
「櫻川、待ってんじゃね?」
「……待ってはいないと思う」
「何でそう思うんだよ」
「……自分の大学の学生に好意持たれても、普通迷惑だろ? 先生の立場になって考えれば、仕事上の繋がりある相手ならなるべく距離を置きたいと思う。実際、俺の気持ちに応えることは出来ないって言われたし」
 昴星は言葉を選びながら、櫻川を悪者にしないように伝える。好きになった昴星も、受け入れられない櫻川も、どちらも悪いわけではない。少なくとも昴星はそう思っている。
 それに、フラットに見ようとするのは自分の心を守るためでもある。そうしないと余計なことまで考え出し、二人に頼るどころか、マリアのことも、ブローチも、バイトや大学でさえも全て投げ出してしまうだろう。
 表面張力で保っている水面のように、今の昴星には、ただの一滴も受け止める余裕がなかった。
「普通の定義を持ち出すなら、応えることが出来ない相手に“かわいい”なんて言うか? 学生相手なら尚更言葉選びは慎重になるだろ」
「それは確かに。近田も違和感を感じました。何かしら憎からず想っている相手だからこその表現だと思います」
「なあ昴星。傍目から見れば、櫻川は“相手に気を持たせて離れさせないようにしてるゲス”にしか見えないんだよ。でもな、明らかに昴星との関係は切りたくねぇし、かといって今すぐどうこう出来る状況でもないのは薄っすら感じる。やっぱり───」
 そこで口を噤む颯は、一度目を閉じ眉間をぐっと押さえる。画面越しにも伝わるほど言いあぐねている姿に、昴星は予想立てながら静かに見守る。
 颯にも、気がある、意識している、という態度を感じるのだろう。
 当事者である昴星だって、なんで、どうして、と思わなくはない言動に、疑問がないわけではない。
 しかし、応えられないと言われれば、それ以上を求められないし、踏み込んで傷つきたくもない。
 心を揺さぶられて、踏みとどまっている水面が決壊し溢れたらと思うと、自分がどうなってしまうのか分からなくて怖いのだ。
「とりあえず、もう一度会って、櫻川が受け入れないなら中途半端にせず突っ撥ねろって言ってやれ。分別のある大人のすることじゃねえだろ。まずはしっかり話してみろ。話さないことには分かんねーし。ブローチの件はそれからでも遅くないだろ?」
「そうですね。この何とも言えない宙ぶらりん感にはケジメをつけるべきです。推しを害する者は駆逐一択……」
「推し……?」
「チカー、昴星が混乱する」
「僕としたことが! 訂正します。神です」
 近田は穏やかな微笑みを湛え、悟りを拓いたように泰然としている。
「ああ、うん。ありがとう?」
 昴星はよく分からないながらも、近田の独特な愛情表現だと受け入れ、礼を述べる。
「まあ、チカもこんなだし、頼まれれば櫻川をシメるなんて造作もねぇから遠慮せず言えよ。なにせこっちにはアイツの天敵(弱点)がいるしな」
 画面越しの颯は物騒な言葉を吐きながら、ぐっと力強く親指を立ててみせ、悪巧みをするようにニヤリと口角を上げた。
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