幽閉塔の早贄

大田ネクロマンサー

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1部 ヤギと奇跡の器

第5話 塔に憑く悪魔

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突然窓の外から聞こえた声にびっくりして鉄格子に顔を押し当て外を見る。すると視線の先に信じられない光景が待ちかまえていた。

巨大な男が宙に浮いている。

長いシルクのような銀髪を垂らし、上等な長い服で足が見えない。浮世離れしたその姿と雰囲気に圧倒させられる僕をよそに、男は切れ長の妖艶な赤眼で品定めをするかのように見つめていた。

「お腹が空いているんですか?」

さっきパンを恵んでくれるのかと聞いていた。だからそう話しかけたのに答えは、爆笑だった。さっきまでの妖艶な雰囲気はどこかに吹き飛び、幼いこどものような顔でコロコロと笑う。

「ああ……久しぶりに笑ったよ」

「あの、どうして浮いていられるのですか?」

僕は鉄格子の隙間から布の包みごと外に差し出した。男はパンを掴んでそれを物珍しそうに眺める。

「悪魔だからさ。お前は悪魔に貢物をした。なにか叶えて欲しいことはあるか?」

悪魔、その言葉に息を飲む。

「願い事はありません、パンを返してください」

悪魔はニタァと笑って、これみよがしにパンを頬ばる。その恐ろしい光景に足の先から震え上がって、なんとしてでもパンを返してもらおうと鉄格子の間から手を伸ばした。悪魔は恐ろしい笑みで僕の手をかいくぐり、楽しそうに咀嚼する。慌てる僕を見ながらゴクッと嚥下したら、突然笑うのをやめた。

「嘘だ。魔人だよ。だからそんなに怖がるんじゃない」

「よ、よかったぁ……! 本当に悪魔と契約してしまったのかと……!」

「魔人を見るのは初めてか?」

「いいえ、いいえ。でも昨日見た魔人よりずっと大きい」

「ああ、奇跡の器か。あれでも庸人よりはずっと大きいだろ」

「はい、とても立派な方でした……」

この時になぜ僕の見た魔人が奇跡の器だと知っているのかと疑問を抱き、それと同時に昨日の醜態を思い出し、ゾッと寒気がした。

「昨日も……そこにいらしたんですか……?」

「さあな……」

そっと顔を窺うと、男はなんとも言い難い顔で僕を見ていた。魔人が手を伸ばして鉄格子越しに僕の頭を撫でる。

「俺はこの塔に取り憑いた幽霊みたいなものだ。ここに囲われる者は皆、成人しているはずだが……お前はなんだかこどものようだな」

魔人は昨日アシュレイが僕に言ったことを呟く。しかしその目がとても優しく、さっきから目まぐるしく変わる表情に翻弄されてばかりだった。

「なに、恥ずかしがることはない。この塔に選ばれる生贄が、必ずしも責務を果たせるわけではないのだ」

「他の生贄のことをご存知なのですか?」

昨日ルイスが言い淀んだ鉄格子の真相を聞こうか迷ったが、それは飲み込んだ。ルイスが言わないということは、それはつまり聞いてはならないことなのだと直感的に思った。

「少なくともここの世話役のルイスよりは知っているさ……もう少しこっちへこい」

ルイスの名も知っていることに驚き、僕は言われるがまま窓際に顔を寄せる。魔人は僕の頬を撫でたあと顔を寄せて匂いを嗅いだ。

「しかし腹を空かしているのかと尋ねられたのは初めてだ……。肌も柔らかい。それになんだ? お前は夏草の香りがするな」

その言葉に羞恥心でボッと顔が熱くなる。匂いを嗅ぐのをやめない魔人の手の中で自分の体臭を嗅ぐ。

「よく野草を食べていたので……匂いますか?」

「野草……? なぜだ?」

「お腹が空くからです」

それ以外の理由はないというのに、魔人はまた大声で笑った。

「お前はお腹が空くと草を喰むのに、腹を空かせた見ず知らずの輩にパンを分け与えるのか? まるでヤギのようだな……」

クツクツと笑いながら魔人が指で僕の唇をなぞる。それは生きることに必死で、草をも喰む貪欲な口を嘲笑うかのようだった。

「ヤギはパンではなく乳を献上すべきでは?」

「僕は男です。この塔には男しか入れないはずです」

「男にも乳は付いている。女と同じ2つの蕾が」

魔人の手が顔から下って僕の胸を這う。

「乳は出ません。試してみますか?」

困ったように笑い、魔人は首を振る。

「生きることに手一杯で、それどころではなかったのだな。今日の責務は果たせたのか?」

「いいえ……うまくできないのです……」

「草ばかり喰んでいたのだから、仕方がない。こうやって触れられる時、思い出す者はいるか?」

両の手で僕の体を撫で回すその感覚に、思い当たる人物は、アシュリーただ一人だった。誰にでも分け隔てなく優しいアシュリーだったが、あの祝福をくれるのは僕にだけだった。

腹を空かせ、草原で苦味の少ない野草を探す。日が傾き、就寝の用意のために年長者が草原を走り回りこどもらを連れ戻す。

僕を探しにきてくれるのはいつもアシュリーだった。人一倍体の小さな僕をいつも気にかけてくれていた。そうして僕を迎えに来るとこうやって体を撫で回し、ちゃんと食べているのかと尋ねる。食べている、と答えると必ず額にキスをしてくれる。だからその日野草が見つからなくても、アシュリーにパンを分け与えられなくても、食べたと答えるのだ。

「僕を気にかけてくれていた人が1人だけいました」

懐かしい情景とともに、昨日のアシュレイの蔑んだ目を思い出す。こみ上げるものがあって目をギュッと閉じた。

「そうか。今日はそいつがこうやって触ってくれることを想像してやってみるがいい。お前が思うがままにすることを誰も咎めはしない」

思いがけない言葉に、堰き止めていたものが外れてどっと心に熱いものが流れ込む。

「はい……やってみます……」

その時、背後の戸から物音が響いたので振り返ってみるとルイスが部屋に入ってきた。

「ノア、誰と話しているの?」

「あ、お名前を……」

名を尋ねようと振り返ると、窓の外には美しい湖面が広がっていた。

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