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3部 王のピアノと風見鶏
第57話 碑文
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夫人に連れられて、俺とジルは草原を歩く。視界の端にあの風見鶏がいた。マリーは領主に脅され誘拐をするとき、あそこまで歩いて行ったのだろうか。歩けない距離ではなさそうだが、道中マリーの心中を察すると心が揺れる。
マリーの埋葬された場所は四方草原に囲われた墓地だった。手入れされた庭のように清潔で、聞けばこの辺に住む家族が交代で墓の掃除をしているのだという。マリー含む難民の女性3人は、隣国への引き渡しをせずここに埋葬された。
新しい墓石が3つ。おそらくどれかのうちの1つがマリーが眠っている場所なのだろうが、人の名は難しい。俺がジルの方を向くと、ジルは右端の墓の前に腰を下ろした。
「リアム。ここにマリーが眠っている」
ジルは目を閉じ祈りを捧げる。マリーがこの下で眠っている、それに実感が持てないまま俺はジルの隣に腰を下ろし、見よう見まねで祈りを捧げた。形式的なことはよくわからなかったが、それでも目を閉じればマリーの顔が思い浮かぶ。最後に会ったあの日以外の顔は全て幼少期の顔だった。そう考えると俺はマリーに会っていた時間よりも、彼女の顔を思い浮かべていた時間の方が長かったような気がする。
「こちらの碑文は、夫人が付け足されたのですか?」
俺の横で一足先に祈り終えたジルが、夫人に質問を投げかけた。確かに名の下に何か刻まれていたが、最初のスペルがよくわからなかった。
「この墓石は国から手配されたもので、私どももよくわからないのです。母と書きたかったのか……それにしてはスペルが違うので」
「マアム?」
ジルが読んだその碑文に俺は衝撃を受ける。俺は石に刻まれた碑文を指で辿った。俺が読めなかったのは最初の部分のみ。それがマアムと書かれているのであれば……
『マアムの向く先へ』
思わず見上げたそのずっと先に風見鶏が見えた。ゴルザ帝国から吹く通り風で、風見鶏はこっちを向いている。体全体に鋭利なものが暴れ出して、いてもたってもいられなかった。叫び出したい衝動が体を支配し、大きく息を吸い、そして吐き出す。何度かそれをしたところで突然音が出た。
「ギ……」
自分の叫び出したい衝動とは比べ物にならないほど小さく短い音だった。しかし肩で息をし、何度か音を発するうちにジルの大声が響いた。
「リ、リアム!? 声が出せるのか?」
「ギード」
ジルは俺の声に驚き、固まっていて、俺の言葉を理解してくれない。
「ギードに、会い、たい」
ジルは驚いた表情のまま、頷く。その横で夫人は慌てふためいていた。マアムとはなんなのか、それを夫人に伝えようと思った。しかし不要だという結論がそれを打ち消した。風見鶏のマアムが向く先はエマの幸福であり、この夫婦だからだ。エマに過酷な過去を知らせる必要がないように、エマの両親の心労を増やす必要もないのだ。
今、俺の胸を打つこの感情は、マリーへの思慕ではない。エマへの贖罪でも祈りでもなかった。
「ジル、俺はひとりでも、帰る、はやく」
帰りたいんだ。自分本位な正義で王を裏切り、ここまで来た。今更どんな顔で会えばいいのかわからない。しかしそんな俺の体面などどうでもよかった。例え誰に罵られようと、蔑まれようと、彼の名を呼びたかった。
風見鶏の名を知るのはこの世でたった3人。
「失いたくない……」
焼き切れるように喉が熱く、上手く言えなかった。でもジルは俺を抱き大声を張り上げる。
「フィーネ夫人、主人に頼みたいことがある。今から書く書簡を、この先の領主の屋敷に向かった小隊に届けてほしい」
「ジル、俺は」
「道中で俺の役割はほとんど終わっている。心配するなら、ここからの旅を心配しろ。行きよりも、もっと過酷になるぞ」
「一度家に戻ってください! 封蝋も必要でございましょう?」
夫人がうわずった声でジルに言うと、俺たちより先に走り出した。
マリーの埋葬された場所は四方草原に囲われた墓地だった。手入れされた庭のように清潔で、聞けばこの辺に住む家族が交代で墓の掃除をしているのだという。マリー含む難民の女性3人は、隣国への引き渡しをせずここに埋葬された。
新しい墓石が3つ。おそらくどれかのうちの1つがマリーが眠っている場所なのだろうが、人の名は難しい。俺がジルの方を向くと、ジルは右端の墓の前に腰を下ろした。
「リアム。ここにマリーが眠っている」
ジルは目を閉じ祈りを捧げる。マリーがこの下で眠っている、それに実感が持てないまま俺はジルの隣に腰を下ろし、見よう見まねで祈りを捧げた。形式的なことはよくわからなかったが、それでも目を閉じればマリーの顔が思い浮かぶ。最後に会ったあの日以外の顔は全て幼少期の顔だった。そう考えると俺はマリーに会っていた時間よりも、彼女の顔を思い浮かべていた時間の方が長かったような気がする。
「こちらの碑文は、夫人が付け足されたのですか?」
俺の横で一足先に祈り終えたジルが、夫人に質問を投げかけた。確かに名の下に何か刻まれていたが、最初のスペルがよくわからなかった。
「この墓石は国から手配されたもので、私どももよくわからないのです。母と書きたかったのか……それにしてはスペルが違うので」
「マアム?」
ジルが読んだその碑文に俺は衝撃を受ける。俺は石に刻まれた碑文を指で辿った。俺が読めなかったのは最初の部分のみ。それがマアムと書かれているのであれば……
『マアムの向く先へ』
思わず見上げたそのずっと先に風見鶏が見えた。ゴルザ帝国から吹く通り風で、風見鶏はこっちを向いている。体全体に鋭利なものが暴れ出して、いてもたってもいられなかった。叫び出したい衝動が体を支配し、大きく息を吸い、そして吐き出す。何度かそれをしたところで突然音が出た。
「ギ……」
自分の叫び出したい衝動とは比べ物にならないほど小さく短い音だった。しかし肩で息をし、何度か音を発するうちにジルの大声が響いた。
「リ、リアム!? 声が出せるのか?」
「ギード」
ジルは俺の声に驚き、固まっていて、俺の言葉を理解してくれない。
「ギードに、会い、たい」
ジルは驚いた表情のまま、頷く。その横で夫人は慌てふためいていた。マアムとはなんなのか、それを夫人に伝えようと思った。しかし不要だという結論がそれを打ち消した。風見鶏のマアムが向く先はエマの幸福であり、この夫婦だからだ。エマに過酷な過去を知らせる必要がないように、エマの両親の心労を増やす必要もないのだ。
今、俺の胸を打つこの感情は、マリーへの思慕ではない。エマへの贖罪でも祈りでもなかった。
「ジル、俺はひとりでも、帰る、はやく」
帰りたいんだ。自分本位な正義で王を裏切り、ここまで来た。今更どんな顔で会えばいいのかわからない。しかしそんな俺の体面などどうでもよかった。例え誰に罵られようと、蔑まれようと、彼の名を呼びたかった。
風見鶏の名を知るのはこの世でたった3人。
「失いたくない……」
焼き切れるように喉が熱く、上手く言えなかった。でもジルは俺を抱き大声を張り上げる。
「フィーネ夫人、主人に頼みたいことがある。今から書く書簡を、この先の領主の屋敷に向かった小隊に届けてほしい」
「ジル、俺は」
「道中で俺の役割はほとんど終わっている。心配するなら、ここからの旅を心配しろ。行きよりも、もっと過酷になるぞ」
「一度家に戻ってください! 封蝋も必要でございましょう?」
夫人がうわずった声でジルに言うと、俺たちより先に走り出した。
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