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1部 ヤギと奇跡の器
第3話 生贄の味(ルイス視点)
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「ノア、大丈夫かい? 疲れただろう」
僕の労いの言葉など聞こえていないだろう未熟な生贄は、人生で初めての快感に戸惑っているようだった。アシュレイが去った後も身動ぎせずに声を押し殺して泣いていた。
「アシュレイは思ったより大きくてびっくりしたでしょう? 奇跡の器は器量だけではないんだよ」
ノアはアシュレイの名を知っているようだった。その噂を聞き及んでいればもしかしたらアシュレイを一回り小さく想像していたかもしれない。
庸人に比べ魔人の体格は大きい。しかしアシュレイは魔人にしては小柄だった。その美しさや威風堂々たる立ち姿に圧倒され見逃しがちだが、僕の兄たちと比べても頭1個分ほど小さい。それがあの忌まわしい噂の発端とも考えていたが、ノアはその真相までも突き止めているようだった。今日アシュレイが来る旨を伝えた時に僕に問うたのだ。
「アシュレイとは孤児院出身ではございませんか?」と。
アシュレイの出自については、軍においても知るものはいない。先の長い出征でアシュレイと苦楽を共にした兄達だからこそ知り得たようなもので、彼の用心深い性格からいっても真相を知る貴族など他にはいない。
「ノア……もう泣かないで……怖かったね。でも僕も君と同じだから安心して」
ノアの肩をそっと撫でる。この塔に勤めるようになって3年足らずだが、こんな少年は初めてだった。塔の募集は、これまでの統計から選ばれやすい条件を提示して行われる。男であること、一度も女を犯したことがない者、庸人であること。
最終的に塔に選ばれる男性は清らかであることが多いが、精通もしていない少年は初めてだった。
「同じ……?」
物思いに耽っていたらいつのまにかノアは翡翠のような美しい目で僕の様子を窺っていた。一見少女のような儚さだ。
「うん。ここのしきたりで家の名は言えないけど、僕も君と同じ庸人だよ」
貴族の家に生まれた庸人は産んだ妻ごと追い出されることが多い。僕の家は兄達のおかけで追い出されずに済んだ。そういった庸人を産み落とした妻をも養える名のある貴族が、息子をこの塔に志願させるのだ。
ここの務めを果たし、この塔を出る頃には魔人になるからだ。
僕もかつてはこの塔に志願していた貴族庸人だった。しかし何度目かの応募で見切りをつけて、幽閉塔の世話役という不名誉な仕事にありついた。最も忌み嫌われる仕事とはいえ、国の仕事だ。
「アシュレイは最近別のことで苛立っていてね。だから今日の態度は君のせいじゃないから」
アシュレイは文武両道の優れた武官だった。戦場では魔法剣士として、武官としては戦略家としてその才を遺憾なく発揮していた。
それがこんな不名誉な文官に任命されるとは。心中を察すると他人事とはいえ腑が煮え繰り返る。
「唯一の家族が病気でね。少し殺気立っているんだ。だから許してあげて」
この幽閉塔管理への任命は、奇しくもアシュレイの父君が病に倒れた矢先の出来事だった。バーンスタイン家の庇護が薄れた時を見計らった蛮行に、貴族達の政治を考えずにはいられなかった。
アシュレイは二次成長で魔人になった奇跡の人だ。この塔の生贄でもなければ、神からの恩寵で魔人に生まれたわけでもない。自ら運命を切り開いた真の奇跡の器なのだ。
「アシュレイ様のご家族は……お加減はいかがですか……?」
「な……」
唐突で無垢な、いたわりの言葉に絶句する。
「家のことに言及してはならないと失念しておりました……」
申し訳ございません、と首を垂れるノアを見たまま僕は驚き、固まってしまった。
「ノア、家というのは、家柄のことであって、その……家族の話は問題ないよ……?」
「そうですか……」
自分がなぜこんなにも驚いたのか納得のいく説明がつかなかった。でもノアが恥ずかしがる顔を見て、安らぎを感じたのは確かだ。
貴族社会の中で肩身を狭くして生きる庸人を気取り、自分は俯瞰してその社会を見てきたような傲りがあったことに恥じ入る。ノアの純粋なまでの”普通”の感覚にそれをハッキリと認識させられた。
「ノア。僕は君と知り合えてすごく嬉しいよ。お務めはつらい時もあるかもしれないけど、2人で頑張っていこう?」
「……はい」
耳まで真っ赤にして俯くノアが、愛おしいと感じる。こんな純真な心を濁らせるようなことがあってはならない。アシュレイが不名誉と、そして僕が忌まわしいと感じるこの仕事はこの歪な社会の役割であって、人の序列を決めるものではない。ノアになんの非もなければ、忌むべき存在でもないのだ。
そう思うと、心の中がじんわりと暖かくなる。
僕がそう感じるように、兄達は僕のことを思ってくれているのかもしれない。ノアの不思議な暖かさに触れ、僕はわずかな希望を抱いた。
僕の労いの言葉など聞こえていないだろう未熟な生贄は、人生で初めての快感に戸惑っているようだった。アシュレイが去った後も身動ぎせずに声を押し殺して泣いていた。
「アシュレイは思ったより大きくてびっくりしたでしょう? 奇跡の器は器量だけではないんだよ」
ノアはアシュレイの名を知っているようだった。その噂を聞き及んでいればもしかしたらアシュレイを一回り小さく想像していたかもしれない。
庸人に比べ魔人の体格は大きい。しかしアシュレイは魔人にしては小柄だった。その美しさや威風堂々たる立ち姿に圧倒され見逃しがちだが、僕の兄たちと比べても頭1個分ほど小さい。それがあの忌まわしい噂の発端とも考えていたが、ノアはその真相までも突き止めているようだった。今日アシュレイが来る旨を伝えた時に僕に問うたのだ。
「アシュレイとは孤児院出身ではございませんか?」と。
アシュレイの出自については、軍においても知るものはいない。先の長い出征でアシュレイと苦楽を共にした兄達だからこそ知り得たようなもので、彼の用心深い性格からいっても真相を知る貴族など他にはいない。
「ノア……もう泣かないで……怖かったね。でも僕も君と同じだから安心して」
ノアの肩をそっと撫でる。この塔に勤めるようになって3年足らずだが、こんな少年は初めてだった。塔の募集は、これまでの統計から選ばれやすい条件を提示して行われる。男であること、一度も女を犯したことがない者、庸人であること。
最終的に塔に選ばれる男性は清らかであることが多いが、精通もしていない少年は初めてだった。
「同じ……?」
物思いに耽っていたらいつのまにかノアは翡翠のような美しい目で僕の様子を窺っていた。一見少女のような儚さだ。
「うん。ここのしきたりで家の名は言えないけど、僕も君と同じ庸人だよ」
貴族の家に生まれた庸人は産んだ妻ごと追い出されることが多い。僕の家は兄達のおかけで追い出されずに済んだ。そういった庸人を産み落とした妻をも養える名のある貴族が、息子をこの塔に志願させるのだ。
ここの務めを果たし、この塔を出る頃には魔人になるからだ。
僕もかつてはこの塔に志願していた貴族庸人だった。しかし何度目かの応募で見切りをつけて、幽閉塔の世話役という不名誉な仕事にありついた。最も忌み嫌われる仕事とはいえ、国の仕事だ。
「アシュレイは最近別のことで苛立っていてね。だから今日の態度は君のせいじゃないから」
アシュレイは文武両道の優れた武官だった。戦場では魔法剣士として、武官としては戦略家としてその才を遺憾なく発揮していた。
それがこんな不名誉な文官に任命されるとは。心中を察すると他人事とはいえ腑が煮え繰り返る。
「唯一の家族が病気でね。少し殺気立っているんだ。だから許してあげて」
この幽閉塔管理への任命は、奇しくもアシュレイの父君が病に倒れた矢先の出来事だった。バーンスタイン家の庇護が薄れた時を見計らった蛮行に、貴族達の政治を考えずにはいられなかった。
アシュレイは二次成長で魔人になった奇跡の人だ。この塔の生贄でもなければ、神からの恩寵で魔人に生まれたわけでもない。自ら運命を切り開いた真の奇跡の器なのだ。
「アシュレイ様のご家族は……お加減はいかがですか……?」
「な……」
唐突で無垢な、いたわりの言葉に絶句する。
「家のことに言及してはならないと失念しておりました……」
申し訳ございません、と首を垂れるノアを見たまま僕は驚き、固まってしまった。
「ノア、家というのは、家柄のことであって、その……家族の話は問題ないよ……?」
「そうですか……」
自分がなぜこんなにも驚いたのか納得のいく説明がつかなかった。でもノアが恥ずかしがる顔を見て、安らぎを感じたのは確かだ。
貴族社会の中で肩身を狭くして生きる庸人を気取り、自分は俯瞰してその社会を見てきたような傲りがあったことに恥じ入る。ノアの純粋なまでの”普通”の感覚にそれをハッキリと認識させられた。
「ノア。僕は君と知り合えてすごく嬉しいよ。お務めはつらい時もあるかもしれないけど、2人で頑張っていこう?」
「……はい」
耳まで真っ赤にして俯くノアが、愛おしいと感じる。こんな純真な心を濁らせるようなことがあってはならない。アシュレイが不名誉と、そして僕が忌まわしいと感じるこの仕事はこの歪な社会の役割であって、人の序列を決めるものではない。ノアになんの非もなければ、忌むべき存在でもないのだ。
そう思うと、心の中がじんわりと暖かくなる。
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