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「先生!?」
 店の裏口から少し疲れた顔で柊木昴星は現れると、櫻川を目に入れた途端驚きの声を上げた。
 フェンスに凭れてスマホを弄って時間つぶしをしていたが、想定以上に早くバイトが終わったようで助かった。櫻川は背も百九十近いうえに結構ガタイが良いので、威圧感だけは無駄にある。あまり長い間待ち続けたら、不審者として通報されるのではないかと危ぶんでいたのだ。
「帰ったんじゃなかったんですか?」
 そう言いながらも昴星はほんのり嬉しさが滲み出ていて、うっかり見惚れてしまいそうになり、不自然にならないようやんわり視線を外す。
 櫻川が受け持つ学部とは違うにも関わらず、柊木昴星の名前はちょくちょく耳に入るのだが、噂は伊達じゃないと納得する。
 〝爽やかでみんなの王子様だけど、なんだか可愛い〟
 研究室の女子だけでなく男子も、嫌味がなくて好感が持てると話しているのを小耳に挟んだことがあるから、対人スキルが高いのか、持って生まれた性格なのか。どちらにしても、そのどちらも持ち合わせていない櫻川からすると羨ましい限りである。
「酔い覚ましにな。それより、今から少し時間取れるか?」
 櫻川の問いに、昴星は慌ててスマホを取り出して時間を確認する。
「先生こそ時間大丈夫ですか?  十一時過ぎてますけど、お疲れじゃないですか?」
 さっきまで働いていた昴星に気侭に呑み食いしていた櫻川が気遣われ、出来過ぎ対応すぎやしないかと胡乱げな眼差しを向けてしまう。下手な営業マンより余程人当たりが上手い。
「おまえ…、そこまで必死か」
「え、必死?   何のことですか?   バイトはわりと楽しんで仕事してますよ」
 昴星は曇りのない瞳を櫻川に向け、周囲の店の灯りや街灯だかで、瞳がきらきら輝いている。初めてしっかり顔を合わせたが、こんなに綺麗な目をしていたとは気が付かなかった。まるで宝石のようで、ずっと見ていたい。
 吸い込まれそうだ、そう思ったときには遅かった。
「先生?!   酔っ払ってるんですか?!」
   はっと我に返り、状況を瞬時に把握する。
 櫻川の手は昴星の顎を捉え、きらきら光る瞳を食い入るように覗き込んでいた。
「っ…、すまん」
 離れ難いなにかを感じながらも手を離し、やり場に困ったその手で頭を掻いた。
「い、え…。ちょっと驚きましたけど大丈夫です!   女の子だったらセクハラですけどね」
 少しぎごちなさの残る顔で、昴星は余計な一言も添える。
「えぐるな」
「ははは、冗談ですよ。先生ちゃんとしたらモテそうなのに。そしたらセクハラって言われないんじゃないですか」
 もう普段どおり減らず口を叩く昴星にほっとし、櫻川も負けずと言い返す。
「モテてモテて困るからわざと野暮ったくしてんだよ。こんな優良物件が丸腰で歩いてたら、三日で結婚式挙げられてるわ」
「自分で優良物件って言っちゃうんだあ。ドン引きですー」
「おまえが言い出したんだろう」
「そうなんですけど、ドヤられると茶化しがいがないって言うか」
「事実だから仕方ないだろうが。この間会合の後、オネエちゃんの店のトイレの個、」
「トイレの?   何ですか興味深い話ですね。続きをどうぞ」
 テンポ良い掛け合いにうっかり口を滑らしそうになり、咄嗟に自ら手のひらで口を塞いだが、昴星の目は猫のように丸く興味津々だ。これ以上は教育上よろしくない。
「こんな話をする為に待ってたんじゃない」
「ええー!   ここでぶった切りとか!」
 年代物の腕時計をかざし、時間の計算をする。おりしも今日は週末の金曜だ。明日は休みで、学生である昴星も講義はない。
「そろそろしっかり事情聴取しようと思ってな。どうせ学校でも店でも話せることじゃないし」
「ここで事情聴取はどうかと…」
 ボケているのか天然なのか、申し訳なさそうに伺ってくる昴星をスルーして、櫻川は顎をしゃくる。
「すぐそこに仕事場兼、仮眠室があるから付いて来い」
「自宅じゃなくて?   別宅?   准教授って儲かるんだ…」
 後を付いてくる昴星は独り言のようにぶつぶつ呟いている。
「あ?   違うぞ。学生の頃から住んでたところを仕事場にしただけだ」
 昴星が間違った情報を植え込みそうだったのできっちり訂正する。
「いや、それが出来るのは一部の人間だけなんで。俺、就職しても結婚してもそんな余裕絶対ないですよ」
「何を自信満々に言ってるんだ。学生なんだから夢くらい持て」
「夢なんて持てるのは、何も知らない子供の頃だけですって」
 声のトーンが少し落ちたように感じ、思わず振り返って昴星を見遣ると、少し疲れた横顔があった。ただ、やはりその瞳は、店の灯りやネオンが反射してきらきら輝く宝石ーーアンバー〈琥珀〉ーーのようだった。
 宝石のようなこの瞳は天然なのか、それとも人工(コンタクト)なのか。
 真実を解明したい欲求が高まるが、先ほどの二の舞は困る。今度こそ正気を保っておかねば。
「一人称が“俺”になってるの、気付いてるか?」
 するりと話題を変え、慌てふためく昴星を尻目に櫻川は歩みを進めた。
 まずは事情聴取だ。
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