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3部 王のピアノと風見鶏
第23話 王の名前
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今日はお名前の勉強だと言って、次々に書き方を教えてくれた。1番難しかったのはジルベスタ。1番簡単だったのはノア。最後にノアはよくわからない発音をしながら名前を書いた。
「ギード。王様の名前だよ。呼ぶと恥ずかしがるんだよ」
ノアの言葉を遮り、バーンスタイン卿が入ってきた。彼が訪れるのは久しぶりだった。
「リアム、すっかり元気になったな。退屈していないか?」
「リアムは今日、文字を書けるようになりました」
ノアは何の気無しに言うが、思いがけず、字が書けないことを暴露され恥ずかしくなった。
「ノアは厳しくないか? 俺もノアに新しい勉学を教わっている。時々正解を教えてくれず、意地悪をされるのだ」
「そ、そんな! ぼ、僕は! 意地悪でやっているわけではないんです!」
ノアの大声に、バーンスタイン卿は顔をクシャクシャにして笑う。夜営でも笑っていたが、こんなにも子どものように笑う彼を初めて見た。だから俺は慌ててペンを取り、さっき教えてもらった文字を書いた。
受け取るなり、彼は俺をきつく抱きしめて、そして言ったのだ。
「王にも書いてあげなさい」
俺はコクコクと頷くと、バーンスタイン卿はしばらく俺を抱いて離れなかった。
夕方前になると王は部屋に戻ってくる。しかし俺は文字を練習するのに夢中で時間を忘れていた。
「なんだ、なんだ、なんだ! リアム、お前は本当にヤギになったのか!?」
夢中になりすぎて時間を忘れるどころか、あちこちに紙を撒き散らしてしまっていた。王が帰る前に片付ければいいと思っていたのに。
俺は今まで練習した中で1番形の良いものを王に渡す。王の名前の下に、ありがとうと書いたものだった。
「文字を習ったのか? 上手く書けている」
王はその紙を近くの机にそっと置いた。
その言動に、俺は彼が喜ぶだろうと期待していた心を知る。そして彼が傷ついた時に見せる表情を見て、抱擁を期待していた自分自身を知った。
「さあ、風呂に入ろう」
胸がギシギシと軋んで、いったい自分はどうしてしまったのかと思う。
王が手を伸ばした。それを俺は避けた。重苦しい沈黙に耐えきれず、紙を拾い集める。ノア、アシュレイ、ルーカス、ジルベスタ、ルイス、テオ、ギード。この時に、マリーがいないことに気づいた。今拾い集めるまで、知ろうともしなかった事実に驚愕する。
「もう、一緒に入りたくはないか?」
風呂などどうでもよかった。俺がマリーのことを口に出さなければ、この世からマリーが消えてしまう事実に恐れ慄いていた。急に寒気が襲い、両腕を抱いて心を沈める。
「どうしたのだ……」
背中を触ろうとした気配がして、俺は振り返って手を払う。どうして、マリーを忘れてしまうのか、そんな誰のせいでもない理不尽に怯えていた。
「わかった……風呂で気分が悪くならないうちに出てくるんだ。一定の時間を過ぎたら覗きにいくことは許してくれ」
俺の届かない場所にある紙を拾う王の横顔は、またあの悲しい笑顔だった。それに胸が痛むのに、いいようのない憤りが胸を二分する。
この夜から、俺は王と風呂に入らなくなった。大分前からものをつかめる程度には手は動いた。今までなんの疑問も持たず、王の服を濡らしていることの方がおかしかったのだ。
「ギード。王様の名前だよ。呼ぶと恥ずかしがるんだよ」
ノアの言葉を遮り、バーンスタイン卿が入ってきた。彼が訪れるのは久しぶりだった。
「リアム、すっかり元気になったな。退屈していないか?」
「リアムは今日、文字を書けるようになりました」
ノアは何の気無しに言うが、思いがけず、字が書けないことを暴露され恥ずかしくなった。
「ノアは厳しくないか? 俺もノアに新しい勉学を教わっている。時々正解を教えてくれず、意地悪をされるのだ」
「そ、そんな! ぼ、僕は! 意地悪でやっているわけではないんです!」
ノアの大声に、バーンスタイン卿は顔をクシャクシャにして笑う。夜営でも笑っていたが、こんなにも子どものように笑う彼を初めて見た。だから俺は慌ててペンを取り、さっき教えてもらった文字を書いた。
受け取るなり、彼は俺をきつく抱きしめて、そして言ったのだ。
「王にも書いてあげなさい」
俺はコクコクと頷くと、バーンスタイン卿はしばらく俺を抱いて離れなかった。
夕方前になると王は部屋に戻ってくる。しかし俺は文字を練習するのに夢中で時間を忘れていた。
「なんだ、なんだ、なんだ! リアム、お前は本当にヤギになったのか!?」
夢中になりすぎて時間を忘れるどころか、あちこちに紙を撒き散らしてしまっていた。王が帰る前に片付ければいいと思っていたのに。
俺は今まで練習した中で1番形の良いものを王に渡す。王の名前の下に、ありがとうと書いたものだった。
「文字を習ったのか? 上手く書けている」
王はその紙を近くの机にそっと置いた。
その言動に、俺は彼が喜ぶだろうと期待していた心を知る。そして彼が傷ついた時に見せる表情を見て、抱擁を期待していた自分自身を知った。
「さあ、風呂に入ろう」
胸がギシギシと軋んで、いったい自分はどうしてしまったのかと思う。
王が手を伸ばした。それを俺は避けた。重苦しい沈黙に耐えきれず、紙を拾い集める。ノア、アシュレイ、ルーカス、ジルベスタ、ルイス、テオ、ギード。この時に、マリーがいないことに気づいた。今拾い集めるまで、知ろうともしなかった事実に驚愕する。
「もう、一緒に入りたくはないか?」
風呂などどうでもよかった。俺がマリーのことを口に出さなければ、この世からマリーが消えてしまう事実に恐れ慄いていた。急に寒気が襲い、両腕を抱いて心を沈める。
「どうしたのだ……」
背中を触ろうとした気配がして、俺は振り返って手を払う。どうして、マリーを忘れてしまうのか、そんな誰のせいでもない理不尽に怯えていた。
「わかった……風呂で気分が悪くならないうちに出てくるんだ。一定の時間を過ぎたら覗きにいくことは許してくれ」
俺の届かない場所にある紙を拾う王の横顔は、またあの悲しい笑顔だった。それに胸が痛むのに、いいようのない憤りが胸を二分する。
この夜から、俺は王と風呂に入らなくなった。大分前からものをつかめる程度には手は動いた。今までなんの疑問も持たず、王の服を濡らしていることの方がおかしかったのだ。
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