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3部 王のピアノと風見鶏
第9話 綺麗なスプーン
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「ヤギは食い物の話ばかりだな。なにを食べさせてもらったのだ?」
「す、スコーンというこの世のものとは思えない美味しいお菓子をもらった……あんなもの、初めて食べた……」
「そうか、そんなに美味しかったのか」
王は優しく笑って俺の頭を撫でた。その手からは昨日のような嫌な感じがしなかった。だからバーンスタイン卿の言葉が脳裏をよぎったのだ。魔人と庸人の格差是正に王が苦心している、と。この国に来て4年が過ぎようとしているが、確かに魔人と庸人の間に横たわる問題は複雑だった。魔人の間にさえ庸人が産まれるのだ。誰かの家族だからこそ表立った差別はないものの、事実上王都に集うのは魔人のみ。庸人は王都外に追いやられ、それが俺のような難民を受け入れる土壌になったのだ。
ぼんやりと王と心の中の風見鶏を見つめていたら、王の手が耳を伝って下り、俺の左の頬を包んだ。その熱でノアが与えてくれた料理も思い出した。
「ポトフという温かい食事もご馳走してもらった。苦い根は湯がいたりもするが、あんな安心する温かな食べ物は初めて食べた。とても、とても美味しかった」
「そうか。ここに居ればまたノアが作りに来てくれるぞ」
その言葉に心の底から嬉しさが湧き上がり、口元が綻ぶ。ノアがくれた美しいフォークとスプーン。あれをくれたのは、また作ってくれるという意味だったのか。胸全体が温かいもので張り裂けそうなのに、端が霜焼けのようにジンジンと傷んだ。
後ろのポケットに入れていたそのプレゼントを王にも見せようと手をかけた時、王が急に俺の顔を引き寄せた。
だから王の肩をそれで殴った。
「なにをしようとしたんだ」
王に問うと同時に、俺の足元にスプーンが転がる。俺が掴んだ方はフォークだった。王の肩から血が滲み、ゆったりした服が赤く染まっていく。
「リアム。このままここで暮らせるようにすることもできる。日中退屈ならばここで衛兵として働いて……」
それを王が言い終える前に、フォークを抜きもう一度、渾身の力で突き刺す。王は顔をゆがめることもなく、ただその燃えるような赤い眼で俺を家畜として見るのだ。昨日の夜と同じ目で。
「その権力で、俺を飼おうというのか?」
「そう……だな……」
今まで眉ひとつ動かさなかったのに、目を逸らし、声が少しだけ震えていた。それが俺の神経を逆撫でて、もう一度フォークを抜いて突き刺した。
最後の一突きで、王の体が少し揺れた。しかしそれは俺の力ではなく、王が左手をあげたからだ。俺はその左手の行方を目で追う。王はあげた左手で髪をかきあげ、まるでここを刺せとばかりに、白く太い首筋を俺の眼前に晒した。
「殺されたいのか?」
「殺されて当然のことをした。アシュレイに昨日のことを言えば、誰もお前を責めない。次期国王も決まっている」
だから、刺せとばかりに目を伏せ、時を待つ王に、昨日と同じ嫌悪感が体中を駆け巡る。俺はその感覚に囚われ、フォークを抜いてそしてそれを床に投げ捨てた。その音を聴いて王は少し微笑んだ気がした。
「なにを笑っているんだ」
王は左手を下ろした。掴んでいた長い銀髪がバサバサと彼の顔を覆い隠す。呻き声のような呟きが聴こえた気がしたが、なにを言ったかまでは聞き取れなかった。
ゆっくりと、王は顔を上げながら別の話題を切り出す。
「明日、本件の責任者であるバーンスタイン卿、及びその旅団の引率で、ゴルザ帝国国境線へ出発する。引き渡しには隣国の要人の立ち会いもあって、私や傭兵の領主、そして帝国宰相貴族も同行する」
民間で借り入れた傭兵が、この国の謀反に利用された件で、傭兵はこの国の法では裁かず送還されると聞く。ゴルザ帝国はこれを足がかりに長く続いた戦争状態に終止符を打つのか、ベルクマイヤ王国が賠償金で手を打つのか。どちらにせよ政治的解決が必要とあって、ゴルザ帝国は宰相を派遣したのだろう。
「テオも、アシュレイもいる。リアムが国境を越えたいと言うのであれば、2人はお前に協力してくれるであろう。国境線までは5日程度ある。その友情に背くことなく、最善の道を選ぶんだ」
王はまた右手を俺の頬に伸ばした。俺がそれを叩き払うと、王はしばらく俺を見つめた後、黙って部屋を出た。
その日王は部屋に戻ってこなかった。使用人らしき老人が夕食を運んできてくれた時に、明日の出発時間と風呂の使い方を教えてくれた。魔人の住う部屋はとても大きいが、風呂も驚くほど大きい。それにはしゃいでいた時に、ふと、昨日の汚れが朝には無くなっていたことに気づく。
モヤモヤとした気持ちが残ったが、念願のフカフカのベッドに入った時には、そんな細かいことはどこかへ吹き飛んだ。
俺は心のどこかで、権力に屈しなかったという誇らしさを感じていたのだ。
「す、スコーンというこの世のものとは思えない美味しいお菓子をもらった……あんなもの、初めて食べた……」
「そうか、そんなに美味しかったのか」
王は優しく笑って俺の頭を撫でた。その手からは昨日のような嫌な感じがしなかった。だからバーンスタイン卿の言葉が脳裏をよぎったのだ。魔人と庸人の格差是正に王が苦心している、と。この国に来て4年が過ぎようとしているが、確かに魔人と庸人の間に横たわる問題は複雑だった。魔人の間にさえ庸人が産まれるのだ。誰かの家族だからこそ表立った差別はないものの、事実上王都に集うのは魔人のみ。庸人は王都外に追いやられ、それが俺のような難民を受け入れる土壌になったのだ。
ぼんやりと王と心の中の風見鶏を見つめていたら、王の手が耳を伝って下り、俺の左の頬を包んだ。その熱でノアが与えてくれた料理も思い出した。
「ポトフという温かい食事もご馳走してもらった。苦い根は湯がいたりもするが、あんな安心する温かな食べ物は初めて食べた。とても、とても美味しかった」
「そうか。ここに居ればまたノアが作りに来てくれるぞ」
その言葉に心の底から嬉しさが湧き上がり、口元が綻ぶ。ノアがくれた美しいフォークとスプーン。あれをくれたのは、また作ってくれるという意味だったのか。胸全体が温かいもので張り裂けそうなのに、端が霜焼けのようにジンジンと傷んだ。
後ろのポケットに入れていたそのプレゼントを王にも見せようと手をかけた時、王が急に俺の顔を引き寄せた。
だから王の肩をそれで殴った。
「なにをしようとしたんだ」
王に問うと同時に、俺の足元にスプーンが転がる。俺が掴んだ方はフォークだった。王の肩から血が滲み、ゆったりした服が赤く染まっていく。
「リアム。このままここで暮らせるようにすることもできる。日中退屈ならばここで衛兵として働いて……」
それを王が言い終える前に、フォークを抜きもう一度、渾身の力で突き刺す。王は顔をゆがめることもなく、ただその燃えるような赤い眼で俺を家畜として見るのだ。昨日の夜と同じ目で。
「その権力で、俺を飼おうというのか?」
「そう……だな……」
今まで眉ひとつ動かさなかったのに、目を逸らし、声が少しだけ震えていた。それが俺の神経を逆撫でて、もう一度フォークを抜いて突き刺した。
最後の一突きで、王の体が少し揺れた。しかしそれは俺の力ではなく、王が左手をあげたからだ。俺はその左手の行方を目で追う。王はあげた左手で髪をかきあげ、まるでここを刺せとばかりに、白く太い首筋を俺の眼前に晒した。
「殺されたいのか?」
「殺されて当然のことをした。アシュレイに昨日のことを言えば、誰もお前を責めない。次期国王も決まっている」
だから、刺せとばかりに目を伏せ、時を待つ王に、昨日と同じ嫌悪感が体中を駆け巡る。俺はその感覚に囚われ、フォークを抜いてそしてそれを床に投げ捨てた。その音を聴いて王は少し微笑んだ気がした。
「なにを笑っているんだ」
王は左手を下ろした。掴んでいた長い銀髪がバサバサと彼の顔を覆い隠す。呻き声のような呟きが聴こえた気がしたが、なにを言ったかまでは聞き取れなかった。
ゆっくりと、王は顔を上げながら別の話題を切り出す。
「明日、本件の責任者であるバーンスタイン卿、及びその旅団の引率で、ゴルザ帝国国境線へ出発する。引き渡しには隣国の要人の立ち会いもあって、私や傭兵の領主、そして帝国宰相貴族も同行する」
民間で借り入れた傭兵が、この国の謀反に利用された件で、傭兵はこの国の法では裁かず送還されると聞く。ゴルザ帝国はこれを足がかりに長く続いた戦争状態に終止符を打つのか、ベルクマイヤ王国が賠償金で手を打つのか。どちらにせよ政治的解決が必要とあって、ゴルザ帝国は宰相を派遣したのだろう。
「テオも、アシュレイもいる。リアムが国境を越えたいと言うのであれば、2人はお前に協力してくれるであろう。国境線までは5日程度ある。その友情に背くことなく、最善の道を選ぶんだ」
王はまた右手を俺の頬に伸ばした。俺がそれを叩き払うと、王はしばらく俺を見つめた後、黙って部屋を出た。
その日王は部屋に戻ってこなかった。使用人らしき老人が夕食を運んできてくれた時に、明日の出発時間と風呂の使い方を教えてくれた。魔人の住う部屋はとても大きいが、風呂も驚くほど大きい。それにはしゃいでいた時に、ふと、昨日の汚れが朝には無くなっていたことに気づく。
モヤモヤとした気持ちが残ったが、念願のフカフカのベッドに入った時には、そんな細かいことはどこかへ吹き飛んだ。
俺は心のどこかで、権力に屈しなかったという誇らしさを感じていたのだ。
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