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 櫻川に気持ちを知られた後、どうやってバイトを終えたのか、昴星はあまり覚えていなかった。気付けば家に帰っており、風呂を済ませて仏壇のある居間で寝転がっていた。
 髪も乾かさず、水滴が畳に染みていくのをそのままに、ぼんやりと虚空を見つめる。
 悲しいのか、辛いのか、苦しいのか。自分でも判別できない気持ちの中で、泡のように湧きあがるのは「どうして」だ。
 どうして櫻川は、『おまえの気持ちを受け取ることは出来ても、返してやることは出来ないんだ』と言ったその口で『可愛いと思っている』と言うのか。どうして期待を持たせるような言葉を吐いて、昴星の心を雁字搦めにするのか。
 すっぱり気持ちを切り捨てたくてもさせてくれず、それどころか櫻川から離す気もない。
 昴星はずるい大人の見本のようだった櫻川を思い浮かべ、ふっと息を吐いた。胸中がネガティブな感情で複雑に絡みあっているにも関わらず、『好き』の二文字が消えない。
 ぎゅっと唇を噛み締める。
 酷い男だと解っているのに、心の中はまだ『好き』が支配している。どんなに嫌いだと思っても、それを上書きするように好きが溢れてくる。
「……可愛いって何だよ」
 好きだという想いが苦しくて、愚痴っぽくつぶやけば、益々苦しくなった。
 可愛いなんて、愛情がなければ出てこない言葉ではないのか。少なくとも昴星ならば、何も思わない相手に出てくる言葉ではない。
 眉間に皺を刻み、唇が震え出す。
「そう、思うならっ」
 好きになってよ、と言う言葉は嗚咽に紛れて音をなさなかった。
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