幽閉塔の早贄

大田ネクロマンサー

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1部 ヤギと奇跡の器

第24話 ルイスのいない午後

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アシュレイの胸板は固かった。美しい顔からは考えられないほど屈強な体躯に驚くとともに、この抱擁になにか意味があるのだろうかと、浮ついた疑問が体中を支配する。

「ノアはやはり少し細い。友達にパンを分け与えるのもいいが、もっと食べた方がよい」

「は……はい……」

「小動物のようですぐに死んでしまいそうだ。時々こうやって確認をするから、それが嫌ならきちんと食べるのだ」

わかったか? そう言ってアシュレイが僕の顔を覗き込む。自分でも顔が赤いのがわかった。だからアシュレイの視線をかい潜って俯き、それの拍子にコクコクと頷いた。

「アシュレイ、ノア、研究の最中申し訳ないけど、昼ごはん持ってきたよ!」

「ルイス、ちょうどその話をしていたところだ」

「え? なに? 僕の料理の話?」

ルイスは大きなお盆を両手で抱え首を傾げる。

「ルイス……ごめん……手伝いもしないで……」

アシュレイの話に夢中で、昼食の概念すら忘れてしまっていた。

「もともと僕の仕事なんだよ? それに、アシュレイは午後も居てくれるって言うから、午前に家事は済ませておいたよ。ちょっと買い出しに行ってもいいかな?」

「ルイス、買い出しなど朝ここへ来る時にでもできるだろう。今日はルークもジルも非番だぞ」

「家には夜に帰るよ」

「ダメだ。今日は俺がノアの面倒をみる。兄達にも昨日念を押されているのだ。早く帰れ」

ルイスは困ったように笑って頷いた。

「お言葉に甘えて今日は家に帰るよ。ノア、下準備はしてあるから、アシュレイと夕食を食べて。夜は1人になるけど、怖かったらアシュレイにお願いして、居てもらってね」

ルイスはいつも夜になれば塔の鍵を閉めて家に帰る。そうして朝早く買い出しを済ませて塔に出勤するのに。なぜ今日に限ってそんなことを言い出すのかわからなかった。昨日体調が悪いと言ったことをそこまで気にしてくれているのだろうか。

「大丈夫です……今日はとても体調が良いので……」

そうだ。昼前にはあの恐ろしい昂りに苦しめられていたが、今日はそれがない。

「ふふっ、アシュレイがいてくれるからかな?」

「俺といるのが嬉しいか? ノア。明日もちゃんと顔を出すぞ」

アシュレイが真面目な顔でそんなことを言うから、僕の心臓がもたない。俯いてモゴモゴしている間に、ルイスは昼食の盆ごと置いて、部屋を出て行ってしまった。



「僕の……体調を気にして今日は来てくださったのですか……」

カトラリーに手を伸ばすアシュレイに申し訳ないと感じながらも口から質問が転げ落ちる。

「いいや、あの本をはやく見せたかったのだ。体調が悪くとも本を押しつけて帰ったぞ。ほら、お喋りは一旦おしまいだ。ちゃんと食べて午後も続きをするぞ」

アシュレイは僕の前に置いた皿に食べ切れないほどの惣菜を盛っていく。

「ぼ、ぼ……ぼくは! 体は小さいですが、健康です! ごか、ご……ご家族の! あの……」

最後までうまく言えなかった。ついでに声も裏返ってしまった。僕の体調のせいで、ご家族の看病を放り出してきたのではないかと、心配と申し訳なさで一杯だった。目をギュッと瞑ってアシュレイの様子を肌で窺った。

しかし空気を震わしたのは、アシュレイのクスクス笑う声だった。薄目を開けると、アシュレイがクシャクシャの顔で笑っていた。

「ルイスに聞いたのか? ノアは優しいな……そんなに必死で……」

笑いを堪えて途切れ途切れに話す、その表情にまた僕の心臓が激しく脈打つ。僕の頭の上をアシュレイの大きな手が通過する。

「父上は最近昼に目を覚まさなくなってしまった。でも起きている時はとても苦しそうだから、最近は無理に起こさなくなったのだ」

アシュレイの通過した手が僕の頭を包む。

「父上が起きている時はいつも仕事に行かなくていいのかと心配するのだ。だからノアが気にすることは何もない。俺もここに来てノアと話をするのが楽しみだ」

「で、で、でも! お父様が、もし目を覚ました時……アシュレイ様がいたら安心します……体調がよろしくないならば……尚更です……」

「ではノア。今日俺が居て安心したか?」

「もちろんです!」

「ならば来た甲斐があった。父上が目を覚ますのは大抵夜の数時間だけになってきている。ルイスはああ言っていたが、夜はノアを置いて帰る。許してくれるな?」

「はい……はい……ありがとうございます……」

「さあ、食べるぞ」

頭を撫でていたアシュレイの手が、スッと僕の頬をかすめた。今日は朝から彼は手袋をしていなかった。その感触が新鮮で嬉しくて、午後はずっとドキドキしていた。

今日はあの昂りもなく、心穏やかに研究をすることができた。アシュレイの様々な表情を見るたびに胸がギュッとなったけど、一度も変な気分にはならなかったのだ。
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