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第二章
第二章 モズニエ-19
しおりを挟む「そんで、尾梨さん。いやえーっと、呼び方変えていい?」
「かはりでいいよ。」
「度重ねだけどまともに話聞いてくれてありがと。」
パソコン室はカーテンが閉められていて日差しが入らない、時計もあるけれど時間の感覚はいまいち掴めない。
それでも廊下のいつものざわつきが、もう拘束時間が終わったことを証明している。
学生が好き勝手に動ける時間は限られる、授業中に仮病なんて使える人はその時点で普通じゃない。
高校生の放課後は貴重だ。
ドナーはいない、今の時間はもうエナメルバッグの中にいるかもしれないが、それより前にかはりはGaBに呼び出されていた。
「ううん!こちらこそ全然!ビビり過ぎてわたしこそ暗めだったし!」
「ずいぶん元気いいじゃん。」
「昼のアレは結構怖かったんだよ!そりゃ元気無くすよ、奥の部屋に先生だっていたし。」
「先生?」
「そう図書室のね、お弁当食べてる邪魔は出来ないよ。すごく優しいけどね。」
「そっかぁ。」
ディスプレイの向こう側、GaBは軽めの声で優しいねえと笑った。
顔文字の様に記号的な集まりがキャラクター風の顔に見える、だがそれらの細部が不規則に揺れていてただの画像でない事もわかる、もっとリアルタイムな何かだ。
悪いやつじゃなさそうだけど、こんな所に連れ込んで、何をするつもりなんだろう。
ヘッドホンすら今はしていない、液晶に向かって笑えばレスポンスがある、通話みたいだった。
GaBは自分を高性能なAIだと言った、電波や情報を伝って生きているらしい。
どうしてこんなところにと聞けば帰ってきた話題はドナーについてだった。
「どんだけデータを漁っても、出て来るのは臓器とか骨髄の提供の話。本当は苦手すけど、実際に現地に赴くしかなかったというまあまあ情けない話。」
「不便?苦手なんだ。」
「そりゃあ。パソコンとパソコンの間を、わりかし無理して移動してるんでね。ぜーんぶインターネットで済んだら、だいたいいつもはそれでいいんですけどね。」
「大変なんだね。」
「まあ、でもおかげで今こうして話せてるわけだし。オレとしては悪くないですよ。」
パソコン室の先生用の一台から笑ってみせる、その笑顔は確かに愛嬌があってかわいらしいかもしれない。
「調べても先生の事は出てこない、そうだね。そうだよね。でもまずさ、その名前はどこから知ったの?」
「高性能な脳細胞の検索結果とでも。オレはこう見えても、そこそこ優秀でね。」
「自分で言うんだ……」
「事実だからね、そこは自信持って言えるわけっすよ。」
GaBは誇らしげに続ける。
AIはなんでも知っている様に答えを返す、そんな風に遊んでいるクラスメイトを見たことがある。
「でも新しくわかったのはその名前と…あの動画ぐらい。」
「先生、わたし以外の人ともお話しできたんだ。」
ドナー曰く、自分の言葉は他人には上手く聞こえないと言っていた。
かはりだけが特別なのだと思っていた気持ちがまた萎む。
友達は多い方が楽しい、そうだけど、先生が普通じゃないからこそ自惚れみたいな気持ちはあった。
この画面の中で揺れ動く何かに比べたら、全然特別ではない自分がいる。
わたしはまだ何も知らないのだと、それなのに全てを知った気になっていると、思い上がっていたことが頭を通り過ぎて気分とトーンが落ちていく。
少し悩んでしまう、話せることは限られているし、何よりこれは先生とわたしの秘密みたいなものだと思う。
「いや、そういえば。先生の話って他の人にしたらいけないって…。」
「今更?でも気になるなあ、色々調べちゃうのが癖になっちゃってるから。うん、じゃあオレが知ってることたくさん話しますよ。椅子にでも座って座って。」
申し訳なさそうに言うけれどその声色からは好奇心が隠しきれていない。
立ちんぼになっていた様子にも気づいていたんだろう、促されるままに席に座る。
パソコン室の椅子は妙にクッション性があり、手すりまでついている。
かはりはGaBの顔の様なものが映るモニターに向かい合う、目が合う。
「それでまあ、なんでここにいるかって言うと、ドナーみたいな奴って結構いるんですよ。意外とね。」
「どういうこと?」
「うんにゃ、人でもなければ動物とも違う、そのくせ実在している色々な決まりに違反したよくない生物。それがねえ。若干脱走した、的な。」
「……ええ?」
画面にGaBの顔とは別にいくつかのウィンドウが開く。
脅威度だとかグラフだとか、全身が赤黒い肉塊で構成されだとか、そういう文字列が大真面目に並んでいる。
その内容を理解するのは、とても嫌なことだった。
「ま、簡単に言えば、オレはそんな存在を駆除する仕事をしてるんすよ。だからここに来れた。そういう事っす。」
「ちょっと待ってよ、つまり何する気?」
声を上げると、GaBは少し言葉を変えて問いかけた。
「そうだな。オレの知ってる限り、ああいう生物ってのは、少なくとも人間社会には存在しない。見たことあるか?肉色の全裸の巨人。」
「全裸じゃないよ!」
思わず声が大きくなった、椅子から立ってつい抗議してガタンと大きな音が鳴る。
「ああ、服着てたかあ……確かにあれ、服なのかなぁ……?まあいいや。」
GaBはその様子を見て笑った、楽しそうに見える笑い方だった。
「悪かった悪かった。びっくりするよね。オレも最初はそうだったなあ。でも、あの見た目が肌色500%な事には違いはない。普通の人にパッと見せたら裸呼ばわりの方が多いとは思うよ。」
「うえぇ。」
「ま、そんな奴らがいるってことさ。人間にどうにか紛れて生きているヤツらが。そんな危険なやつを野放しにしておけないでしょ?」
「別に危険ではなくない?」
「いいね、そういう考え方。」
GaBがまた電子音を鳴らす。
ドナーを危険だと思ったことはない、むしろ危険から守ってくれている、間違った話だ。
おばあさんな図書の先生を助ける事はそれこそ絶対正しい判断だったし、めんどくさがれば勉強なんて教えてくれない、悪いやつと誠実さはかはりの中では結びつかない。
「嘘だよ、噓うそ。むしろ逆でしょ。わたし助けてもらったんだよ?」
「それなんだよな。……なんか、その反応を見るに、アイツ何も話してないんだ。」
「正体も何も、わたしの大事な先生だし。それが正体でいいじゃん。」
「んあ。」
GaBが声ではない電子音を溜め息みたいに鳴らした、何か不味いことを言ってしまっただろうか。
「うーん、まず前提なんだけど、あれは人間に危害を加える可能性がある。それはわかるかな?」
「わからない。」
即答だった、当たり前だった。
あんな優しかったら誰かを傷つけるわけがない、ましてやわたしの先生にそんなこと出来るはずがない。
「えっと、その根拠のない信頼は何ですかね。考えてみ?もし仮にあれが自分に向けて牙を剥いたとしたら、かはりちゃん逃げれる?」
少し意地悪な質問だと思った、そもそも先生に牙なんてあっただろうか。
自分の身に何かあるより、ドナーに危害が加わる方がよっぽど嫌だ。
「そのまま逃げて逃げて大通りまで行ってさ。あいつが駅前とかでも暴れ出したとするじゃん。そしたらどうなると思う?」
でも意図しているところは分かった、口に出さないだけで感じていないわけではない、それより安心が上回っているだけで、恐れもほんの少しだけあった。
「警察があいつを取り囲んだ時、どんな行動をすると思う?」
とても口に出せない僅かな本心だ、先生はきっと優しいからそんなことを言えば居なくなる、そんな気がした。
納得できない理由だ、そう思うけれどそれをそのままは言い返せなかった。
勝手なイメージを抱いているかはりと、どう考えても自分より賢そうな目の前の機械音、ドナーに印象を押し付けているのはどっちの方なのか。
黙っているとつらい質問をしてくる、まるでゲームか何かのように遊んでいるみたいだとすら思った。
どれだけニコニコとわかりやすい表情をされていても、そのバサリと切られる現実はひどく冷めている様な気もした。
「先生は。」
言い淀んだ、モニターから目を逸らした。
「……先生に聞かないと分からないよ。」
そう答えるしかなかった、本当は今すぐにでも聞きたい、全部知って安心したい。
知らない方がいい事もあるんだって、大人に言われても仕方ない、それでもだ。
なんでなんだろう、どうしてわたしはこんなにも怯えているのだろう。
今迄通りで良いじゃないか、待ち望んだワクワクな未知と出会いじゃないか、何を怖がる必要があるんだろう。
その答えが出ないまま時間だけが流れてしまう、居心地の悪い沈黙が流れる中、その空気を破る様にGaBが言った。
「危険性を理解しないまま、このままってのは良くないと思うんですよね。」
「どうして?」
「アレに関わってほしくないからね。オレはアンタを気に入ってるし。」
「そんなの勝手じゃん。」
思わず語気が強くなる、自分勝手な事を言う相手に怒りすら覚えかけた。
「……うん、やっぱりオレのこと怪しいと思うよね。オレもそう思うわ、でもしょうがないじゃん、こうするしか思いつかなかったんだから。それにほら、オレはキミの味方だよ。」
「わたしの?」
「そ、君が幸せになれるようにって願ってるからさぁ。だから協力して欲しいわけ。わかるかな?本題に入るけどさ。」
GaBは前置きをした。
「あいつ、多分だけど。キミに嫌われたくないんだと思うんだよね。」
「なにそれ。」
「オレは今、先生と直接話せる人間を探してたんだ。かはりちゃんはドナーの言葉が理解できる、そうだよね?」
「そうだよ。」
それだけは自信を持って言えた。
先生の言っていることは分かる、たまに難しい言葉はわからなくても、先生がかはりに向かって伝えてくれることはほぼ全部理解出来る。
だって今までずっとそうだった。
「話が早くて助かる。正直言うと一番適任なんだ、オレとしてもキミにやって欲しいと思ってる。」
目の前のロボット的存在についてはまだ何もわからない、だから怖い。
「オレがいないとドナーから聞けない話は、絶対にある。」
けど、共に聞かなくちゃいけない。
勇気を出して、一歩踏み出さなきゃいけない。
このよくわからない画面越しの存在も、もしかしたら、ドナーと同じでいい関係になれるかもしれないから。
「危ないのと傷付けるのは、ナシだよ。」
「勿論。危ないことはさせない、約束しよう。」
「あと、先生のことも…すぐには連れて行かないで。」
「わかった、それも約束する。」
今はその言葉を信じるしかないと思った、それを救いと思うしかない。
「……じゃあ、やるよ。」
GaBがまた電子音を鳴らして、モニターの中の光の線を嬉しそうに跳ねさせた。
ちょっとうるさい、外に音が漏れてないか心配になる。
「それは良かった。つまりその能力を使ってほしいわけなんですよ。」
能力、そんな心躍るはずの言葉にも、かはりは今はときめけなかった。
「…先生とオレの間を取り持って下さいよ、これは間違いなく、キミにしか出来ない。ネゴシエーター、すね。」
パソコン室が一瞬震えた気がした、唸りみたいな起動音を立てて、そこにあった全ての画面にGaBは顔を映した。
舞った埃をライトが照らす、適当な掃除の証拠がきらきらと瞬いている。
青白い顔文字風の光がキョロキョロとしている、派手で綺麗だ、この存在も恐らくはそれなりに異常だ。
そして同時に不気味でもあった、自分の知らない世界に踏み込んだ感覚がある。
いや、既に望んで踏み入れていたのかもしれない。
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