約束へと続くストローク

葛城騰成

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第四章 心煌めくストローク

第十五話 近畿大会、開始!

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 七月二十二日、和歌山県にある会場で近畿大会が行われた。観客席によって四方を囲まれた50メートルプールを天井に吊るされた無数のライトが照らす中、各校の選手がプールサイドへと入場していく。その様子を見下ろすウチは、隣に座るみっちーと会話をしながら試合が始まるまでの時間を潰していた。
 会場の壁に備え付けられた巨大なモニターには、これから試合に出場する学校と選手の名前が表示されている。立清学園と書かれたデジタル文字を見つめていると、顔が強張っていくのを感じ、自分が思っている以上に緊張していることに気付いた。
 近畿大会で最初に行われるのはメドレーリレーで、これから戦うのはウチじゃなくて璃子たちだ。それなのに、会場を包むピリピリとした空気に呑まれそうになっている。ずっとここにいたら胃が痛くなってしまいそうだ。まぁ、自分が不安に陥っているのは、それだけが原因じゃあないんだけど。
 周囲を見回してみると、そろそろ試合が始まるからか、空いていた席が埋まってきているのがわかった。いたる箇所からいろいろな人の話し声が聞こえてくる。水色や緑色といった派手な色のティーシャツを揃えて着て応援をしている学校も、何校かあるようだ。
 ちなみにウチら立清学園は、白色を基調に肩から脇腹にかけて青色や水色の線が入っているデザインのジャージを着ているので、とても目立つ格好をしている。しかも、背中に水色で「RISSEI」とローマ字で学校名が記されているので、他校の生徒は一目見ただけで、立清学園の生徒だとわかるだろう。

「さっきからキョロキョロしてるけど、どうしたの?」

 ウチが忙しなく首を動かしていると、みっちーに怪訝な表情を向けられてしまった。もう少し周囲を観察していたかったけど、ここまでにしよう。

「い、いや、ナンデモナイヨ」
「めっちゃ片言じゃん。絶対なにかあったでしょ?」

 両足のつま先を当ててモジモジとしながら、会場を見たい欲を抑える。もしかしたら、この会場のどこかに柊一君がいるかもしれない。そう思うと、まったく落ち着かない。

「なんでもないって!」

 そう言って誤魔化そうとしてみるけど、みっちーがこちらに向けてくる視線は鋭いままだ。むしろ、鋭さが増していく一方。彼女の瞳が「言え~」と訴えているのが、嫌でも伝わってくる。こうなった彼女からは逃げられそうにないので、素直に白状することにした。

「絶対に笑わないって言うなら、教えてあげてもいいけど?」
「金井っち。わたしは笑わないよ」
「ほんとに笑わない?」
「笑わない」

 みっちーと数秒見つめ合う。絶対にみっちーはウチを見て楽しんでいる。そう確信しているけれど、不安を誰かに話して楽になりたいという気持ちのほうが強かった。

「も、もしかしたら柊一君がここにいるかもしれないの」
「ああ、小学生の頃から手紙でやりとりしているっていうあのシューイチ君?」
「うん」
「ふ~ん、これは面白い話を聞いちゃった」

 口尻を上げてニヤニヤと笑う彼女は、本当に心の底から楽しそうにしている。

「もうっ、笑わないって言ったじゃん。みっちーのバカ!」
「あはは、そんなに怒らないでよ。誰にも言いふらしたりしないからさ~。それで? なんでそんなに不安そうな顔してるの? 念願の相手に会えるチャンスじゃん」

 みっちーが笑っていたのは一瞬で、すぐに真剣な表情へと変わっていた。

「ウチらは全国を目指して頑張ろうって約束して今まで頑張ってきたの。それなのに、急に会おうって言ってきたの。柊一君が簡単に約束を破ろうとしているのが信じられなくて……」
「ふーん。なるほどね。なんとなくだけど、金井っちの気持ちわかるよ。ちゃんと約束を果たしてないのに会うなんて無理って思うよね。わたしも地区大会で敗退しちゃった時、おにぃになんて手紙を送ればいいかわからなかったもん。でも、それは金井っちの都合だよね? シューイチ君の都合は考えたの?」
「え?」
「金井っちとの約束を守ろうと頑張ってきたシューイチ君が、急きょ予定を変更したってことは、余程の事情があるって考えるのが普通じゃない?」
「あ……」

 確かにそうだ。ウチはずっと自分のことばかり考えていた。
 なにか事情があるかも、なんて一ミリも考えなかった。
 どうしよう。柊一君にひどいことをしちゃったんじゃない?

「シューイチ君からの手紙には、なんて答えたの?」
「なんて書いたらいいのかわからなくて……返事しなかった」
「どうりで落ち着きがないわけだ。そりゃあ気まずいよね。どうしても会いたくないって言うなら仕方がないけれど、わたし的には会って確認をするべきだと思うな」
「うん。みっちーの言う通りだ」

 ウチから手紙がこなくて柊一君はどんな気持ちになっただろう?
 落ち込んだり、悲しんだりしたのかな。
 いつでも会える関係性だったら、誤解を与えるようなことをしてしまっても、直接会って誤解を正すことができるだろう。でも、手紙でしかやりとりができない関係では、一度誤解を与えてしまったら取り返しのつかない事態に発展してしまうんだ。

「どうしよう、どうしよう、どうしよう……」
「金井っち」

 璃子の言うように遠距離恋愛なんてウチには無理だったのかな。どうしてちゃんと手紙に向き合わなかったんだろう? 感情的になってしまうと、一つのことで頭がいっぱいになってしまうタイプだって、わかっていたはずなのに。

「金井っち」

 いつもウチはそうだ。誰かに指摘してもらわないと、視野が開けない。
 自分の考えが正しいんだって思い込んで行動して、失敗してしまう。
 璃子みたいに冷静で、思慮深くて、一人でなんでもできるような、そんな性格だったら、もっとうまくやれていたのかな。

「金井っち!」

 気が付けば、みっちーに肩を揺さぶられていた。彼女の顔が目と鼻の先にあってびっくりする。

「やっと気付いた。もうっ! ずっと話しかけてるのに、全然反応してくれないんだからっ!」
「ご、ごめん」

 ウチがみっちーに謝罪をしたちょうどその時、プール側で動きがあった。知らない間にメドレーリレーの試合が始まるタイミングになっていたようだ。

「シューイチ君に向き合う自信がつかなくて迷ってるんだったらさ、近畿大会で自信をつけちゃえばいいんだよ。金井っちはそれができるでしょ?」
「ど、どういうこと?」
「金井っちが湾内さんに勝っちゃえばいいってこと」
「ウチが……璃子に勝つ……」
「そう。ずっと金井っちはそれを目標にしてきたでしょ? 今回がこれまでの雪辱を晴らすチャンスなんじゃない?」

 ウチが答えるよりも先に、みっちーに首を振られて試合を見るように促されてしまった。いつの間にか会場全体が静寂に包まれていた。嵐の前の静けさのように、観客たちが固唾を呑んで見守っている。
 これからメドレーリレーの決勝が始まる。背泳ぎ担当の選手たちがプールの中に入り、笛の音と共にいつでもスタートできる体勢に入った。その数秒後、「用意」の意味である「Take your marks」という言葉が流れ、選手たちの体に力がこもった。
 ピッという電子音が会場に響く。極限まで張りつめていた緊張が、一気に弾けたかのように、壁を蹴った選手たちが泳ぎ始めた。
 選手たちが動き出した途端、会場が再び喧騒に包まれた。観客席にいる大勢の人たちが、メガホンを使って声援を送り始めたのだ。

「中條ちゃん!!」

 スタート台の上に乗った中條ちゃんが、いつでも飛び込める態勢で待機していた。

「高熱のせいで、急きょ試合に出れなくなっちゃった先輩はドンマイだけど、なかじょっちならうまくやってくれるよね!」
「そうだね!」

 大丈夫。顧問から、先輩の代わりに出場するように言われた時も、中條ちゃんは落ち着いていた。むしろ、メドレーリレーに出る機会を待ち望んでいた節さえある。気弱な性格に見えて、実は勝利に対して貪欲な彼女なら、きっと良い泳ぎを見せてくれるはずだ。

『近畿大会、お互い頑張りましょうね!』

 皆の活躍を願って両手を握りしめていると、声と共に中條ちゃんの笑顔が脳裏を過った。
 そうだよ。バカにしてきた子たちを見返したくて立清学園を選んだんでしょ。
 だったら今、見せつけようよ! 
 先輩が壁にタッチした瞬間、中條ちゃんがプールに飛び込んだ。

「頑張れっ! 中條ちゃん!!」

 中條ちゃんの必死に泳ぐ姿を見ていると、胸の内からポカポカとした感情が湧き出てくる。やがてそれは、全身へと伝播していく。さっきまでウチを支配していた不安が消えて、興奮が己を包み込んでいた。

「やっぱり金井っちは単純だね。なかじょっちの泳ぎを見てやる気出た?」
「うんっ!」

 ウチに優しくしてくれたみっちーに感謝しながら、中條ちゃんの泳ぎに集中する。

「なかじょっち、問題なく泳げてるね」
「うん。うまく自分の世界に入れてる」
「あんな風に自分を持って泳げれば、金井っちだってやれるでしょ」
「うん。ありがとう」

 中條ちゃんからバタフライ担当の先輩へ。そして、先輩から璃子へ。見えないバトンが受け継がれていく。
 そして、いつもと変わらず落ち着いた様子の璃子が、華麗に飛び込んだ。

「ああ、綺麗だな……本当、美しいな……」

 指先からつま先まで、一本の線が通っているみたいに、整っている。
 あいつはスタイルがいいから、飛びこむ姿さえ絵になるんだ。

「頑張れっ、璃子!」

 どんどん順位を上げていく璃子の姿が、ウチをさらに興奮させていく。
 泳ぎたい。今すぐ泳ぎたいって心が叫んでいる。

「あんたを倒すのはウチよ。だから、リレーでだって負けるんじゃないわよ!」
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