幽閉塔の早贄

大田ネクロマンサー

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3部 王のピアノと風見鶏

第18話 風見鶏の名前

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 痛みから嫌な汗が吹き出し、両腕両脚から流れる血溜まりに、汗がボタボタと落ちる。

「お前のように家畜同然で暮らすなどごめんだ」

 その鋭利な言葉に絶句して、荒い息しか吐き出せない。

「お前は私が領主に犯されているのを知っていたな? しかしいつまでも子どもじみた遊びに誘いに来るだけで、救い出そうとしないどころか、目を逸らし続けた。ピアノもお前が弾かなくなったからこんなことになったんだ」

 マリーの白い背中が脳裏に揺れる。鞭で打たれてから、俺は確かにピアノを弾かなくなった。昔は2人で弾いていた。だから見つかった時に疑われなかったのだ。だけど、俺は怖くなって夜にも弾かなくなった。そのせいで、マリーは領主に目をつけられた。

「違う……違う……」

「なにが違うのだ。運命に翻弄され、自ら行動しないことを他人のせいにして。お前は家畜以外の何者だというのだ?」

「違うっ……!」

「私は自分の持てる全てを使ってこの暮らしを手に入れたのだ。家畜が人間の生き方に口を出すな」

「マリー……」

「清貧気取りが、軽々しく呼ぶな!」

 目を閉じた時に、王の目が浮かんだ。確かにマリーの言う通りだと思った。俺はマリーが望んで領主に犯されているのではないかと思っていた節があった。マリーは俺の助けを望んでいないのではないのかと思っていた節があったのだ。あの嬌声に表情。マリーは子どもじみた俺との愛なんかより、豊かな暮らしを望んでいた。その暮らしをマリーに与えられない自分から目を逸らすために、今日まで領主や運命を憎んでやり過ごしてきたのだ。

 左右の女が俺の肩を掴んで立ち上がらせた。アキレス腱も切られていたから、引きずられていると言った方が正しい。マリーや左右の女たちは自分の運命を変えるためにだったらなんでもするのだ。自分で立てない人間がどうして人が愛せるのだと問われているようだった。

 左右の草むらが風で揺れた。

 その時に何度か背中に衝撃が走った。多分ジルとルークが飛び出してきたとマリーが勘違いして、俺の背中を刺したのだろう。でもそれではここを逃げ出せない。そう教えてあげたいのに、声が出なかった。

 膠着状態が続き、女2人が俺を持ったままバーンスタイン卿の反対側に後退る時、急に景色が暗くなった。日がゴルザ帝国側の山に隠れたのだ。

 その時に一際大きな衝撃が背中を襲った。腹を見ると、槍の先が俺の腹から飛び出している。

「アシュレイ! 後方だ、視界を確保しろ!」

 後ろからジルの大声が聞こえたと思ったら、バーンスタイン卿の体から無数の炎が噴き出し、俺とマリーを避けてその炎が横を通り過ぎた。

 あたり一面火の海になったところで、急に左右の女が倒れた。だから俺も地面に倒れ込んだ。

「リアム!」

 バーンスタイン卿は俺にのしかかるなにかを退けて、起こし、腕に抱いてくれた。ヒューヒューと自分の胸から変な音がする。しかしそんなことも気にしていられなかった。

「マリーを、マリーを……殺さないでくれ」

 バーンスタイン卿がなにかを言いかけた時、後方のテオが声を上げる。

「陛下! どうやって!?」

「オットーの護衛はザルだ。もっと真面目に仕事するように言っておけ!」

「陛下、私の器をお使いください」

「そんなことで約束を反故できると思うなよ」

 国王陛下がアシュレイに代わり俺を抱く。もう、俺の命運は尽きた。

「マリーを殺さないでください……」

「約束も守れぬ者が、ぬけぬけとお願い事か」

 まったくの正論に、悲しみが込み上げる。涙がとめどなく溢れて、王の赤い瞳が霞んだ。本能がその目で見ないでくれと拒否しているのだ。

「アシュレイ、領主を追え」

「しかし……」

「すぐに捕らえて戻ってこいという意味だ! 領主は傭兵を何人か引き抜いている! 早く加勢に回れ!」

「決してあの境を越えないとお約束ください!」

「こんな状況にしたのは誰だ? 称号を剥奪されたくなければ、私が命を削る前に戻って来い!」

「御意!」

 テオとバーンスタイン卿の走り去る音が遠くに消えたら、王は俺の涙を唇で拭った。赤い瞳が再び眼前に現れる。

「マリーを……」

「ああ、わかった。自分の心配をしろ。アシュレイが領主を取り逃したら、お前は私の奴隷になるのだぞ」

「死体を……抱くのか……」

「ああ。いい趣味だろう? 他に言い残すことはあるか?」

 王の瞳がいつもと違う穏やかさに満ちていた。だから思うのだ。こうやって俺は自分の都合のいいように真実を歪めてきたのだと。

「風見鶏が……見たい……」

 王は顔をあげてキョロキョロする。そして不自然な座り方をして、俺を抱えた。その時に、マリーはもう息絶えたのだと悟った。王の優しさにまた景色が歪む。だから風見鶏は見えなかった。

「マアム……マリーと、リアムで……マアムだ」

「なんの話だ?」

「風見鶏の……名前……」

「安直だな」

「マリーは……お母さんが……恋しかったんだ……俺は……それも……見ないフリをした……」

「みんな母親を恋しがるものだ」

「お母さんに……会いたくて……風見鶏を……呼んでたんだ……」

 夜に抜け出し、風見鶏を見に行く遊びは、俺との時間ではなかったのだ。マリーは母親に助けを求めていたのに、俺は何もかも自分の都合のいいように勘違いした。そしてマリーは風見鶏の向く方へ運命を変え、願いを叶えた。

 自分はといえば、見つかることを恐れてすぐに王都に向かった。だから風見鶏は今も見えない。

「少し痛むから、この辺を噛んでろ」

 王はなにかを言っているが、よくわからなかった。急激に意識が遠くなる。だからせめてもの言葉を振り絞る。

「ありが……とぉ……」

 人は一度しか死ねない。だから誰も死ぬ感覚というのはわからない。俺は死とは穏やかに訪れるものだと思っていた。激しい痛みの中、最後の最後まで自分の都合の良さを痛感する。

 意味のない人生だった。
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