幽閉塔の早贄

大田ネクロマンサー

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3部 王のピアノと風見鶏

第51話 リナの食卓

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 結果的にバーンスタイン卿の屋敷に身を寄せたのはたった2晩だけだった。ラルフの情熱が凄まじく、次の日に訪れた時に引っ越しを持ちかけられたのだ。1日彼と仕事をしてみて、これでは隣に住んでいないと身が持たないと、俺自身納得して急いで引越し準備をした。

 バーンスタイン卿が預かってくれた荷物と、ノアにもらったスプーンとフォークくらいしかないので、すぐに引っ越しができた。

 使用人にもらうはずのお下がりも、俺にはサイズが合わず、破いてしまう前に遠慮した。使用人はオットーを含め皆、心優しい方ばかりだった。

 ラルフの家に越してみてびっくりしたことが2つあった。ひとつは王がピアノの手配をしてくれたこと。もう一つはラルフに魔人女性の伴侶がいたことだ。

 ピアノは王の部屋にあったものではなく、新品のものだった。引越しの日、手伝ってくれていたバーンスタイン卿はピアノのことを知っているようだった。俺がびっくりしていると、彼は優しく言ったのだ。

「王自身、リアムを連れ戻したりできないように、ピアノを贈ったのだろう。遠慮せずにもらっておきなさい」

 胸に沁みる言葉をもらった時に、後ろから金切声が聞こえた。俺と同じくらいの背丈の女性だった。自分が庸人にしては背が高い方だったから、女性の大きさに圧倒させられる。

「き、き、奇跡の器!? なんで!? ラル! ちょっと!」

 女性はすぐに隣の部屋に引っ込み、そしてラルフの首根っこを掴んで戻ってきた。

「バーンスタイン卿、先日はありがとうございました。こちら一緒に暮らしている、リナ=バルトです。彼の食事はほぼ彼女が作ることになるかと思います」

「ちょ、ちょっと! 食事に行ったって、奇跡の器とだったの!?」

「バーンスタイン卿とリアムと言ったではないか……」

「ああっ、なんでこんな普通の格好をしている時に! バーンスタイン卿、リアム、初めてお目にかかります、リナです。リナと呼んで……ああ……握手してもよろしいでしょうか?」

 リナは慌てふためき、前掛けを剥ぎ取りその辺に捨てた。バーンスタイン卿は右の手袋を脱いだので、俺はそのまま握手をするのかと思った。しかし彼は彼女の前に跪き、差し出された手にキスを落とした。俺もリナも驚き体を仰け反らせる。

「リアムをどうかよろしくお願いいたします。私と私の伴侶のかけがえのない友人です」

 バーンスタイン卿の紳士な対応にリナは変な音を喉の奥から鳴らしていた。

「リナは貴族ながらなかなかにお天馬で……。不慣れで申し訳ない」

 ラルフがそう言うと、リナは恥ずかしそうに俯いた。バーンスタイン卿に促され、俺も挨拶をしようと膝を床につけた時、リナが俺の手を引っ張った。

「リアム、よろしくね! 一緒に食事をするのだもの。そういう堅苦しいのは、なし!」

 そうしてリナは俺と握手をした。彼女の態度の違いにモヤモヤとしたが、この後それは納得に変わった。



 音楽家というのは想像するよりも過酷だった。新しい曲を作り、お互いの譜面を読み合い、助言をしあう。ピアノを弾けるのは近隣のことを考え日没までという暗黙のルールがあった。だから昼間はできる限りピアノを弾き、夜に譜面に落とす。

 昼間弾きながら譜面を書くことは不可能だった。なぜならばラルフから要求される数が1日1曲ではないからだ。理不尽とも思える要求だったが、ラルフはそれを超える作曲や練習を行う。その情熱に圧倒されられ、焦燥に駆られた。

 彼に追いつくには昼間に譜面を書いていたらとても間に合わない。だからだんだんと鍵盤を弾かずとも曲が書けるようになっていった。それにフレーズがどうしても弾きたい時には朝まで待たなければならない。そういった様々な制限が、曲の完成度を劇的に上げていった。

 制限はこれだけではない。リナは約束通り食事や風呂を提供してくれた。しかしリナはラルフの言う通りお天馬だった。まず、食事や風呂の用意ができたと言われて1分以内に来なければ、譜面を破かれる。

「当たり前のことができない人の曲など、誰も聴きません!」

 それに家事は分担制だった。ほぼ居候の俺が家事をするのはわかる。しかしラルフまで分担があるのだ。大きな魔人貴族が肩を窄ませ、掃き掃除をしているのを見た時、驚きでしばらく動けなかった。

「当たり前のことができない人の曲など、誰も聴きません!」

 寝坊をしたり、当番を忘れたり、手抜きをすると、すぐに譜面を破かれる。だからこんなに曲を作らなければならないのか? と思ったほどだ。

 でも、これがとても幸せだった。彼女の屈託のない性格がそう思わせるのか、それとも平等な役割が嬉しいのかはわからない。食事が美味しかったからというのもあるかもしれない。しかし普通の家庭を知らない俺にとって、驚きよりも幸福感の方が勝っていた。
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