幽閉塔の早贄

大田ネクロマンサー

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1部 ヤギと奇跡の器

第40話 持たざる者

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アシュレイが去ってから、僕は原因不明の熱にうなされて、ルイスの家事を手伝えていなかった。卑しい人間は、せっかく留まってくれた友達に迷惑しかかけられない。

最近、自分がこんなに後ろ向きな人間だったのだろうかと思うほど、考えたくないことを考えるようになった。

ルイスは僕が吐精できなくなってはやくこの塔からいなくなってほしいと思ってるのではないだろうか。

アシュレイはこの卑しい人間を心底軽蔑し、来なくなったのではないだろうか。

全部その通りだ。

だから僕はアシュレイがくれたこの香を未練たらしく焚くのだ。

今日もまた昼前にあの昂りが来るだろう。我慢して我慢して耐え抜いたら日が沈み、そして安心して眠る。朝には吐精するから塔は僕を追い出せない。なんて浅ましい生き方なのだろう。

朝の気の安らぐ時間すら、発熱で朦朧としている。もう僕から奪えるものなんてなにもないのに。



いつの間にかベッドに戻り寝てしまっていたようだった。慌てて飛び起きる。汗がボタボタブランケットに落ちた。

昼に寝てしまうと無意識に手が下半身に伸びてしまう。だから寝ないように体を起こしているのに今日はいよいよ熱が上がりわずかな理性まで奪っていく。

「ヤギは草でも食んでいるのか?」

窓の外から悪魔の声がする。

「今……行きます……」

発熱と昂りでベッドから起き上がるのも一苦労だった。浅い息をなんとか整えて、ベッドの横に用意されたパンを持って窓際に向かう。

「ヤギはなんだか調子が悪そうだな?」

「ふ……パンを……」

「目が真っ赤だぞ……ちょっとこっちに来い……」

悪魔に言われなくとも立っているのが精一杯で、鉄格子に寄り掛かろうと体を寄せる。

悪魔は僕の額に手を当てて熱を計る。涙袋を引っ張り、目の下を見たかと思ったら、急に僕の後頭部を引っ張った。顔を寄せ匂いを嗅ぐ。

「なんの匂いだ?」

「最近は……草を……食べていません……」

悪魔は舌打ちをしながら鉄格子に顔を近づける。

「香……? 誰に与えられた?」

悪魔は指をクイッと曲げて机の上に広げていた香の箱ごと浮かせた。

僕は慌ててその箱を掴み床に倒れ込む。

「ヤギに香は高尚すぎる。それをよこせ」

悪魔は僕の体ごと宙に浮かす。

「やめて! やめてぇ!」

「大きな声を出すな!」

「やめてーー!」

悪魔は観念したのか僕ごと床に叩き落とした。膝から落ち、足がジンと痺れる。

「僕は……ヤギです……なにも持たない……売られたヤギです……」

「そうだ。だからそれをよこせ」

「なにも持っていないと……思っていました……でもここに来て……いろんなものを奪われました……」

アシュレイの冷酷な言葉や、クシャクシャにした笑顔。ルイスの綺麗な姿や兄様たちのキス、ルイスの心配している顔。いろんなものがごちゃ混ぜになって胸のつかえを押し上げる。

「だから……もう……奪わないでください……お願いです……」

悪魔はなにも言わなくなったから、去ったのだと思った。香を胸に抱いてゆっくり振り返ると、悪魔は悲痛な面持ちで僕を見つめていた。

「1つでいい。俺に恵んでくれないか? その代わりに今日はパンを我慢する」

その言葉に僕は打ちのめされ、感情が一気に涙となって溢れ出した。

「ううっ……ううう……ふっ……」

僕は自分が与えて困らないものしか与えていなかった。悪魔は本当はパンが欲しかったわけではないのかもしれない。僕が渡したくないと思うものこそ欲しがったのかもしれない。

僕もルイスに同じことを思った。羨ましい、僕は孤独だ、と。

僕は箱を開け、香を1つ取り出す。そしてパンと共に悪魔にそれを差し出した。

「これはアシュレイにもらったのだな?」

「ふ……うううっ……ううっ……うううう」

「わかった。これを焚くとアシュレイを思い出すのか?」

「ううううううっ……ふっ……」

「じゃあしばらく焚くのをやめてほしいというのは難しいか」

悪魔が僕の香とパンを受け取ったら、それを袖にしまい、僕の頭を撫でた。

「愛しているのならば仕方がない。ただ少々過激だがな」

悪魔はよくわからないことを言いながら僕の涙を拭った。そして閉じていた目を開いた時、今度は本当に悪魔は姿を消した。
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