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3部 王のピアノと風見鶏
第42話 ラルフ=ハーマンの愛
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舞台袖までノアとともに歩いた時、次に演奏するラルフ=ハーマンと遭遇する。その顔を見た時に息を飲み、思わずノアの肩を掴む手に力が入った。
あの愛に溢れた曲を作ったとは思えないほど神経質そうな顔。それは眉間に深く刻まれた皺のせいかもしれない。黒いひっつめ髪がより一層、鈍く光る目を鋭くさせている。大きな肩を揺らし歩く様は、ジルを連想させた。ここは魔人の国なのだ。そして彼もまた見まごうことなき魔人であった。
俺とノアは、蛇に睨まれたカエルのように動けなくなってしまう。演奏が終わればそのままエントランスホールで結果を待つ。しかし俺はこの目でラルフ=ハーマンの演奏を確かめたかった。俺が動けずにいたらノアは意図を汲んでくれたようで、2人舞台の袖から彼の演奏を待った。
ラルフ=ハーマンはピアノの椅子に座り、1つに結われた癖のある髪を揺らす。そうして会場中にピアノの音が響き渡った。
それは、その見た目からは想像できない愛の音だった。眩しく弾けるような柔らかく、しかし力強い音に会場中が飲み込まれた。俺が1度も弾いたことのない、しかしなぜだか知っている旋律だった。俺が愛を欲して風見鶏を呼んでいたのならば、彼の曲はそれを包み込む愛そのものだった。
どうしたらこんな旋律を思い浮かべることができるのだろうか、そう感嘆せずにはいられなかった。俺はこの感情をあの丘から呼んでいたのではないかとさえ思える、美しく優しい曲だった。
彼の愛の曲が紡がれ終わっても、会場の人々はその余韻に浸っていた。俺もその中の1人だ。永遠にこの旋律に浸っていたかった。しかし割れんばかりの拍手の渦に、その気持ちはかき消され、そうして思ったのだ。
彼がこのコンクールの勝者だ。
俺はエントランスホールに向かおうと、ノアに合図をする。しかしノアもまた余韻に浸っていたのか一向に動こうとしない。
そうこうしているうちに、ラルフ=ハーマンが舞台袖まで歩いてきてしまった。俺は急に自分の演奏が幼稚なものに思えてきて、羞恥心が暴れ出した。そして彼が通りすがりさまに、ノアは信じられない行動に出る。
「ラルフ=ハーマンさん、初めまして。リアムの歩行および聴唖の補佐役として同行したノアと申します。とても、とても素晴らしい演奏でした。あ、あの。リアムはあなたの譜面で練習をして今日この日を迎えることができました」
ラルフ=ハーマンはノアの声に少しだけ顔を綻ばせる。あんなに神経質そうな顔が変化したことに俺はびっくりしてしまった。まるで別人のような顔だったのだ。
「ありがとう。リアム氏の曲も素晴らしかった。それにおふたりは随分若い。おいくつですか?」
「ぼ、僕が16歳で、リアムは20歳になります!」
ノアの回答にラルフ=ハーマンの表情があからさまに濁る。しかしすぐにそれを悟られないよう不自然な笑顔で、彼は先に立ち去った。
「ご、ごめんリアム。僕は、王都にあまり出ないから……」
彼が態度を変えた理由は分かっていた。俺もノアも童顔で、彼はきっと俺たちを魔人のこどもと勘違いしたのだろう。しかし年齢から庸人ということを察し、不快感を抱いたのだ。
コンクールに魔人と庸人の差別はない。むしろピアニストは庸人が多い。それは貴族に音楽で仕えるのが一般的だからだ。彼のような魔人は、譜面や演奏会のみで生計を立てなければならない。庸人のように貴族から楽器として召し上げられるわけにはいかないからだ。だから彼の演奏前に魔人だと知って驚きを隠せなかった。
ノアが申し訳なさそうに俯いている。きっとノアは一般的な庸人への差別を受けたと感じていて、この複雑な背景を察してはいないだろう。俺はノアの肩を叩き、彼が上を向いた拍子に首を振った。
ノアの表情は晴れなかったが、おずおずと俺の手を引き歩き始めた。その背中が小さく見えて、とてもいたたまれなかった。
あの愛に溢れた曲を作ったとは思えないほど神経質そうな顔。それは眉間に深く刻まれた皺のせいかもしれない。黒いひっつめ髪がより一層、鈍く光る目を鋭くさせている。大きな肩を揺らし歩く様は、ジルを連想させた。ここは魔人の国なのだ。そして彼もまた見まごうことなき魔人であった。
俺とノアは、蛇に睨まれたカエルのように動けなくなってしまう。演奏が終わればそのままエントランスホールで結果を待つ。しかし俺はこの目でラルフ=ハーマンの演奏を確かめたかった。俺が動けずにいたらノアは意図を汲んでくれたようで、2人舞台の袖から彼の演奏を待った。
ラルフ=ハーマンはピアノの椅子に座り、1つに結われた癖のある髪を揺らす。そうして会場中にピアノの音が響き渡った。
それは、その見た目からは想像できない愛の音だった。眩しく弾けるような柔らかく、しかし力強い音に会場中が飲み込まれた。俺が1度も弾いたことのない、しかしなぜだか知っている旋律だった。俺が愛を欲して風見鶏を呼んでいたのならば、彼の曲はそれを包み込む愛そのものだった。
どうしたらこんな旋律を思い浮かべることができるのだろうか、そう感嘆せずにはいられなかった。俺はこの感情をあの丘から呼んでいたのではないかとさえ思える、美しく優しい曲だった。
彼の愛の曲が紡がれ終わっても、会場の人々はその余韻に浸っていた。俺もその中の1人だ。永遠にこの旋律に浸っていたかった。しかし割れんばかりの拍手の渦に、その気持ちはかき消され、そうして思ったのだ。
彼がこのコンクールの勝者だ。
俺はエントランスホールに向かおうと、ノアに合図をする。しかしノアもまた余韻に浸っていたのか一向に動こうとしない。
そうこうしているうちに、ラルフ=ハーマンが舞台袖まで歩いてきてしまった。俺は急に自分の演奏が幼稚なものに思えてきて、羞恥心が暴れ出した。そして彼が通りすがりさまに、ノアは信じられない行動に出る。
「ラルフ=ハーマンさん、初めまして。リアムの歩行および聴唖の補佐役として同行したノアと申します。とても、とても素晴らしい演奏でした。あ、あの。リアムはあなたの譜面で練習をして今日この日を迎えることができました」
ラルフ=ハーマンはノアの声に少しだけ顔を綻ばせる。あんなに神経質そうな顔が変化したことに俺はびっくりしてしまった。まるで別人のような顔だったのだ。
「ありがとう。リアム氏の曲も素晴らしかった。それにおふたりは随分若い。おいくつですか?」
「ぼ、僕が16歳で、リアムは20歳になります!」
ノアの回答にラルフ=ハーマンの表情があからさまに濁る。しかしすぐにそれを悟られないよう不自然な笑顔で、彼は先に立ち去った。
「ご、ごめんリアム。僕は、王都にあまり出ないから……」
彼が態度を変えた理由は分かっていた。俺もノアも童顔で、彼はきっと俺たちを魔人のこどもと勘違いしたのだろう。しかし年齢から庸人ということを察し、不快感を抱いたのだ。
コンクールに魔人と庸人の差別はない。むしろピアニストは庸人が多い。それは貴族に音楽で仕えるのが一般的だからだ。彼のような魔人は、譜面や演奏会のみで生計を立てなければならない。庸人のように貴族から楽器として召し上げられるわけにはいかないからだ。だから彼の演奏前に魔人だと知って驚きを隠せなかった。
ノアが申し訳なさそうに俯いている。きっとノアは一般的な庸人への差別を受けたと感じていて、この複雑な背景を察してはいないだろう。俺はノアの肩を叩き、彼が上を向いた拍子に首を振った。
ノアの表情は晴れなかったが、おずおずと俺の手を引き歩き始めた。その背中が小さく見えて、とてもいたたまれなかった。
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