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第1章 ダイバーシティパラドックス

第6話 なぜトマトはトマト

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「そういえばさっきの荷物、そのままで大丈夫?」

「あ! そうだった!」

ハビの音声メッセージにより、事態がめちゃくちゃになってしまった。僕はファリドに運んでくれたお礼を簡単に伝えながら走り寄る。コンテナを開けると、3日前の元気なトマトが入っていた。

「トマト……? バレーナではそうやってトマトが届くのか?」

ファリドがそんな非効率なことを真面目な顔で言う。

「これは僕の趣味で育てているトマトです。今朝バルコニーのトマトをダメにしてしまって……職権濫用して3日前のトマトを複製リカバリーしてもらったんです」

「複製リカバリーって……テレポーテーションと同じ原理?」

「そうです。僕はここで植物を専門に研究しているので、こうやって複製リカバリーを申請することができるんです」

ファリドはトマトの苗を僕の代わりに持ち上げる。だから僕はバルコニーへの扉を開け、自慢の植物園に案内した。

「この日差し……なんだか懐かしいな……」

「地球環境と同じにしてるんですよ。他の異星人は全面部屋にするみたいなんだけど、僕は半分バルコニーにしました」

彼はトマトの苗をバルコニーに置き、そして葉をそっと掴んだ。彼の足元には今日僕がダメにしてしまったトマトが、助けを求めるように萎れた茎を投げ出していた。

「なぜトマトはリカバリーできて、人はダメなんだ?」

とても素朴でいて、だから答えに窮する質問に僕は閉口する。その質問は、なぜトマトはトマトと呼ばれるのかという質問に似ていた。テレポーテーションの仕組みは、パラドックスを解消するため送る側の物質を抹消する。そして、その物質の残骸を再構築して送られてくる物質に利用されるのだ。

「今、ファリドの足元にあるような現象が起きるからです。テレポーテーションは結局のところ複製で、これに運用のルールがなければ世界中がトマトだらけになってしまう」

「生きていればそうなるだろう。しかしなぜ死亡した人間には適用されないんだ?」

少し背の高いファリドを見上げると、苦々しい表情で、言葉を噛み締めていた。

「俺は一歩間違えば、このひしゃげたトマトになっていた。そして俺の船にいた難民も、あんな形で苦しみながら死ぬことになったのならば、どんな形でもいいから生きながらえたいと……思ったはずだ……。テレポーテーションは一度死ぬというが、俺の船が体験したこととなにが違うんだ」

返答に困った。今正論を言ったところで彼を傷つけることにしかならないからだ。

彼の話ぶりから宇宙に漂っている間、どれだけ過酷な状況だったかというのを少しだけ窺い知ることができる。そして死亡してしまった他のクルーに対して彼が莫大な責任を感じていることも理解できた。

しかし複製はクローンとは全く違う。ある時点からの生命が完全に複製されるのだ。ファリドの後悔は彼の主観的な問題であり、彼は複製される側の苦悩にまで考えが及ばないのだろう。

「とても……耐え難い体験だったと思います……でも、複製される前の彼らの苦しみを無かったことにはできない……彼らの苦しみを背負って生きていくことこそが……」

「でもソラはトマトを失うことに耐えきれず、複製をした」

僕の言葉を遮りピシャリとファリドは言う。

「俺はどんな手段でも生き残る。そうして、もう一度地球に帰る」

「地球に帰る?」

「俺は他星移住の末裔で限られた劣悪な環境で育ったから……。ここみたいにライフスーツがなくても歩ける環境で他人と出会ってみたいし、愛するパートナーを見つけたい」

最後の言葉で、さっきの僕への仕打ちはなんだったのかと憤りが募る。結局モテたいということか。

「その劣悪な環境では、ファリドでもモテなかったのですか?」

ファリドは急に笑い出し、僕は困惑の中で怒りが沸点に達する。

「モテることと、愛する人を見つけられるのは別問題だよ」

つくづく主観的な人間だと、率直に思った。選り好みをしたい、つまりはそういうことだ。

「見つかるといいですね」

「どんな劣悪な環境でも、あんな髪型で対面した人はソラが初めてだよ。みんなそれなりに自分をよく見せたいものさ」

クスクスと嘲笑を浮かべるファリドに悪意以外感じられなかった。

「このバレーナではどんな価値観でも尊重し、相手の尊厳を踏みにじることは許されない。僕は確かに失礼な格好であなたを迎え入れたかもしれない。でもそれは価値観が違うからで悪意があったからではありません」

「愛する人が、愛してくれるというのも別問題だしね。そういう価値観は尊重するよ……」

言い寄られる数も多いから1人には執着しない。流石、それだけに特化したモテ男の崇高な考えだ。

しかしそんな彼の価値観も尊重せねばならないのだ。僕だって彼のように器量に恵まれていれば研究対象が違っていたかもしれない。人は中身だなんていいながら、運命は生まれた環境や容姿で大きく左右する。彼が僕を馬鹿にするのは当然のことなのだ。
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