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3部 王のピアノと風見鶏
第28話 新しい譜面
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王はバーンスタイン卿邸宅に俺を受け入れるという提案を断ったと聞いた。バーンスタイン卿、ブラウアー兄弟、テオは俺を受け入れたがったが、彼が申し出た理由は当主は彼だけだからだという。だから俺の荷物も引き取ってくれたのに、配慮が足りなかったと彼は謝った。
バーンスタイン卿は言っていた。王は、父を奪われたように、リアムを奪われることを恐れているのだと。
俺はそれを聞いた時から、頭の中がぐちゃぐちゃになって、彼らが帰ってからぶっ続けでピアノを弾いていた。だから王が部屋に入ってきたことも気がつかなかった。曲が終わり、次はなにを弾こうと考えあぐねていた折に、後ろからの声にひどく驚いた。
王は寂しそうに笑い、そして俺に紙の束を差し出す。よく見てみると、譜面だった。
「新しい曲だそうだ」
手渡された譜面を目で追う。俺が全く知らない曲だった。俺はとっさに胸元に入れた紙を掴んだ。しかしバーンスタイン卿の言葉が反響してその手が止まる。バーンスタイン卿の父と王の最後に交わした言葉、そしてそれに疎外感を感じること。それが俺を縛ってあの紙を出すことを躊躇わせた。
「見返りを求めてなどいない。といっても、信用できんか……」
その笑顔に胸がチクチクと痛みだす。ただお礼を言いたいだけなのに、なぜこんな風になってしまったのだ。治療にしたって、住む場所にしたってそうだ。何もかも全て王の計らいだった。
ノアやバーンスタイン卿という尊敬する師に引き合わせてくれ、ブラウアー兄弟という兄と酒を飲み交わし、テオという友を失わずに済んだ。
マリーにしてもそうだ。それを考える余裕がないほど目まぐるしい生活で、絶望に沈むこともなかったのに。
俺は胸元に突っ込んだ手を取り出し、王の袖を掴んだ。そして座っていた長椅子の横に座るよう、何度か引っぱる。王はなにも言わず、隣に座った。だからもらった譜面を置いて、その曲を弾きはじめた。
もうすぐ春だというのに、まだ日が短く、あたりは薄暗い。だから嫌でもあの光景を思い出してしまう。王と見たあの風見鶏の光景を。
最初の一音を弾いた。そして譜面通りに弾くうちに、あの風景が霞んでいく。曲は驚くほど幸福に満ち溢れたものだった。春を謳歌するかのようなその譜面に、指が嬉しそうに動き出す。それに不思議な感覚にも囚われた。今日はじめて弾く曲なのに、懐かしく、その先の音がわかるような気がするのだ。
弾き終わるのが名残惜しいくらいだった。最後の一音を鳴らした時、ペダルから足を離せなかった。もう少しこの余韻に浸っていたい。隣にいる王に同意を求めて視線を送ると、王はびっくりしたように口を開いた。
「リアムはすごいな。一度見ただけでこんなに弾けるものなのか? それに、とても美しい曲だった。リアムも嬉しそうだな」
俺は何度も頷く。
「この曲は最近出た譜面だそうだ。明日もこの作曲家の譜面を買ってきてやろう。そうしたらまた弾いてくれるか?」
あまりの嬉しさに頷くことを忘れて王の顔を見つめてしまう。
「食べ物以外でそんな顔をするなんてな。紙を散らかし、譜面を欲しがる。お前は本当にヤギのようだな」
王が見せた笑顔に寂しさが宿っていなかった。それが嬉しくて、顔に血が集まり熱くなる。顔を背けたら、王の大きな手が、俺の頭をすっぽりと包んだ。
2回頭を撫でたら、王は立ち上がり風呂へ向かった。もっと触って欲しかった、そう思う気持ちを振り払うために、もう一度さっきの曲を弾く。その時、この曲の名前らしいものが書いてあることに気づいた。今まで字が読めなかったから気にしたこともなかったが、きっと作曲者の名前も書いてある。人の名というのはとても難しい。明日ノアに読み方を聞いてみようと思いながらも指は曲を弾きたがって動き、そのまま熱中の渦に飲み込まれた。
バーンスタイン卿は言っていた。王は、父を奪われたように、リアムを奪われることを恐れているのだと。
俺はそれを聞いた時から、頭の中がぐちゃぐちゃになって、彼らが帰ってからぶっ続けでピアノを弾いていた。だから王が部屋に入ってきたことも気がつかなかった。曲が終わり、次はなにを弾こうと考えあぐねていた折に、後ろからの声にひどく驚いた。
王は寂しそうに笑い、そして俺に紙の束を差し出す。よく見てみると、譜面だった。
「新しい曲だそうだ」
手渡された譜面を目で追う。俺が全く知らない曲だった。俺はとっさに胸元に入れた紙を掴んだ。しかしバーンスタイン卿の言葉が反響してその手が止まる。バーンスタイン卿の父と王の最後に交わした言葉、そしてそれに疎外感を感じること。それが俺を縛ってあの紙を出すことを躊躇わせた。
「見返りを求めてなどいない。といっても、信用できんか……」
その笑顔に胸がチクチクと痛みだす。ただお礼を言いたいだけなのに、なぜこんな風になってしまったのだ。治療にしたって、住む場所にしたってそうだ。何もかも全て王の計らいだった。
ノアやバーンスタイン卿という尊敬する師に引き合わせてくれ、ブラウアー兄弟という兄と酒を飲み交わし、テオという友を失わずに済んだ。
マリーにしてもそうだ。それを考える余裕がないほど目まぐるしい生活で、絶望に沈むこともなかったのに。
俺は胸元に突っ込んだ手を取り出し、王の袖を掴んだ。そして座っていた長椅子の横に座るよう、何度か引っぱる。王はなにも言わず、隣に座った。だからもらった譜面を置いて、その曲を弾きはじめた。
もうすぐ春だというのに、まだ日が短く、あたりは薄暗い。だから嫌でもあの光景を思い出してしまう。王と見たあの風見鶏の光景を。
最初の一音を弾いた。そして譜面通りに弾くうちに、あの風景が霞んでいく。曲は驚くほど幸福に満ち溢れたものだった。春を謳歌するかのようなその譜面に、指が嬉しそうに動き出す。それに不思議な感覚にも囚われた。今日はじめて弾く曲なのに、懐かしく、その先の音がわかるような気がするのだ。
弾き終わるのが名残惜しいくらいだった。最後の一音を鳴らした時、ペダルから足を離せなかった。もう少しこの余韻に浸っていたい。隣にいる王に同意を求めて視線を送ると、王はびっくりしたように口を開いた。
「リアムはすごいな。一度見ただけでこんなに弾けるものなのか? それに、とても美しい曲だった。リアムも嬉しそうだな」
俺は何度も頷く。
「この曲は最近出た譜面だそうだ。明日もこの作曲家の譜面を買ってきてやろう。そうしたらまた弾いてくれるか?」
あまりの嬉しさに頷くことを忘れて王の顔を見つめてしまう。
「食べ物以外でそんな顔をするなんてな。紙を散らかし、譜面を欲しがる。お前は本当にヤギのようだな」
王が見せた笑顔に寂しさが宿っていなかった。それが嬉しくて、顔に血が集まり熱くなる。顔を背けたら、王の大きな手が、俺の頭をすっぽりと包んだ。
2回頭を撫でたら、王は立ち上がり風呂へ向かった。もっと触って欲しかった、そう思う気持ちを振り払うために、もう一度さっきの曲を弾く。その時、この曲の名前らしいものが書いてあることに気づいた。今まで字が読めなかったから気にしたこともなかったが、きっと作曲者の名前も書いてある。人の名というのはとても難しい。明日ノアに読み方を聞いてみようと思いながらも指は曲を弾きたがって動き、そのまま熱中の渦に飲み込まれた。
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