幽閉塔の早贄

大田ネクロマンサー

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1部 ヤギと奇跡の器

最終話 ヤギの見た夢

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知った後では知らなかった頃には戻れない。アシュレイが僕を愛してくれる前、アシュレイがなぜ僕を抱えて歩くのかよくわかっていなかった。触れてくれるのは嬉しい。でも僕が今感じているような温い感情を抱いてはいなかった。

アシュレイは僕を膝の上に置いて、王都研究のために広げられた地図にそっと指を這わせる。その地図に昼の暖かな光が差し込んでいた。

「王都研究は果てがないな。人々が日々その歴史を塗り替えているから仕方がないが……」

僕の背中にアシュレイの声が響く。およそ1ヶ月続いた塔の引き継ぎ期間は今日をもって終了し、明日からアシュレイは前任の士官に戻る。だから今日、ルイスは気をつかって1日非番だった。

「お父様のお加減はいかがですか?」

アシュレイは僕の頭に祝福のキスを落とし、そして少し笑って息を漏らした。

「永らく寝たままだったから足腰が弱って歩けはしないが……よく、話すようになった」

「どんなことを話すのです?」

アシュレイは少し黙った。僕はまた出過ぎたことを聞いてしまったかと机に投げ出していた手を引っ込めて膝に置いた。

「父は俺が今何を考えて暮らしているかということを話すととても喜ぶ。ノアの話は父のお気に入りだ」

自分のことを話してくれている驚きで、僕は少し肩を竦めた。そんな僕の胸に腕を回してアシュレイは引き寄せる。

「ノア、このまま塔から連れ出してはやく父に合わせたい。でも父がそれを心待ちにして生きていると思うと……」

僕の耳元でアシュレイが呻くように囁く。僕はあまりの内容に驚き戸惑ってばかりだった。アシュレイの父上に紹介いただくなど、さらに父上がそれを心待ちにしているなんて、まるで夢のようだった。

「僕はこの塔で魔人になって、アシュレイの好みの大きさになります、だから……」

「だから?」

武官になってもたまには顔を出してほしい。叶うのであれば、たまになんていわずに毎日会いにきてもらいたい。僕はそう告げたいのに、それが果たしてアシュレイが望む言葉なのか分からず口を噤んでしまう。

「ノア?」

僕は呼ばれた拍子に振り返って、アシュレイの瞳を見つめる。言葉では難しいが、伝わることを祈って唇を寄せた。アシュレイの唇の端にキスをした時、自分からすることの難しさを感じた。

「もう一度、ノア。もう一度してくれ」

アシュレイは僕の腰を掴んでクルッと反転させた。僕の両足はアシュレイの腰を挟んで投げ出される格好になってしまい、とても恥ずかしい。でもさっきよりはうまくできる気がして、もう一度唇を寄せた。唇同士がくっついた時、アシュレイの胸についた僕の手が大きな手に包まれた。

いつもしてくれるように彼の口を僕で一杯にしたいと、舌を伸ばす。アシュレイはそれを受け入れ僕の舌をなぞってくれる。

「アシュレイ、僕……」

アシュレイは僕の心なんてわかっているかのように、僕の腰を引き寄せて彼もそうなのだと教えてくれる。こんな日が高い時間からこんなことを言い出す羞恥よりも欲望の方が勝ってしまう。

「アシュレイ……僕はここで大きくなって……研究も続けます……だから……また迎えに来てください……お願いです……」

「ノアはなにか勘違いしているようだが、俺は明日からも塔に通うぞ」

「本当ですか!?」

「ノア……」

アシュレイはなにかを言いかけたまま、僕を抱いて立ち上がる。そして僕をベッドにそっと横たわらせた。

「俺がどれだけノアに夢中か、わかっていないようだな」

「そ、そんな! 僕は……」

僕が慌てている間にアシュレイは上の服を脱ぎその辺に投げ捨てた。

「毎日は来れないかもしれない。でも今からそんな調子では、俺のことなどすぐに忘れてしまいそうだ」

「忘れなど……僕はアシュレイを愛しています。本当は毎日来ていただきたいと、さっきも申し上げそうになったのです……」

「なぜ言ってくれないのだ」

アシュレイはなぜだと問いながらも、僕の口を塞ぐ。僕は口の中を満たされながらも、その快感に翻弄されない言葉があることに気づいていた。

アシュレイが唇を離し、言って欲しいと願う目で僕を見つめる。

「約束ではなく……心のままに……」

僕との約束によってアシュレイが苦しむことが、一番恐るべきことだった。

「もうそんなものは捨て去った。俺は生きたいように生きる。お前を一生離さない。ノア、もう一度」

自分にはあまりある言葉に、伸ばす手が震えてしまう。僕の手が触れるとアシュレイは嬉しそうに笑って、僕の顔に近づいてきてくれた。首に回した手で体を起こし、僕はアシュレイにキスをする。

「ここを出るまでに、あまり大きくならなくても……気長に待ってもらえますか?」

僕の憂いにアシュレイはびっくりするほど笑い出す。僕はアシュレイが黙ってしまう時、笑う時がいまいちわからない。

「ノア……ノア……」

僕の確かめたいことなど答えずに、アシュレイは服をめくって、手も唇も這わせていく。

僕はまた湖に落ちて、彼の名を声が枯れるまで呼んで、呼んで、呼び続ける。

奥にある奇跡が何度僕に注がれようとも、僕はアシュレイを呼ぶことを止められない。

そして僕がどんなに涙を流しても、彼は愛することをやめない。彼の体が、彼の湖が、喜びで震える時、僕が涙を流してしまうことを知っているのだ。アシュレイの悦びを一身に浴びることが嬉しい、これが幸福というのだと知った。




「アシュレイ……」

「もう誰にも注がない……ノアも……誰にも注がれない……」

「はい……」

「もう一度……」

「はい……」

僕がアシュレイに祝福を落とした時、窓からの西日が目の端を照らす。

アシュレイの湖に落ちていた間に、すっかり日は傾いて僕の夕日が迎えに来た。

アシュレイの胸に耳を当て僕は夕日が沈む移ろいを眺める。彼の胸に、奇跡の器に太陽が沈むのだ。

僕の夕日が彼に還っていく。この時、この瞬間、僕は永遠の夕日を手に入れた気がした。

<了>


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