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1部 ヤギと奇跡の器
第12話 器に注がれる悪意(アシュレイ視点)
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今、バーンスタイン家はルイスの厚意によって支えられていた。しかし週に一度の官吏の報告についてはルイスにお願いするわけにはいかない。
ほぼ毎週変わらない報告のために宮殿に赴かなければならないのは、なんとも馬鹿らしい。
父の病状は悪化する一方だった。母の病気と同じだ。最近は眠っている時間が長く、起きている時には常に高熱にうなされている。
「アシュレイ……大丈夫か?」
肩を叩かれ体を大きくのけぞらせた。
「ごめん、驚かせたりして……」
「アシュレイ……」
振り返ると、先週と同じ回廊でブラウアー兄弟が所在なげに俺を見つめていた。
俺がぼんやりしていたことで、きっとこの兄弟は父の病状を察したのだろう。弟のルイスに負担ばかり押し付けているのに、こんな心配までさせるのが心苦しい。
「心配をかけてすまん」
「アシュレイ、別に俺たちに報告の義務なんてないんだ。ただ……辛い時には必ず言ってくれ」
「どこにいても必ず駆けつける。必ずだ」
「ありがとう、ルーク、ジル」
2人は顔を歪ませて交互で俺に抱きつく。
「そういえばルイスとは楽しめたか?」
楽しい話題のはずだったが2人の表情が暗い。何事かと問いただそうとしたら、ルークが手を上げてそれを制した。
「すまん、ルイスに怒られたんだ。あんなルイス、初めて見た……怖かったな……ジル……」
「ああ……もう嫌われてしまうのかと……」
「なにをそんなに怒られたんだ?」
「ノアとルイスの関係を疑ってしまってな……本当に怖かった……ちゃんとノアに謝罪もしたし、ハグもした。ルイスは兄様のこと嫌いにならないよな?」
「俺に聞かれても……。なにを疑うことがあったんだ……」
「いやなに、ルイスがノアに手ほどきをしてると聞いてな。仕事とはいえ、勘ぐってしまってな……すまん。アシュレイ、お前がそれをノアに諫めたことも聞いた……」
「なんだと? まだあの生贄は1人で満足に責務を全うできないのか?」
「いや! アシュレイ、もうこの話は済んだんだ。これ以上ルイスの逆鱗に触れるような騒ぎを起こさないでくれ」
「それに……ノアも純真で、とてもいい子だった。さすがルイスの友達だ……」
ルークとジルは交互に言い訳を繰り広げる。相当ルイスに叱られたのだろう。こんなブラウアー兄弟の姿を見るのが初めてで、不覚にも笑ってしまった。
「ルイスに背負わせなくてもいい仕事をさせてしまっているようだな。それは善処する」
「アシュレイ! もうこれ以上余計なことをしないでくれ! ルイスに嫌われたらお前を一生恨むぞ!」
普段、冷静沈着なルークが慌てふためいている。
「悪いのは兄様なんだ! ノアもいい子だ!だから余計なことはせずに来週も許可をくれ!」
ジルは普段の豪快さからは考えられないほどナイーブだった。それが面白くて吹き出したら2人に、からかうな! と怒られた。
ブラウアー兄弟は半ば怒りながら上官の元へ向かい、去っていった。その背中を見つめながら思う。
彼らはルイスを溺愛するあまりに、事の異常さに気付いていないのだ。あの弱々しい生贄にはなんとしてでも1人で責務を全うしてもらわなければならない。
考えあぐねていたら見知らぬ貴族が前に立っていた。
「バーンスタイン卿、初めてお目にかかります。生贄に手を焼いているようですな……」
身なりからして貴族とわかるが、誰だか全くわからない。白髪まじりの髪を縛り上げ、ギョロっとした黒目がつり上がる、神経質そうな中年だった。
「申し遅れました。ヘンゼル=メルヒャーと申します。なに、辺境の下級貴族です。気になさらないでください」
頼まれもしないのにペラペラと喋りだす辺境の貴族を俺はどこか訝しげに見ていた。それに気づいたのか片眉だけを上げてじっと見つめる。
「以前塔の管理を行なっておりました。生贄に手を焼いているようでご相談に乗れればと思い……」
こんな胡散臭い貴族に話すことなどなにもない。そもそも管理者は1人であり、それは情報漏洩を嫌ってのことだ。前任者が誰かも知らされず、引き継ぎもなかったのに、よくもまあこんな稚拙なすり寄り方をしたもんだ。
「お心遣いありがとうございます。しかし塔の管理内容は公にすることはできず……」
「いいえ、塔の話ではありません。これを……」
メルヒャー卿は布に包まれたなにかを差し出した。
「危険なものではありません。信じ難いようでしたら今包みを開けてみてください」
このまま突き返すわけにもいかず、布の包みを四方に開く。中には香のようなものが入っていた。
「それは焚くとそういう気分になる香です。あの塔に選ばれるものが全て精力旺盛なものばかりではありません。私も書物や話を聞かせてやったりしましたが、この香が効果覿面でした」
「こんな……こんなものを受け取れません」
「一般の流通で購入できるものですよ。心配でしたら店をいくつか紹介いたしましょう」
なにからなにまで胡散臭い。しかし今抱えている問題を手っ取り早く解決できる方法でもある。ルイスに仕事以上の奉仕を辞めさせられることはできるし、それにより俺が家に帰る時間も確保できる。
一般の流通で購入できる。それが俺の判断を鈍らせた。
「ありがとうございます。メルヒャー卿。早速使わせていただきます」
「もし効果がありましたら次回は購入できるお店を紹介いたしますよ」
「こちらのお代は……?」
「塔を管理していた頃の残りです。なに、こんな歳ですし私には無用の長物でございます。処分に困っていたのでどうぞお受け取りください」
「感謝の念に堪えません、メルヒャー卿」
メルヒャー卿は造作もないといったジェスチャーでマントを翻し歩いていく。
父は最近寝込んでいることが多い。執事に看病を頼み、塔に訪れようと決意した。
ほぼ毎週変わらない報告のために宮殿に赴かなければならないのは、なんとも馬鹿らしい。
父の病状は悪化する一方だった。母の病気と同じだ。最近は眠っている時間が長く、起きている時には常に高熱にうなされている。
「アシュレイ……大丈夫か?」
肩を叩かれ体を大きくのけぞらせた。
「ごめん、驚かせたりして……」
「アシュレイ……」
振り返ると、先週と同じ回廊でブラウアー兄弟が所在なげに俺を見つめていた。
俺がぼんやりしていたことで、きっとこの兄弟は父の病状を察したのだろう。弟のルイスに負担ばかり押し付けているのに、こんな心配までさせるのが心苦しい。
「心配をかけてすまん」
「アシュレイ、別に俺たちに報告の義務なんてないんだ。ただ……辛い時には必ず言ってくれ」
「どこにいても必ず駆けつける。必ずだ」
「ありがとう、ルーク、ジル」
2人は顔を歪ませて交互で俺に抱きつく。
「そういえばルイスとは楽しめたか?」
楽しい話題のはずだったが2人の表情が暗い。何事かと問いただそうとしたら、ルークが手を上げてそれを制した。
「すまん、ルイスに怒られたんだ。あんなルイス、初めて見た……怖かったな……ジル……」
「ああ……もう嫌われてしまうのかと……」
「なにをそんなに怒られたんだ?」
「ノアとルイスの関係を疑ってしまってな……本当に怖かった……ちゃんとノアに謝罪もしたし、ハグもした。ルイスは兄様のこと嫌いにならないよな?」
「俺に聞かれても……。なにを疑うことがあったんだ……」
「いやなに、ルイスがノアに手ほどきをしてると聞いてな。仕事とはいえ、勘ぐってしまってな……すまん。アシュレイ、お前がそれをノアに諫めたことも聞いた……」
「なんだと? まだあの生贄は1人で満足に責務を全うできないのか?」
「いや! アシュレイ、もうこの話は済んだんだ。これ以上ルイスの逆鱗に触れるような騒ぎを起こさないでくれ」
「それに……ノアも純真で、とてもいい子だった。さすがルイスの友達だ……」
ルークとジルは交互に言い訳を繰り広げる。相当ルイスに叱られたのだろう。こんなブラウアー兄弟の姿を見るのが初めてで、不覚にも笑ってしまった。
「ルイスに背負わせなくてもいい仕事をさせてしまっているようだな。それは善処する」
「アシュレイ! もうこれ以上余計なことをしないでくれ! ルイスに嫌われたらお前を一生恨むぞ!」
普段、冷静沈着なルークが慌てふためいている。
「悪いのは兄様なんだ! ノアもいい子だ!だから余計なことはせずに来週も許可をくれ!」
ジルは普段の豪快さからは考えられないほどナイーブだった。それが面白くて吹き出したら2人に、からかうな! と怒られた。
ブラウアー兄弟は半ば怒りながら上官の元へ向かい、去っていった。その背中を見つめながら思う。
彼らはルイスを溺愛するあまりに、事の異常さに気付いていないのだ。あの弱々しい生贄にはなんとしてでも1人で責務を全うしてもらわなければならない。
考えあぐねていたら見知らぬ貴族が前に立っていた。
「バーンスタイン卿、初めてお目にかかります。生贄に手を焼いているようですな……」
身なりからして貴族とわかるが、誰だか全くわからない。白髪まじりの髪を縛り上げ、ギョロっとした黒目がつり上がる、神経質そうな中年だった。
「申し遅れました。ヘンゼル=メルヒャーと申します。なに、辺境の下級貴族です。気になさらないでください」
頼まれもしないのにペラペラと喋りだす辺境の貴族を俺はどこか訝しげに見ていた。それに気づいたのか片眉だけを上げてじっと見つめる。
「以前塔の管理を行なっておりました。生贄に手を焼いているようでご相談に乗れればと思い……」
こんな胡散臭い貴族に話すことなどなにもない。そもそも管理者は1人であり、それは情報漏洩を嫌ってのことだ。前任者が誰かも知らされず、引き継ぎもなかったのに、よくもまあこんな稚拙なすり寄り方をしたもんだ。
「お心遣いありがとうございます。しかし塔の管理内容は公にすることはできず……」
「いいえ、塔の話ではありません。これを……」
メルヒャー卿は布に包まれたなにかを差し出した。
「危険なものではありません。信じ難いようでしたら今包みを開けてみてください」
このまま突き返すわけにもいかず、布の包みを四方に開く。中には香のようなものが入っていた。
「それは焚くとそういう気分になる香です。あの塔に選ばれるものが全て精力旺盛なものばかりではありません。私も書物や話を聞かせてやったりしましたが、この香が効果覿面でした」
「こんな……こんなものを受け取れません」
「一般の流通で購入できるものですよ。心配でしたら店をいくつか紹介いたしましょう」
なにからなにまで胡散臭い。しかし今抱えている問題を手っ取り早く解決できる方法でもある。ルイスに仕事以上の奉仕を辞めさせられることはできるし、それにより俺が家に帰る時間も確保できる。
一般の流通で購入できる。それが俺の判断を鈍らせた。
「ありがとうございます。メルヒャー卿。早速使わせていただきます」
「もし効果がありましたら次回は購入できるお店を紹介いたしますよ」
「こちらのお代は……?」
「塔を管理していた頃の残りです。なに、こんな歳ですし私には無用の長物でございます。処分に困っていたのでどうぞお受け取りください」
「感謝の念に堪えません、メルヒャー卿」
メルヒャー卿は造作もないといったジェスチャーでマントを翻し歩いていく。
父は最近寝込んでいることが多い。執事に看病を頼み、塔に訪れようと決意した。
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