210 / 240
第4部 手負いの獣に蝶と花
第1話 婚姻の儀
しおりを挟む
初夏の柔らかな陽気に、宮殿前の芝生が碧く光る。このベルクマイヤ王国の主が住う宮殿は王都を見下ろす小高い丘に位置する。その宮殿前の広場で婚姻の儀が執り行われた。
前代未聞の婚姻は、なにも番う者が男同士という問題だけではない。国王の結婚にしてはやけに厳重な装備での参列を求められ、集められた貴族もごくわずかだった。つはりは国王の婚儀とは思えないほど質素だったのだ。
でも僕が愛する人はとても幸せそうだった。
今日は彼のどんな顔を見ても決して泣かないと心に決めてきたのに。頬や耳を染めて国王に笑いかける彼を見ていられず、宮殿のはずれまで歩いてきてしまった。
僕が4年想い続けた同郷のリアムは今日この日、国王と婚姻を結んだ。彼はこれから宮殿内で暮らす。
自分が幸せにできないからといって、心からリアムを祝福できないのはあまりに薄情な気がした。でも考えずにはいられないのだ。もしかしたら僕にだってチャンスがあったのかもしれない、と。
彼は隣国からの難民で、4年前我が家の領地で保護した庸人だった。僕は魔人といえど体の小さな同じ年。辺境貴族の三男坊に身分など無いに等しく、彼と出会ってから仲良くなるまでにそう時間はかからなかった。
でもその関係に異変が生じたのは僕だけだった。彼が女性を探すために故郷を飛び出してきたという秘密を打ち明けてくれた時、僕の中に眠る仄暗い欲望に気づかされた。
彼は女性を愛していた。彼女を救うため自らの運命に立ち向かっていたのだ。
でも僕はそんな彼を組み敷いて、自分のものにしたいという欲望に苛むこととなった。黒く染められたシルクのような髪、夜を宿した漆黒の瞳、彼女の話をする時にだけ僅かに紅が差す柔らかそうな頬。庸人とは思えないほどの鍛えられた体躯。
たった一度でもいい、そう願って幾つもの夜を超えた。しかし友人という境界線を越えられなかったのは、彼が女性を愛していたからだった。そんな彼が今日、男性と結婚をした。
「消耗戦か……」
心の中で薪の爆ぜる音が響く。
ーーだが思いを馳せた時間だけが愛の証明と言うのであれば、これから先誰も愛せない。
思い出したのは、野営の薪が燃える音とルーカス=ブラウアーの言葉。捕虜を隣国に引き渡す任務で野営の宴を開いた時、リアムに向けられた言葉だった。
過去の自分はその言葉に安堵に似た感情を覚えたものだ。たとえ国王陛下であろうとリアムの心も体も奪うことはできない、と。その呑気さと、言葉の苦味を噛み締める。
「ご気分がすぐれませんか?」
急に投げかけられた男の声に思わず剣の柄を掴んだ。しかしすぐに巨大な影に包まれて、後ろに立っているのは魔人だと理解する。
「少し……お酒を飲みすぎたようで……」
「慎ましくも美しい婚姻の儀でした。お2人とも幸せそうで。リアム殿のご友人ですか?」
痛む心から逃れるように振り返る。影の大きさから予想はしていたが、見上げるほどの大きな魔人貴族だった。
「はい。リアムの同郷の友人で、バーンスタイン卿の配下の、テオ=フューラーと申します」
僕は自己紹介をしながら視線を上げていく。僕が知る一番大きな魔人は、ジルベスタ=ブラウアー。今目の前にいる魔人はジルと同じくらいの巨体だった。しかし切り揃えられた黒髪の間からのぞく目は、僅かな憂いを帯びていて、豪快な印象のあるジルとは似ても似つかない。男の色気を纏うその美しい顔に釘づけになった。
「私はカミル=ゲーゲンバウアーです。国王陛下とも、リアム殿ともあまり面識がなく……もしかして貴方も、と思って声をかけたのですが……」
困ったように笑うその顔が更に色香を放つ。
「面識がない……?」
「ええ、私の屋敷に召し抱えた庸人の使用人が、国王の古い友人のようで。当主である私はついでに呼ばれたようなものです」
「そう……ですか……」
確かに婚姻の儀の間中不思議に思っていたのだ。バーンスタイン卿、ブラウアー兄弟は年老いた庸人の使用人も連れ立って参列していた。庸人の使用人を連れていないのは僕の家だけだったのだ。
「バーンスタイン卿の配下と仰っていましたが、テオ様は軍人なのですね」
「テオとお呼びください。しがない兵卒です。貴方の方がよっぽど軍人らしい」
自分も同じ魔人男性というにはおこがましいほどに。リアムが愛した国王陛下にしてもそうだ。それが僕の劣等感を駆り立てる。
「では私をカミルとお呼びください。酔い覚ましに少し歩きませんか? こんな機会がなければ王宮になど上がれない。庭園を見てみたいと思っていたのです」
「以前友人の見舞いでこの宮殿に出入りしたことがあるのです。この先によく手入れのされた花の庭園がございました。僕が案内いたします」
前代未聞の婚姻は、なにも番う者が男同士という問題だけではない。国王の結婚にしてはやけに厳重な装備での参列を求められ、集められた貴族もごくわずかだった。つはりは国王の婚儀とは思えないほど質素だったのだ。
でも僕が愛する人はとても幸せそうだった。
今日は彼のどんな顔を見ても決して泣かないと心に決めてきたのに。頬や耳を染めて国王に笑いかける彼を見ていられず、宮殿のはずれまで歩いてきてしまった。
僕が4年想い続けた同郷のリアムは今日この日、国王と婚姻を結んだ。彼はこれから宮殿内で暮らす。
自分が幸せにできないからといって、心からリアムを祝福できないのはあまりに薄情な気がした。でも考えずにはいられないのだ。もしかしたら僕にだってチャンスがあったのかもしれない、と。
彼は隣国からの難民で、4年前我が家の領地で保護した庸人だった。僕は魔人といえど体の小さな同じ年。辺境貴族の三男坊に身分など無いに等しく、彼と出会ってから仲良くなるまでにそう時間はかからなかった。
でもその関係に異変が生じたのは僕だけだった。彼が女性を探すために故郷を飛び出してきたという秘密を打ち明けてくれた時、僕の中に眠る仄暗い欲望に気づかされた。
彼は女性を愛していた。彼女を救うため自らの運命に立ち向かっていたのだ。
でも僕はそんな彼を組み敷いて、自分のものにしたいという欲望に苛むこととなった。黒く染められたシルクのような髪、夜を宿した漆黒の瞳、彼女の話をする時にだけ僅かに紅が差す柔らかそうな頬。庸人とは思えないほどの鍛えられた体躯。
たった一度でもいい、そう願って幾つもの夜を超えた。しかし友人という境界線を越えられなかったのは、彼が女性を愛していたからだった。そんな彼が今日、男性と結婚をした。
「消耗戦か……」
心の中で薪の爆ぜる音が響く。
ーーだが思いを馳せた時間だけが愛の証明と言うのであれば、これから先誰も愛せない。
思い出したのは、野営の薪が燃える音とルーカス=ブラウアーの言葉。捕虜を隣国に引き渡す任務で野営の宴を開いた時、リアムに向けられた言葉だった。
過去の自分はその言葉に安堵に似た感情を覚えたものだ。たとえ国王陛下であろうとリアムの心も体も奪うことはできない、と。その呑気さと、言葉の苦味を噛み締める。
「ご気分がすぐれませんか?」
急に投げかけられた男の声に思わず剣の柄を掴んだ。しかしすぐに巨大な影に包まれて、後ろに立っているのは魔人だと理解する。
「少し……お酒を飲みすぎたようで……」
「慎ましくも美しい婚姻の儀でした。お2人とも幸せそうで。リアム殿のご友人ですか?」
痛む心から逃れるように振り返る。影の大きさから予想はしていたが、見上げるほどの大きな魔人貴族だった。
「はい。リアムの同郷の友人で、バーンスタイン卿の配下の、テオ=フューラーと申します」
僕は自己紹介をしながら視線を上げていく。僕が知る一番大きな魔人は、ジルベスタ=ブラウアー。今目の前にいる魔人はジルと同じくらいの巨体だった。しかし切り揃えられた黒髪の間からのぞく目は、僅かな憂いを帯びていて、豪快な印象のあるジルとは似ても似つかない。男の色気を纏うその美しい顔に釘づけになった。
「私はカミル=ゲーゲンバウアーです。国王陛下とも、リアム殿ともあまり面識がなく……もしかして貴方も、と思って声をかけたのですが……」
困ったように笑うその顔が更に色香を放つ。
「面識がない……?」
「ええ、私の屋敷に召し抱えた庸人の使用人が、国王の古い友人のようで。当主である私はついでに呼ばれたようなものです」
「そう……ですか……」
確かに婚姻の儀の間中不思議に思っていたのだ。バーンスタイン卿、ブラウアー兄弟は年老いた庸人の使用人も連れ立って参列していた。庸人の使用人を連れていないのは僕の家だけだったのだ。
「バーンスタイン卿の配下と仰っていましたが、テオ様は軍人なのですね」
「テオとお呼びください。しがない兵卒です。貴方の方がよっぽど軍人らしい」
自分も同じ魔人男性というにはおこがましいほどに。リアムが愛した国王陛下にしてもそうだ。それが僕の劣等感を駆り立てる。
「では私をカミルとお呼びください。酔い覚ましに少し歩きませんか? こんな機会がなければ王宮になど上がれない。庭園を見てみたいと思っていたのです」
「以前友人の見舞いでこの宮殿に出入りしたことがあるのです。この先によく手入れのされた花の庭園がございました。僕が案内いたします」
0
お気に入りに追加
491
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

男装の麗人と呼ばれる俺は正真正銘の男なのだが~双子の姉のせいでややこしい事態になっている~
さいはて旅行社
BL
双子の姉が失踪した。
そのせいで、弟である俺が騎士学校を休学して、姉の通っている貴族学校に姉として通うことになってしまった。
姉は男子の制服を着ていたため、服装に違和感はない。
だが、姉は男装の麗人として女子生徒に恐ろしいほど大人気だった。
その女子生徒たちは今、何も知らずに俺を囲んでいる。
女性に囲まれて嬉しい、わけもなく、彼女たちの理想の王子様像を演技しなければならない上に、男性が女子寮の部屋に一歩入っただけでも騒ぎになる貴族学校。
もしこの事実がバレたら退学ぐらいで済むわけがない。。。
周辺国家の情勢がキナ臭くなっていくなかで、俺は双子の姉が戻って来るまで、協力してくれる仲間たちに笑われながらでも、無事にバレずに女子生徒たちの理想の王子様像を演じ切れるのか?
侯爵家の命令でそんなことまでやらないといけない自分を救ってくれるヒロインでもヒーローでも現れるのか?

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜のたまにシリアス
・話の流れが遅い
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる