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3部 王のピアノと風見鶏
第53話 春の夜の庭
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いざその時になると、この数奇な巡り合わせに戸惑うものだ。それは王宮の天井に張り付いていた時。王と風見鶏を見た時。そして王都最大のコンサートホールの前で馬車の扉が開いた時。そうした岐路を前に何度か死を覚悟したこともあった。しかし俺は生きながらえ、今日ジルと共にマリーのこどもの元へ赴く。
この人生に、その時々の使命に、なにか意味があったとするならば。そう思い続けて、今まで生きながらえてきた。しかし5人のあの眩しかった日々を経て、再びジルと共に同じ道を辿ることに、少しの戸惑いと、感慨を抱いた。
ルイスは見送りにスコーンを持ってきてくれた。数度しか会ったことのない俺のために、早起きをして用意をするその親切さに、思うことがあった。
この国は好きか?
王が俺に問うた唐突な質問が俺の胸を締め付ける。ジルを見送るルイスの表情に、王の赤眼が脳裏にチラついた。富む者も貧しい者も、人肌を離れるのは苦しい。なぜこんな当たり前のことに気づかなかったのかと、目の覚める思いだった。
俺はジルが率いる兵の末尾で必死に馬を走らせる。今回は残件処理ということで、小隊というには人が少なすぎる隊列で、数が少ない分出征の時より日程が前倒しで組まれていた。それに俺の後ろに物資部隊がいないことから、自ずとスピードが上がる。以前の時のような余裕はなく、1日中馬を走らせる過酷な旅となった。
今回は夜営ではなく各領地の領主に寝床を借りた。兵にもそれぞれ部屋を割り当てられ、領地に着くなりジルは決まって俺や他の兵を置いてどこかへ姿を消してしまう。領主の用意してくれる寝床はとても過ごしやすく、夜営の野宿とは雲泥の差だったが、俺は少し寂しさを抱いていた。
今日までに4人の領主に寝床を借りた。ということは予定では明日、あの風見鶏の孤児院へ着くはずだった。日中馬にしがみついていたから、体は重くベッドを恋しがっている。しかし目が冴えて物音が気になりはじめた。
俺は外の空気を吸いに、部屋をそっと抜け出す。月明かりで照らされた庭は、草木の芽吹がその空気を緑に染めていた。春の陽気は予熱が夜に高揚感をもたらす。庭を仕切る腰ほどの塀に座りその美しい風景を眺めた。
今の気持ちを簡単に言葉にすることができなかった。だから持ってきていた五線譜に気持ちを綴る。ラルフが与えてくれた能力で、ピアノがなくとも気持ちを綴ることができる。文字を与えてくれた時と同じように、ずっと心に滞留していたモヤモヤが、出口を見つけてサラサラと流れ出す快感が体を包んだ。
「リアム、眠れないのか?」
俺は熱中していて人の気配に全く気づかなかった。ジルの響く声が後ろから聞こえた。
「ああ、すごいな。ピアノを弾かなくても曲を作れるのか。どんな曲か聴いてみたい、帰ったら……」
ジルは変なところで言葉を切って、俺の横に座り、腕を腰に回した。続きを聞かせてくれるのかと思ったが、ジルは俺の額に3度祝福を落とす。様子がおかしかったから、俺は紙を取り出そうと胸に手を突っ込んだら、ジルがその腕を掴んだ。
「大丈夫だ。仕事を邪魔したくない。少し隣に座っていてもいいか?」
ジルはその言葉を最後に、俺の隣で一点を見つめ続けた。彼を気にするとかえって気を遣わせるだろうと思い、俺は譜面を書き始める。
俺が紙に綴る音がサラサラと響いては夜空に吸い込まれていった。月明かりをたよりに男が2人、庭に流れるたったひとつの音を聴いているのがとても不思議だった。俺が短編のアウトロに終止線を書いたところでジルがつぶやく。
「なんだか不思議だが、前からわかっていたようにも思う」
ジルの言葉の真意が分からず、譜面を胸にしまい、彼の顔を覗き込んだ。
「愛には人それぞれ、いろんな形があるのだな。俺も因習にとらわれ、大切な人を失うところだった」
語感から、おそらくルイスの話をしているのだろうと思った。兄弟3人で愛し合う今の形になるまでに、傷つけあったりしたのだろうか。
「少し冷えてきたな。そろそろ部屋に戻るか」
ジルが立ち上がろうとした時、夜営で見た炎が心の中で音を立てて爆ぜ、衝動的に彼の腰に抱きついた。夜営との違いにずっと抱いていた不安が一気に噴き出したのだ。王の愛を裏切り、マリーのこどもに会いに行く俺を、ジルはどう思っているのだろう。そう思うと怖くてジルの顔を見上げることができない。
「リアムは間違っていない。俺は王とお前の選択に敬意を抱いている」
ジルは声を胸に響かせ、俺を優しく抱きしめてくれる。
「リアムがこの先どんな選択をしても、俺はお前の友でありたい。リアムもそう思ってくれていると、わかっている」
ぎゅうっと抱きしめられて、体温が一気にあがる。ジルの熱い体が俺のあらゆる部分を綻ばせてしまう。俺はそれを結ぶことに必死で、彼にしがみつくことしかできない。
春の庭が静寂を取り戻し、朝を迎える準備をはじめる。その草の匂いに王とノアの顔が浮かんだ。
この人生に、その時々の使命に、なにか意味があったとするならば。そう思い続けて、今まで生きながらえてきた。しかし5人のあの眩しかった日々を経て、再びジルと共に同じ道を辿ることに、少しの戸惑いと、感慨を抱いた。
ルイスは見送りにスコーンを持ってきてくれた。数度しか会ったことのない俺のために、早起きをして用意をするその親切さに、思うことがあった。
この国は好きか?
王が俺に問うた唐突な質問が俺の胸を締め付ける。ジルを見送るルイスの表情に、王の赤眼が脳裏にチラついた。富む者も貧しい者も、人肌を離れるのは苦しい。なぜこんな当たり前のことに気づかなかったのかと、目の覚める思いだった。
俺はジルが率いる兵の末尾で必死に馬を走らせる。今回は残件処理ということで、小隊というには人が少なすぎる隊列で、数が少ない分出征の時より日程が前倒しで組まれていた。それに俺の後ろに物資部隊がいないことから、自ずとスピードが上がる。以前の時のような余裕はなく、1日中馬を走らせる過酷な旅となった。
今回は夜営ではなく各領地の領主に寝床を借りた。兵にもそれぞれ部屋を割り当てられ、領地に着くなりジルは決まって俺や他の兵を置いてどこかへ姿を消してしまう。領主の用意してくれる寝床はとても過ごしやすく、夜営の野宿とは雲泥の差だったが、俺は少し寂しさを抱いていた。
今日までに4人の領主に寝床を借りた。ということは予定では明日、あの風見鶏の孤児院へ着くはずだった。日中馬にしがみついていたから、体は重くベッドを恋しがっている。しかし目が冴えて物音が気になりはじめた。
俺は外の空気を吸いに、部屋をそっと抜け出す。月明かりで照らされた庭は、草木の芽吹がその空気を緑に染めていた。春の陽気は予熱が夜に高揚感をもたらす。庭を仕切る腰ほどの塀に座りその美しい風景を眺めた。
今の気持ちを簡単に言葉にすることができなかった。だから持ってきていた五線譜に気持ちを綴る。ラルフが与えてくれた能力で、ピアノがなくとも気持ちを綴ることができる。文字を与えてくれた時と同じように、ずっと心に滞留していたモヤモヤが、出口を見つけてサラサラと流れ出す快感が体を包んだ。
「リアム、眠れないのか?」
俺は熱中していて人の気配に全く気づかなかった。ジルの響く声が後ろから聞こえた。
「ああ、すごいな。ピアノを弾かなくても曲を作れるのか。どんな曲か聴いてみたい、帰ったら……」
ジルは変なところで言葉を切って、俺の横に座り、腕を腰に回した。続きを聞かせてくれるのかと思ったが、ジルは俺の額に3度祝福を落とす。様子がおかしかったから、俺は紙を取り出そうと胸に手を突っ込んだら、ジルがその腕を掴んだ。
「大丈夫だ。仕事を邪魔したくない。少し隣に座っていてもいいか?」
ジルはその言葉を最後に、俺の隣で一点を見つめ続けた。彼を気にするとかえって気を遣わせるだろうと思い、俺は譜面を書き始める。
俺が紙に綴る音がサラサラと響いては夜空に吸い込まれていった。月明かりをたよりに男が2人、庭に流れるたったひとつの音を聴いているのがとても不思議だった。俺が短編のアウトロに終止線を書いたところでジルがつぶやく。
「なんだか不思議だが、前からわかっていたようにも思う」
ジルの言葉の真意が分からず、譜面を胸にしまい、彼の顔を覗き込んだ。
「愛には人それぞれ、いろんな形があるのだな。俺も因習にとらわれ、大切な人を失うところだった」
語感から、おそらくルイスの話をしているのだろうと思った。兄弟3人で愛し合う今の形になるまでに、傷つけあったりしたのだろうか。
「少し冷えてきたな。そろそろ部屋に戻るか」
ジルが立ち上がろうとした時、夜営で見た炎が心の中で音を立てて爆ぜ、衝動的に彼の腰に抱きついた。夜営との違いにずっと抱いていた不安が一気に噴き出したのだ。王の愛を裏切り、マリーのこどもに会いに行く俺を、ジルはどう思っているのだろう。そう思うと怖くてジルの顔を見上げることができない。
「リアムは間違っていない。俺は王とお前の選択に敬意を抱いている」
ジルは声を胸に響かせ、俺を優しく抱きしめてくれる。
「リアムがこの先どんな選択をしても、俺はお前の友でありたい。リアムもそう思ってくれていると、わかっている」
ぎゅうっと抱きしめられて、体温が一気にあがる。ジルの熱い体が俺のあらゆる部分を綻ばせてしまう。俺はそれを結ぶことに必死で、彼にしがみつくことしかできない。
春の庭が静寂を取り戻し、朝を迎える準備をはじめる。その草の匂いに王とノアの顔が浮かんだ。
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