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3部 王のピアノと風見鶏
第1話 貧しき傭兵
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貧富とは富めるものの無関心で成り立っている。泥を掬い、木の根を食べる貧乏人の前で、自分の幸運を謳歌できるほど強い意志を持つ者などいない。自分は富んではいない、自分の富と他人は関係ない。そうやって理由をつけて見ないようにしているか、本当に見えないかのどちらかだ。
俺は今、人生で初めて見る豪華な宮殿内の、中庭に続く回廊の天井に張り付いている。人々の無関心によって人生を踏みにじられてきた貧しい傭兵にとって千載一遇の好機だった。神不在のこの地獄でたったひとつの奇跡にありついたのだ。
俺の眼下の廊下を先に護衛が歩いていく。その後ろを歩く小綺麗な貴族の声が、回廊の天井に響く。
「この度は民間の取引とはいえ、我が国の傭兵が謀反に加担する形となってしまいました。政治利用を疑っているわけではありません。しかし傭兵の受け渡しは国境近くでお願い申し上げたく。その方が双方にとって要らぬ疑念を抱かずに済むかと存じます」
貴族の後ろを歩く領主、豚野郎が薄汚い声で鳴く。
「ベルクマイヤ国王陛下。私の領地はこの国の国境近くとはいえ、険しい山岳地帯の僅かな平地で細々と暮らしております。傭兵としての出稼ぎが領民の主な収入源となっており、恐れ多くも雇主が謀反人として斬殺、投獄されたとあっては……」
自身は不当な人身売買で財を成し、その結果政治問題までに発展しているのにもかかわらず、金の無心に余念がない薄汚さに、もはや感心すら覚える。俺が半ば呆れていると、豚野郎の後ろに驚くべき大男の影が揺れる。
ベルマイヤ王国。それは四方を他国に囲まれた独立国家であり、魔人と呼ばれる巨人が住う王国。国王の体も驚くほど大きい。
顔を隠すためぐるぐる巻きにした布の中で嫌な汗が頬伝う。俺が狙う領主と国王の間にしか入る隙はない。魔人は火の魔法を使うと聞く。汗が伝う度に、嫌な結末が分岐して心を埋め尽くす。後ろから魔人に焼かれるかもしれない。護衛が勘付き矢を放つかもしれない。
しかし、俺とマリーの名付けたあの風見鶏が、心の中でクルッと反転した。今しかない。
国王が明るい中庭の光でその姿を晒す前に、俺は張り付いていた壁から手を離す。回廊の廊下は赤絨毯が敷かれており、降り立つ音を吸収してくれた。膝をついたそのままの高さで前に走り出す。豚野郎は気づいていない。懐に隠した短剣を取り出し、振りかぶったその時。信じられないことが起こる。
体がフワッと浮き上がり、さっきいた天井に戻されたのだ。時間が巻き戻ったような錯覚で混乱状態に陥る。俺の混乱とは裏腹に下から冷静な声が響いた。
「アシュレイ、私の部屋に入れろ。誰に見られることなく」
「御意」
この声で国王の姿をハッキリと捉えることができた。大きな体躯に銀髪の長い髪、燃えるような赤眼。国王はこちらに一瞥もくれず歩き出す。中庭の光が最も入り込む回廊の中腹まで国王が歩いた時、止められた時間が流れ出したかのように地面に叩きつけられた。わけもわからず地面に押しつけられる俺を捕らえたのは、国王よりもだいぶ小さな武官だった。この国で奇跡の器と呼ばれるアシュレイ=バーンスタイン。
俺は好機を逃した。その絶望でなされるがままバーンスタイン卿に腕を捻られる。今回の騒ぎの発端となった、ゴルザ帝国からの傭兵を制圧したのはバーンスタイン卿と聞く。国王の後ろに彼がいたとは。国王の体が大きすぎて小柄な彼を認識できていなかった。
「立て」
冷酷な声で腕を捻り上げられ、促されるまま立ち上がり、そして押されるがまま歩き出す。俺の命運は尽きたのか。しかしまだ生かされている。
洗いざらい奪われた人生に、なにか意味があったとするならば、この使命を果たすことに意味があるとすれば、まだチャンスはあるはずだ。そう目を瞑り、国王とは反対の暗い廊下を歩き始めた。
俺は今、人生で初めて見る豪華な宮殿内の、中庭に続く回廊の天井に張り付いている。人々の無関心によって人生を踏みにじられてきた貧しい傭兵にとって千載一遇の好機だった。神不在のこの地獄でたったひとつの奇跡にありついたのだ。
俺の眼下の廊下を先に護衛が歩いていく。その後ろを歩く小綺麗な貴族の声が、回廊の天井に響く。
「この度は民間の取引とはいえ、我が国の傭兵が謀反に加担する形となってしまいました。政治利用を疑っているわけではありません。しかし傭兵の受け渡しは国境近くでお願い申し上げたく。その方が双方にとって要らぬ疑念を抱かずに済むかと存じます」
貴族の後ろを歩く領主、豚野郎が薄汚い声で鳴く。
「ベルクマイヤ国王陛下。私の領地はこの国の国境近くとはいえ、険しい山岳地帯の僅かな平地で細々と暮らしております。傭兵としての出稼ぎが領民の主な収入源となっており、恐れ多くも雇主が謀反人として斬殺、投獄されたとあっては……」
自身は不当な人身売買で財を成し、その結果政治問題までに発展しているのにもかかわらず、金の無心に余念がない薄汚さに、もはや感心すら覚える。俺が半ば呆れていると、豚野郎の後ろに驚くべき大男の影が揺れる。
ベルマイヤ王国。それは四方を他国に囲まれた独立国家であり、魔人と呼ばれる巨人が住う王国。国王の体も驚くほど大きい。
顔を隠すためぐるぐる巻きにした布の中で嫌な汗が頬伝う。俺が狙う領主と国王の間にしか入る隙はない。魔人は火の魔法を使うと聞く。汗が伝う度に、嫌な結末が分岐して心を埋め尽くす。後ろから魔人に焼かれるかもしれない。護衛が勘付き矢を放つかもしれない。
しかし、俺とマリーの名付けたあの風見鶏が、心の中でクルッと反転した。今しかない。
国王が明るい中庭の光でその姿を晒す前に、俺は張り付いていた壁から手を離す。回廊の廊下は赤絨毯が敷かれており、降り立つ音を吸収してくれた。膝をついたそのままの高さで前に走り出す。豚野郎は気づいていない。懐に隠した短剣を取り出し、振りかぶったその時。信じられないことが起こる。
体がフワッと浮き上がり、さっきいた天井に戻されたのだ。時間が巻き戻ったような錯覚で混乱状態に陥る。俺の混乱とは裏腹に下から冷静な声が響いた。
「アシュレイ、私の部屋に入れろ。誰に見られることなく」
「御意」
この声で国王の姿をハッキリと捉えることができた。大きな体躯に銀髪の長い髪、燃えるような赤眼。国王はこちらに一瞥もくれず歩き出す。中庭の光が最も入り込む回廊の中腹まで国王が歩いた時、止められた時間が流れ出したかのように地面に叩きつけられた。わけもわからず地面に押しつけられる俺を捕らえたのは、国王よりもだいぶ小さな武官だった。この国で奇跡の器と呼ばれるアシュレイ=バーンスタイン。
俺は好機を逃した。その絶望でなされるがままバーンスタイン卿に腕を捻られる。今回の騒ぎの発端となった、ゴルザ帝国からの傭兵を制圧したのはバーンスタイン卿と聞く。国王の後ろに彼がいたとは。国王の体が大きすぎて小柄な彼を認識できていなかった。
「立て」
冷酷な声で腕を捻り上げられ、促されるまま立ち上がり、そして押されるがまま歩き出す。俺の命運は尽きたのか。しかしまだ生かされている。
洗いざらい奪われた人生に、なにか意味があったとするならば、この使命を果たすことに意味があるとすれば、まだチャンスはあるはずだ。そう目を瞑り、国王とは反対の暗い廊下を歩き始めた。
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