約束へと続くストローク

葛城騰成

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第六章 過去と向き合うストローク

第二十六話 傷の正体

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 インターハイを欠場する程の怪我なんて、いったい柊一君の身になにがあったのだろうか。

「三島さん、焦る気持ちはわかるけれど、順を追ってわかりやすく話してくれると助かるわ」
「うん。わかった。今からなるべく順を追って話していくね。前にさ、おにぃがどうして休んでいたのかを聞いてもシュート君は頑なに喋ろうとしないって話をしたの覚えてる? 今週から強化合宿の期間みたいで、東京松風高等学校の水泳部は千葉県の海に行っているみたいなんだけど、ここ最近のシュート君は落ち込んでいたり、上の空でいたりすることが多いみたいで、まともに会話にならなくて聞くことができてないんだって」

 立清学園での生活が始まったばかりの頃、柊一君からもらった手紙に強化合宿のことが書かれていたのを思い出す。
 そっか。近畿大会が行われるよりも前に、関東大会が行われていたんだもんね。
 大会の疲れが取れた頃合いかつ、八月を目前に控えたタイミングで合宿を行うのは、理にかなっているかも。

「そんな状態で特訓をしていたシュート君は、監督が行ってはいけないよって注意していたはずの区域まで泳いでしまって、そこで溺れてしまった。シュート君の元気がないことをずっと気に掛けていたシューイチ君が、異変にすぐ気が付いたから救助できたものの、インターハイまでには治すことができない程の大怪我を右腕に負ってしまった」
「そんな……」

 あまりの悲惨さに口元を両手で覆ってしまう。ウチが水泳部を辞めようか迷っている間に、そんな事が起きていたなんて。みっちーが狼狽していたのも頷ける。

「それから柊一はどうしているのかしら?」
「うん。入院はしていないみたいだけど、相当ショックだったんだと思う。今はホテルの自室に籠ってしまって誰とも話そうとしないみたい」

 食堂にいるウチら以外の寮生は、ほとんどの人が食べ終えているみたいで、会話に華を咲かせている。皆、楽しそうにお喋りしていて、一日の終わりを噛みしめているみたいだった。それなのに、璃子は目を伏せて悲しそうな表情を浮かべているし、中條ちゃんは空になったコップを掴みながら俯いてしまっている。ウチらのテーブルだけはお通夜みたいな空気が流れていた。
 こんな事態になってしまった遠因はウチにある。
 柊斗君が会おうと言ってきた手紙に対して、すぐに返事を書いていれば防げたかもしれない事態だからだ。
 ウチがもっと真剣に約束に向き合っていれば。ウチが曖昧な態度をとっていなければ。後悔ばかりが浮かび上がってくる。

「今回の件で、一つだけ良い点を無理矢理挙げるとすれば、シュート君がおにぃに相談してくれたこと。さすがのシュート君も自分を許せなくなって、どうして金井っちと会おうとしたのかなど、すべて話してくれたんだ」

 兄弟なのもあって柊一君と常に比べられて生きてきたこと。
 なんでもできる柊一君に劣等感を感じていたこと。
 ウチが告白した相手が柊一君だったこと。
 転校してからもウチのことを忘れられなかったこと。
 本当は手紙のやりとりをしているウチと柊一君が羨ましかったこと。
 柊一君が関東大会を突破して約束を果たしそうで焦りを覚えたこと。
 どうにかして、ウチと特別な関係になりたいと思ったこと。
 いろいろと聞くことができた。

「そのシュートって人は、なんなの⁉」

 不意に中條ちゃんが勢いよく立ち上がった。

「さっきから話を聞いていれば、自分勝手な気持ちばっかりじゃない! 少しはお兄さんや金井ちゃんに対する謝罪の気持ちはないの⁉ そんなに比べられることがコンプレックスだったならもっと頑張ればよかったじゃない! 水泳がダメなら自分が活躍できる分野を探せばよかったじゃない! そんなにずっと好きだったなら、とっとと金井ちゃんに告白すればよかったじゃない!」
「ちょっ、ちょっとなかじょっち!」

 怒りを露わにする中條ちゃんをみっちーが宥めようとするが、興奮は収まりそうになかった。食堂にいる人たちからの視線をものすごく感じる。

「金井ちゃんは悔しくないの? こんな自分勝手な人のせいで、恋や水泳を諦めなくちゃいけないところまで追いつめられたんだよ? 私は悔しい! こんなのってあんまりじゃないっ!」

 確かに中條ちゃんの言う通りだ。皆が動いてくれなかったらウチは諦めてしまっていたと思うし、絶望している自分の姿を容易に想像できるよ。
 中條ちゃんが顔を真っ赤にして怒ってくれたお陰で、柊斗君の心情に想いを馳せることができるくらい冷静でいられた。
 あの頃のウチは、なんでもできる柊一君ばかりを目で追っていて、柊斗君を見てあげることができなかった。彼の実直さや、失敗しても諦めない強さを知っていた筈なのに、きちんと評価してあげることができなかった。
 柊一君の背中を追いかける柊斗君の気持ち、今ならわかる。
 多分それは、ウチが璃子をライバル視していたことと似ている。
 当時のウチがどれだけ頑張っても璃子に届かなかったように、柊斗君がどれだけ頑張っても柊一君に届かなかったのだとしたら。そう想像しただけで、胸が痛んだ。

「中條さんの言っていることはごもっともだわ、貴方の怒りは正しい。でも、あたしは柊斗の気持ちが少しだけ理解できてしまうの」
「え?」

 中條ちゃんが、虚を突かれたような顔をする。

「自由な泳ぎも、初恋も、全部。いつもあたしの欲しいものを奪っていく紗希が、妬いちゃうくらい羨ましかったことが……あったから」

 璃子の姿が、どこか憂いを帯びているように見えた。
 天井を見上げる彼女の瞳は、どこか遠くを見つめている気がした。

「それで? 三島さんの話を受けて、紗希はどうするの?」
「……」

 目を瞑る。
 瞼の裏には、今でも宮津市で遊んでいた頃の記憶がこびりついている。三人で浜辺を走っていた輝かしい景色が。
 ウチに柊斗君がしたことは許せないことだ。まだ彼から受けた傷は癒えていない。
 けれど、彼を傷つけたのはウチの方が先だったのかもしれない。
 彼を見なかったこと。彼との繋がりを維持しなかったこと。三人で文通をしなかったこと。この傷は、あの頃の後悔が生んだ痛みでできている。
 だから、ウチは――。

「ねぇ、みっちー。頼みたいことがあるんだ」
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