櫻川准教授は今日も不機嫌

たぶん緒方

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     ◆


 聞かなければよかった。
 ただただ、その一言に尽きる。桐島から伝えられた櫻川の過去が、昴星の肩に重くのしかかる。興味本位で聞くような話ではなかった。聞くのであれば本人の口から聞くべきだった。
 昴星は、静かに息を吐く。
 何も知らないふりをして、櫻川と会えるだろうか。それとも、聞いてしまったことを告げた方がいいのだろうか。
 ぐるぐると考えあぐねても答えは出ない。だけど、櫻川のことを知りたいと思ったのは昴星自身だ。ブローチ修理の大事な取り引き相手なのだと、大義名分をぶら下げてまで櫻川のことを知りたかった。
「……え」
 と、思わず声をもらすと、誰に聞かれた訳でもないのに手のひらで口を覆う。
 どうしてそこまでして櫻川のことを知ろうとしたのか。取り引き相手の中身や過去にこだわる必要などないはずだ。そもそも大義名分が必要とするのは何故なのか。
 ブローチの修理をしてもらえれば、いいだけの関係なはず。これではまるで好意を持っているようではないか。
「いやいやいやいや」
 あるわけない、と自身に芽生えた気持ちを打ち消すように頭を振り、力尽きるように蹲った。
「好きになるとか、ありえない」
 昔から老若男女から好意を寄せられ怖い目にもあったが、だからこそ同性を対象とする人もいるのだと理解していた。しかし、いざ昴星自身が、となると動揺してしまう。
 同性で、自分より背が高くゴツい体をした、いつも少し不機嫌なそうな彼を、本当に好意を抱いているのか。キスやセックスといった欲を抱いているのか、幼い時に接点のあった親近感からわいた独占欲めいたものなのか。考えれば考えるほど分からなくなる。
 愛と情と欲。愛されれば違いが分かるのなら、誰でもいいから愛してほしい。
 この好意は勘違いだと教えてほしい。傲慢で自分勝手な自分に。


   *** 
 

 昴星はあまり授業を休むことをしない。それは子供の頃から変わらず、少々の体調不良でも顔には出さず一日を終えることがままある。なるべく予定通りに行動し、できる限り前倒しして、後にゆとりが出るようなタスク処理するのを良しとしているのだ。そのことをよく知っている友人である颯は、連絡もなく休んだ昴星の身を案じていた。何度となく使っているSNSアプリを開き、メッセージを送るが一向に既読がつかない。
 日曜の夜、ブローチの進捗確認がてらにゲームの誘いをかけたが、電話越しからでも伝わるほど具合の悪さを感じ、すぐに通話を終わらせた。が、それが間違いだった。
 翌月曜日、同じ講義を取っている昴星がいつまで経っても現れないため、おそらく今日も具合が悪いのだろうと察した。見舞いに何か欲しいものがあれば持っていくと、メッセージを講義中に送っていたが既読にならず、じわりと不安がよぎった。
 次の講義は近田と一緒だ。昴星のことを相談するには良いタイミングだと、腹を括る。いつもの待ち合わせ場所へ、逸る気持ちを抑えて颯は向かった。
「チカ」
 先に来て待っていた近田を見つけ、声を掛ける。
「颯くん」
 手持ち無沙汰だったのかスマホを弄っていた近田は、颯の姿を見るなり興味が失せたようにそれを胸ポケットへ仕舞う。
「昴星のことなんだけど、長くなりそうなんで講義終わったあと、見舞いに行く道中で話すわ」
「分かりました。とりあえず席につきましょうか。場所無くなっちゃうんで」
 次の講義は女子の人気の講師らしく、早めに席に着いておかないと良い場所がなくなってしまうのだ。徐々になくなりつつある席を見て、少しばかり焦った。ほどほどに距離が離れていて、周りの干渉を受けにくい場所がないか見回し、近田に目配せをして移動する。席に着いて間もなく、女子の黄色い声が上がる。目を向ければ教壇に件の講師が立っており、至って冷静な声で「静かに。始めますよ」と言っていた。
 年は三十代半ば。オーダスーツがすらりと伸びた手足の長さを引き立て、一見モデルのようにも見える。相貌は言わずもがな。女性受けの良さそうな甘めな雰囲気である。
「人気があるのも、大変なもんだな」
 颯がそう言うと、近田も神妙に頷く。
「そうですね。毎度同じ状況は気の毒です。が、高スペックイケメンは滅べば良いのですよ。人類繁栄のために……」
 後半はハンカチを噛んで引きちぎりそうな勢いで捲し立てる。
「チカはブレねえなぁ」
「女性との出会いで一番の障害は、高スペックなイケメンが近くにいることですからね? 丸腰の近田が太刀打ちできない悲しみ……」
「まぁ高スペックイケメンは強ぇわな。つか、昴星は? あいつもそうだと思うけど」
 颯がそう言うと、おもむろに近田が両手を組んでそこに顎を乗せる。
「昴星くんは、もはや”推し”です。老若男女問わずスマートに対応する様は王子のような優雅さ。且つ、友人に対する気やすさや近田のような相手をも受け入れる度量の広さ。昴星くんを推さずして誰を推すというのか」
 真顔で友人を推しだと滔々と述べる近田は平常運転である。
「チカも黙ってればイケメンの部類なのに、喋ってすべてを台無しにするよな」
「イ、イ、イケメン! 初めて言われました……。何でもっと早く教えてくれないんですか? 酷くないですか? もしかして、イケメン近田に嫉妬してます?」
「うるせーわ」


   *** 
 

 講義を終えて、講師に群がる女子たちを横目に、颯と近田は昴星の見舞いに向かった。途中、コンビニでレトルトのおかゆやゼリー、スポーツドリンクなどといった飲食しやすいものを買い込む。講義中や道中でスマホを何度か確認したが、既読は未だ付いていない。
「昴星くんは、結局ひとりで祖父母の家で暮らしているってことですよね」
 近田が静かにこぼす。
「ああ、中学からずっとそうだな」
 颯は遠くを見つめ、記憶の糸を手繰りながら話す。
「あいつ……、中学のときは今ほど背ぇ高くなかったし、可愛い顔してたから女子が放っておかなくてよ。何かと構われて、寂しがる暇ねえじゃん、って思ってたんだけど、男子の中に上手く入っていけない時期があってな」
「思春期あるあるですね。女子と仲良くする輩は敵、みたいな」
「敵……。そうだな。そうだったかも」
 颯は苦笑いしながら「チカがうじゃうじゃ居たわ」と、近田を揶揄う。
「バカにしてますね」
「まあな。……でも、拗ねてるチカみたいに思うやつが多くて堪えてたのも本当だし、相談出来る相手もいなかったのは辛かったって、後で話してたしな」
「後で話してって……。颯くんは昴星くんと仲良かったんじゃないんですか?」
 訝しげに颯を見る近田に、溜め息混じりに首肯く。
「仲は良かった。けど昴星とはクラスも違って部活もしてたし、会う機会もなくなってさ……。たまに見かけると誰かしら女子が居たから、大丈夫だろうって勝手に思ってたんだ」
「そうだったんですね……」
「俺は何にも分かってないガキで、昴星が悩んだり落ち込んでるとき、いつも気が付かない。いつも後になってから知る。だから、見守ることしかできなくても、辛いときにはそばに居てやりたい」
 真っ直ぐ前を見つめる颯の隣で、近田は黙って頷いた。
 そうしてぽつりぽつりと昔の出来事を話しながら、昴星の家へと続く銀杏並木が目に入る。季節になると黄色に色づく木々は、今は風で緑の葉を揺らしている。
 道なりに、緩やかな勾配のある住宅街を十五分ほと歩くと、純和風の一軒家が見えてくる。生垣を二段にし、目隠しとほど良い抜け感で、目を凝らせば庭の様子が分かる程度には、木々の隙間から中を窺うことができる。颯は勝手知ったる躊躇いのなさで、二段目の生垣の隙間から中の様子を窺う。颯の予想では縁側の雨戸を閉め切っていると踏んでいたが、予想に反して雨戸は開け放たれ、縁側にぼんやりと座る昴星が見えた。障子にもたれ、長い足を投げだしている様はどう見ても生気がなく、まるで人形のようだ。
 驚いた颯は慌てて門扉に回り込み、それに呼応するように近田も駆け寄った。門扉の隙間から手のひらを無理矢理突っ込み、閂式の施錠を外す。
 昴星はその音で気付いたのか、慌ただしく庭に雪崩れ込んだ颯と近田を見て、ふっと表情に正気が戻った。
「どうしたの、二人とも。驚かせないでよ」
 昴星の目は驚きに見開いていたが、普段通りの穏やかな口調で、颯も近田も拍子抜けする。
「……ばか! 全然連絡つかねえし、心配したんだよ……」
 先に口を開いたのは颯だが、隣で近田も大きく頷いている。
「え? ……あー。スマホ見てないや、ごめん」
 昴星はポケットの辺りをぱたぱたと手探りで確認し、申し訳なさそうに眉を下げた。
「いや、それならいい。……久しぶりだし、挨拶しねーとな」
 言いながら颯は、沓脱石の上で無造作にスニーカーを脱ぎ、躊躇なく縁側から室内へ入って行った。
「あ、近ちゃんも上がって。お茶くらいしかないけど」
 昴星がさり気なく颯の靴を避けながら揃えて、近田が入りやすいよう気を配る。
 それを隈なく見ていた近田は真顔で昴星を見つめた。
「大和撫子は男性にも当てはまるのですか?」
「え? 大和撫子? いや、邪魔でしょ、スニーカー。近ちゃん上がりにくいじゃん」
「ああ……なるほど」
「颯って雑だからね。昔から注意してるのに全然直さないんだよ。もう弟くらいの気持ちで見るしかないよね」
 縁側で膝をつき、困った顔で小首を傾げる昴星の様が、近田のイメージする大和撫子から少し離れ、より身近で覚えのある単語が浮かぶ。
「お母さん……!」
 まるで生き別れの親子のような感動場面さながら、近田は昴星を両腕で抱き締める。
 奥で一部始終を見ていた颯を横目で窺うと、盛大に吹き出し肩を揺らしていた。昴星は脱力しそうになるのをなんとか堪え、近田になんとか声をかける。
「これ、誰得?」
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