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第1章 ダイバーシティパラドックス
第15話 旧世代的な直感
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最初ファリドはこの公園にある全ての滝を見るとはりきっていた。でも滝のロウアーでファリドは感動に打ち震え、かなりの時間を浪費してしまう。アッパーのトレッキングコースを歩いてみようと誘ったが、彼は僕の手を握り、ただただ感嘆するばかりだった。
「こ、ここは冬になると水が流れない滝で、こうやって見頃の時には観光客がいっぱい……」
僕は余計なことを言ったと途中で口を噤む。ファリドが地球に求めていることは、他者との繋がりであり、故郷で愛する人に出会うことだった。シアターホールは地球でいう哺乳類まで再現できるが、高度な知能のあるヒトだけは再現できない。
「ソラは、いつもそうやって俺のことをおもって途中で言うのをやめてしまうの?」
僕の手にまた汗が集中する。ファリドも気付いているはずだ。僕が緊張して汗を流していることに。別に彼にどう思われようと構わないのに、本当の気持ちを言えない。
「ソラ?」
「こ、怖くて……」
ファリドは少しだけ繋いだ手の力を抜いた。
「俺が? 怖い?」
そうだ。ファリドは意味不明なことで怒ったり、悲しんだり、興味を無くしてしまったり。未知なるファリドという存在そのものが怖い、でも今汗を流す僕には適切な言葉が思い浮かばなかった。
「ソラ、ここはとても綺麗だけど、少し静かなところに行きたい」
「は、うん、はい。少し行ったところに綺麗な小川があるんです」
「じゃあ行こう、しかし空気がすごく美味しい。こんなことなら内覧なんてしてないで朝から来ればよかった」
僕が少し戸惑うと、ファリドは笑って僕の手を引っ張る。
「ほら、怖くない怖くない」
森を抜ける時、ファリドは様々な質問を投げかけた。僕の専門は植物だから、美しい囀りの鳥の名や、この大地の成り立ちのことは答えられなかったが、知りうる限りのことを彼に共有する。
「シアターホールで、鳥は大丈夫。熊も大丈夫。じゃあ、チンパンジーとかは再現できるの?」
彼がずっと抱えている、知的生命体の複製禁止についての疑問だった。それはとても素朴な質問だったが、永遠の命題でもある。高度な知能がある、自我がある、多種族と共生の意思がある。様々な角度から見れば、その線引きは曖昧だった。
複製が禁止されている生物の線引きとはつまり、バレーナの意思決定によるものなのだ。
僕はルルーのことを思い出して、繋いだ手に力を込めてしまう。ルルーは自我が与えられる前だったら、複製できただろう。しかし自我を持てばそれが叶わない。
「今、ルルーのこと考えてた?」
僕の手を引き先を歩くファリドを見るが、彼は前を向いていてどんな顔をしているのかわからない。
「多様性って、生物学上では環境の変化に備えたリスクヘッジなんだ。でもルルーがこの環境に適応できないからと排除されるのは違う気がする」
そうだ。本当の環境という意味でいえばルルーは淘汰されるべきなのかもしれない。でも僕が憤りを感じるのは、その環境に誰かの意思が介在しているからなんだ。気分によってはすぐに変えられる、環境というにはお粗末な他者の意思。息を切らし必死でその環境にしがみつこうとしている者を嘲笑い、そんなことでは選ばれないと安全な場所から評価する、そんな他者の介在。
「ソラは、ルルーのことになるとすごく雄弁になるね。彼のことが好き?」
「はい、好きです」
「どんなところが?」
「コンプレックスを抱き、環境に怯えながらも、前向きに生きているところです。彼はとても親切で……優しい……」
「彼にも言われていたね。故郷に帰らないでほしいって。彼と一生を共にする?」
「はい、僕はずっとルルーの友達でいたい……」
僕の話など聞いていないのか、ファリドは急に走り出した。彼の視線の先に小川が輝いている。小川に着くなり彼は靴を脱ぎ去り、パンツの裾をめくって川に入っていく。
「ああ、ああ。すごい。地球の水、温度、匂い」
「ファリド、あまり奥に行くと、僕は泳げないので!」
「ソラも少しだけ入ろうよ。すごく気持ちがいいよ」
「で、でも。せっかく選んでくれた服だし……」
「嬉しいことを言ってくれるね。じゃあほら、そこに座って、足出して」
僕が仕方なく岩に腰を下ろすと、ファリドはニコニコと僕の靴を脱がして、パンツの裾を丁寧に折っていく。膝まで折り上げたら、彼が急に腕を引っ張り上げた。バランスを崩して心の準備も無しに、川に足を突っ込み、そしてファリドの胸に飛び込んだ。
不慮の事故だと素早く謝り離れたいのに、ファリドは僕を抱きしめて離さなかった。
「一目惚れって感覚わかる?」
「わかりません!」
心臓がうるさくて、自分の声の音量さえわからない。僕の音量コントローラーは時々壊れてしまう。
「でも! それは僕がわからないだけであって、そうやって人と出会うことを否定しているわけでは! ひっ、ありません!」
ファリドはまた僕の頚椎に手を添えた。いつかしてもらったあの時と同じように、僕はファリドの顔を見ながら、頭の奥で光る閃光に飲み込まれていく。
唇同士が触れるだけで、ビリビリと全身に痺れが走り抜け、舌同士が触れれば甘いモヤが身体中を麻痺させる。
「んっ……ファ、リドォ……!」
今日は暴れ出したなにかが喉元を通り過ぎて、目頭を燃やす。その熱に耐えきれなくて、僕はボタボタと涙をこぼしてしまった。食事の後でと言われた時からずっと、ずっと、食事が終わるのを待っていた。自慢の野菜で料理を作り、とっておきの皿に盛りつけ、言葉を選んで会話した。ずっと、怖くて仕方がなかった。
「ああ、ソラ。なんで泣いてしまうんだ」
「わか、わか、わからない」
ほら、と首を傾げて、僕の頬に唇を寄せる。そして随分と流れた涙の筋を優しく拭ってくれた。
「なんで? なんで? 食事は終わったの?」
僕の大真面目な質問にファリドはやけに低い声で笑いはじめ、咳き込んで体を屈めた。
「ずっと食事が終わるのを待っててくれたの? ソラ」
「待ってたぁ!」
ファリドは一瞬眉間に皺を寄せて、苦しい表情を見せた。でもすぐにいつものファリドに戻って、何度も何度もキスをくれた。
「初めてソラを見た日、すごく可愛くて、でもあんな変な髪型で。それにあんな大胆な誘い文句で人を誘惑する子なんだって思ったら、一瞬で好きになってしまったよ」
「ちが、違います!」
「違わないよ。コミュニケーションが下手なくせに、友達のためにならあんな大胆な発言をする。自分の不利益になるのに、そんなことには無頓着でその映像を無修正で送る」
「な、髪型は?」
「本当は俺の軽薄な回帰願望を理解できないのに、それを個性として受け入れてくれる。価値観が違いすぎて理解できないことは、自分の欠陥だといつまでも悩み続ける」
「違う、違う!」
「あの時の直感を信じればよかった。そうしたら、ソラにこんな寂しい思いをさせなかった」
「違うよ! ファリド! 僕は……」
「旧世代的な直感なんて幻想、ソラは信じられない? でも否定はしてないんだよね?」
ファリドの求めている答えがわからなかった。百歩譲って、僕が彼の思う通りの人間だとして、その直感はその通りだと褒め称えればいいのだろうか。
「地球に行く理由はなくなった。ソラ、俺のパートナーになってほしい」
その言葉の破壊力に打ちのめされ、僕は腰を抜かして尻から川に落ちた。
「こ、ここは冬になると水が流れない滝で、こうやって見頃の時には観光客がいっぱい……」
僕は余計なことを言ったと途中で口を噤む。ファリドが地球に求めていることは、他者との繋がりであり、故郷で愛する人に出会うことだった。シアターホールは地球でいう哺乳類まで再現できるが、高度な知能のあるヒトだけは再現できない。
「ソラは、いつもそうやって俺のことをおもって途中で言うのをやめてしまうの?」
僕の手にまた汗が集中する。ファリドも気付いているはずだ。僕が緊張して汗を流していることに。別に彼にどう思われようと構わないのに、本当の気持ちを言えない。
「ソラ?」
「こ、怖くて……」
ファリドは少しだけ繋いだ手の力を抜いた。
「俺が? 怖い?」
そうだ。ファリドは意味不明なことで怒ったり、悲しんだり、興味を無くしてしまったり。未知なるファリドという存在そのものが怖い、でも今汗を流す僕には適切な言葉が思い浮かばなかった。
「ソラ、ここはとても綺麗だけど、少し静かなところに行きたい」
「は、うん、はい。少し行ったところに綺麗な小川があるんです」
「じゃあ行こう、しかし空気がすごく美味しい。こんなことなら内覧なんてしてないで朝から来ればよかった」
僕が少し戸惑うと、ファリドは笑って僕の手を引っ張る。
「ほら、怖くない怖くない」
森を抜ける時、ファリドは様々な質問を投げかけた。僕の専門は植物だから、美しい囀りの鳥の名や、この大地の成り立ちのことは答えられなかったが、知りうる限りのことを彼に共有する。
「シアターホールで、鳥は大丈夫。熊も大丈夫。じゃあ、チンパンジーとかは再現できるの?」
彼がずっと抱えている、知的生命体の複製禁止についての疑問だった。それはとても素朴な質問だったが、永遠の命題でもある。高度な知能がある、自我がある、多種族と共生の意思がある。様々な角度から見れば、その線引きは曖昧だった。
複製が禁止されている生物の線引きとはつまり、バレーナの意思決定によるものなのだ。
僕はルルーのことを思い出して、繋いだ手に力を込めてしまう。ルルーは自我が与えられる前だったら、複製できただろう。しかし自我を持てばそれが叶わない。
「今、ルルーのこと考えてた?」
僕の手を引き先を歩くファリドを見るが、彼は前を向いていてどんな顔をしているのかわからない。
「多様性って、生物学上では環境の変化に備えたリスクヘッジなんだ。でもルルーがこの環境に適応できないからと排除されるのは違う気がする」
そうだ。本当の環境という意味でいえばルルーは淘汰されるべきなのかもしれない。でも僕が憤りを感じるのは、その環境に誰かの意思が介在しているからなんだ。気分によってはすぐに変えられる、環境というにはお粗末な他者の意思。息を切らし必死でその環境にしがみつこうとしている者を嘲笑い、そんなことでは選ばれないと安全な場所から評価する、そんな他者の介在。
「ソラは、ルルーのことになるとすごく雄弁になるね。彼のことが好き?」
「はい、好きです」
「どんなところが?」
「コンプレックスを抱き、環境に怯えながらも、前向きに生きているところです。彼はとても親切で……優しい……」
「彼にも言われていたね。故郷に帰らないでほしいって。彼と一生を共にする?」
「はい、僕はずっとルルーの友達でいたい……」
僕の話など聞いていないのか、ファリドは急に走り出した。彼の視線の先に小川が輝いている。小川に着くなり彼は靴を脱ぎ去り、パンツの裾をめくって川に入っていく。
「ああ、ああ。すごい。地球の水、温度、匂い」
「ファリド、あまり奥に行くと、僕は泳げないので!」
「ソラも少しだけ入ろうよ。すごく気持ちがいいよ」
「で、でも。せっかく選んでくれた服だし……」
「嬉しいことを言ってくれるね。じゃあほら、そこに座って、足出して」
僕が仕方なく岩に腰を下ろすと、ファリドはニコニコと僕の靴を脱がして、パンツの裾を丁寧に折っていく。膝まで折り上げたら、彼が急に腕を引っ張り上げた。バランスを崩して心の準備も無しに、川に足を突っ込み、そしてファリドの胸に飛び込んだ。
不慮の事故だと素早く謝り離れたいのに、ファリドは僕を抱きしめて離さなかった。
「一目惚れって感覚わかる?」
「わかりません!」
心臓がうるさくて、自分の声の音量さえわからない。僕の音量コントローラーは時々壊れてしまう。
「でも! それは僕がわからないだけであって、そうやって人と出会うことを否定しているわけでは! ひっ、ありません!」
ファリドはまた僕の頚椎に手を添えた。いつかしてもらったあの時と同じように、僕はファリドの顔を見ながら、頭の奥で光る閃光に飲み込まれていく。
唇同士が触れるだけで、ビリビリと全身に痺れが走り抜け、舌同士が触れれば甘いモヤが身体中を麻痺させる。
「んっ……ファ、リドォ……!」
今日は暴れ出したなにかが喉元を通り過ぎて、目頭を燃やす。その熱に耐えきれなくて、僕はボタボタと涙をこぼしてしまった。食事の後でと言われた時からずっと、ずっと、食事が終わるのを待っていた。自慢の野菜で料理を作り、とっておきの皿に盛りつけ、言葉を選んで会話した。ずっと、怖くて仕方がなかった。
「ああ、ソラ。なんで泣いてしまうんだ」
「わか、わか、わからない」
ほら、と首を傾げて、僕の頬に唇を寄せる。そして随分と流れた涙の筋を優しく拭ってくれた。
「なんで? なんで? 食事は終わったの?」
僕の大真面目な質問にファリドはやけに低い声で笑いはじめ、咳き込んで体を屈めた。
「ずっと食事が終わるのを待っててくれたの? ソラ」
「待ってたぁ!」
ファリドは一瞬眉間に皺を寄せて、苦しい表情を見せた。でもすぐにいつものファリドに戻って、何度も何度もキスをくれた。
「初めてソラを見た日、すごく可愛くて、でもあんな変な髪型で。それにあんな大胆な誘い文句で人を誘惑する子なんだって思ったら、一瞬で好きになってしまったよ」
「ちが、違います!」
「違わないよ。コミュニケーションが下手なくせに、友達のためにならあんな大胆な発言をする。自分の不利益になるのに、そんなことには無頓着でその映像を無修正で送る」
「な、髪型は?」
「本当は俺の軽薄な回帰願望を理解できないのに、それを個性として受け入れてくれる。価値観が違いすぎて理解できないことは、自分の欠陥だといつまでも悩み続ける」
「違う、違う!」
「あの時の直感を信じればよかった。そうしたら、ソラにこんな寂しい思いをさせなかった」
「違うよ! ファリド! 僕は……」
「旧世代的な直感なんて幻想、ソラは信じられない? でも否定はしてないんだよね?」
ファリドの求めている答えがわからなかった。百歩譲って、僕が彼の思う通りの人間だとして、その直感はその通りだと褒め称えればいいのだろうか。
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