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3部 王のピアノと風見鶏
第41話 風見鶏の向く先
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鍵盤に指を添える。王の部屋のピアノのように冷たくはなかった。それは今までさまざまな演奏者がこのピアノに想いを託したからだろう。
息を吸って課題曲を奏でる。テクニックを要する曲だった。でも失敗しないことがわかっていた。不思議な感覚だが10秒先の自分を見ているようなのだ。上手く弾けている自分が見えている。それは今日ノアの手を引かれている感覚と似ていた。
最後のフレーズを駆け上がり、そして演奏を終えた。拍手はない。他の出場者も皆そうだった。課題曲と自由曲を続けて演奏することもあって、途中で拍手を挟まないのだ。それは課題曲は弾けて当たり前ということなのだろう。本題は自由曲だった。今までの演奏は自由曲にこそ自己の表現を託していた。
俺はこのピアノに何を託すか。考えているようで、勝手に指は動き出した。冬の朝の幸せ、つらい労働、空腹、痛み、絶望、やりきれなさ。そして夜の開放感。
マリーのこどもが俺の心の奥底で膝を抱えて沈んでいる。マリーのこどもは、彼女に似てきっと美しいだろう。そうでなくとも美しく愛おしいのだ。そんなこどもに、もしなにか与えられるとしたら、それはなにか。俺はきっと母にはなれない。マリーは俺に母は務まらないと風見鶏を呼び、そして1人で母になったのだ。
もし俺が与えられるものがあったとしたら、風見鶏という希望しかなかった。生活が豊かになっても、心の安寧は手に入らない。母を恋しがって暗闇で絶叫したマリー。でもあの風見鶏に希望を託し、荒れ狂う人生を歩んでこれたのだ。
マリーが目指した風見鶏の向く方へ、導いてやりたい。
いつもだったら、心の乱れが演奏をかき乱していただろう。でもあの日と同じだった。俺は知ってもらいたいのだ。世界の片隅でこうやって痛みや絶望に耐え忍び、希望を抱いている人間がいるということを。無関心という名の無言の暴力で、誰かの幸福が奪われているということを、知ってもらいたかった。
最後の音を会場に置いたら、スッと冷たい沈黙が会場を支配した。伝わらなかったか、そう思って盤上で震えてた指を握った時、あちらこちらからガタガタと変な音がした。その音で会場を向くと、豪雨のような拍手に打たれた。
慌てて立とうと思ったら、ノアが走り寄ってきてくれた。支えられて立ち上がる時、皆口々に叫んでいる不明な言葉の意味を、ノアに質問する。
みんななんて言ってるの?
「最大の賞賛を表す言葉だよ。リアム、本当に素晴らしい演奏だったよ」
ノアの目に涙が溜まる。
そして会場の人々が叫ぶ聞きなれない言葉があの風見鶏を呼ぶマリーと重なった。まるであの風見鶏に人々が叫んでいるようだった。
ノアに促されるまま会場に向かって一礼をする。その時に俺は涙を溢してしまった。
ノアのせいだ
会場を後にする時にノアにそう伝えると、彼は優しい笑顔でまた泣いた。
息を吸って課題曲を奏でる。テクニックを要する曲だった。でも失敗しないことがわかっていた。不思議な感覚だが10秒先の自分を見ているようなのだ。上手く弾けている自分が見えている。それは今日ノアの手を引かれている感覚と似ていた。
最後のフレーズを駆け上がり、そして演奏を終えた。拍手はない。他の出場者も皆そうだった。課題曲と自由曲を続けて演奏することもあって、途中で拍手を挟まないのだ。それは課題曲は弾けて当たり前ということなのだろう。本題は自由曲だった。今までの演奏は自由曲にこそ自己の表現を託していた。
俺はこのピアノに何を託すか。考えているようで、勝手に指は動き出した。冬の朝の幸せ、つらい労働、空腹、痛み、絶望、やりきれなさ。そして夜の開放感。
マリーのこどもが俺の心の奥底で膝を抱えて沈んでいる。マリーのこどもは、彼女に似てきっと美しいだろう。そうでなくとも美しく愛おしいのだ。そんなこどもに、もしなにか与えられるとしたら、それはなにか。俺はきっと母にはなれない。マリーは俺に母は務まらないと風見鶏を呼び、そして1人で母になったのだ。
もし俺が与えられるものがあったとしたら、風見鶏という希望しかなかった。生活が豊かになっても、心の安寧は手に入らない。母を恋しがって暗闇で絶叫したマリー。でもあの風見鶏に希望を託し、荒れ狂う人生を歩んでこれたのだ。
マリーが目指した風見鶏の向く方へ、導いてやりたい。
いつもだったら、心の乱れが演奏をかき乱していただろう。でもあの日と同じだった。俺は知ってもらいたいのだ。世界の片隅でこうやって痛みや絶望に耐え忍び、希望を抱いている人間がいるということを。無関心という名の無言の暴力で、誰かの幸福が奪われているということを、知ってもらいたかった。
最後の音を会場に置いたら、スッと冷たい沈黙が会場を支配した。伝わらなかったか、そう思って盤上で震えてた指を握った時、あちらこちらからガタガタと変な音がした。その音で会場を向くと、豪雨のような拍手に打たれた。
慌てて立とうと思ったら、ノアが走り寄ってきてくれた。支えられて立ち上がる時、皆口々に叫んでいる不明な言葉の意味を、ノアに質問する。
みんななんて言ってるの?
「最大の賞賛を表す言葉だよ。リアム、本当に素晴らしい演奏だったよ」
ノアの目に涙が溜まる。
そして会場の人々が叫ぶ聞きなれない言葉があの風見鶏を呼ぶマリーと重なった。まるであの風見鶏に人々が叫んでいるようだった。
ノアに促されるまま会場に向かって一礼をする。その時に俺は涙を溢してしまった。
ノアのせいだ
会場を後にする時にノアにそう伝えると、彼は優しい笑顔でまた泣いた。
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