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番外編
ラムダの人類にははやすぎるスタンプ
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「カイ、今日はお仕事行きませんか?」
僕は起き上がり辺りを見渡すが、今日のラムダは掃除機をかけていなかった。大抵この質問をする時には、掃除機をかけたい時か、要望がある時なのだ。
「うん、今日はお休みだよ? ラムダ。こっちにきて、いい子して?」
買い物に行きたいと言い出すのかと思って、ソファに座らせようと誘う。正直、僕は昨晩のラムダの暴走で疲れていた。心の底から僕を愛してくれているから無下にもできないが、体力には限界というものがある。
「カイ、私のいい子」
でも幼い頃から言い続けてくれるこの言葉に、僕はとても弱い。体力は底を尽きたが、この聞き慣れた優しい言葉を聞くと、心の中で鋭利なものが暴れ出す。
「どうしたの、ラムダ。一緒に買い物に行きたい?」
僕は彼の肩に顔を押し付け、離れたくないとアピールした。
「私は元ドローン兵器にしては、社会に溶け込み、うまくやっていると思っていました」
唐突な話題に、顔を離してラムダの顔を窺う。
「でも最近自信がないのです」
「え? え? なに? 僕は悪い子?」
「いいえ、カイはいい子。私のいい子です。私は勤め先でランチ仲間ができました。だからその子たちと連絡を取り合うようになったのです。その中で特に趣味の合う女性がいます」
僕は足の先から冷たいものが這い上がり、ラムダの肩を掴んでしまう。ラムダが自身の交友関係について話すことなんて、今までに例がない。家の中では壊れたラジオのように僕の武勇伝を語り、話題に上がったとしても共通の知人、ダイナマートの“おいたん”くらいなものだった。
「え……ラムダ、いまなにを言おうとしているの……」
「これを見てください」
僕の不安などよそに、ラムダはメインモニタにその女性と思しき人とのテキストメッセージを表示した。
「ラムダ、僕の質問に先に答えて。怖いんだ」
「カイは私のいい子。私の相談は怖いですか?」
「相談?」
「ええ。私はその子とのやりとりで、絵文字スタンプというものを知りました。それはテキストでは補えないヒトの心の機微を表現するための発明品です。それに受け取った側は相手の心を瞬時に認識できる優れものでもあります」
唐突な絵文字スタンプの歴史で謎が深まり、僕はメインモニタに映し出された会話文を目で追う。なんてことはない、ランチにどこへ行くかという誘いのメッセージだった。ラムダは女子力の高い店をチョイスして送っていた。
「しかし私の使い方が間違っているようで、彼女は私の絵文字スタンプの意味がわからないと言うのです」
更に文章を追う。相手からは、ラムダのチョイスしたお店は新規開店の人気店だから、別のインド料理店に行きたいと返ってきていた。そして、最後のラムダの返信で僕は絶句する。正確にいうと、ラムダが絵文字スタンプとして送った画像に、絶句したのだ。
「な……なん……」
唐突に僕の写真画像が貼られている。もはや絵文字スタンプという概念を超越していた。
「ら……ラムダ……こ、この画像は……どういう気持ちで送ったの?」
相手はインド料理の話をしているのに、なぜ僕がラザニアを食べている画像を貼ったのか。いや、もはや突っ込むべきところはそこではない。絵文字スタンプとは最終的には画像だが、同じ画像は画像でも意味合いが違う。なぜ実写の! 実在する人物写真の! しかもラザニアなんだ!
「やはり……カイにも意味がわかりませんか?」
「ご、ごめん。アドバイスしたいから、どういう気持ちで送ったのか教えてほしいな……」
「私も大好き、という意味で送りました」
む、難しすぎる! 百歩譲って友達が僕でも、その回答を理解することはできない!
「そっかぁ……」
「私の送る情報量が多くて、カイが音声通話に切り替えたことは分かっています。でもこの絵文字スタンプなら、一瞬で理解してもらえるから相手の負担にならないと思ったのですが……。私が人の気持ちをわかっていないから、絵文字スタンプも使いこなせないんですね……」
確かに、ラムダから一瞬で1000行くらいのメッセージが来て以来、僕はテキストメッセージではなく、時間を占有する代わりに情報量も少ない音声会話のみで連絡するようになった。それは僕の処理能力が圧倒的に低いからであり、彼の気持ちを否定したわけではない。
ラムダは悲しむことはない。でもそれは客観的憶測であり、今彼は悲しい事実に直面していた。
「ラムダ。大好きって気持ちに、僕の画像を使ってくれて嬉しいよ。でも人は共通認識のキャラクターや記号化された表情に共感しやすいんだ。ランチのお友達は、ラムダが僕のことを愛しているって知らないでしょ?」
「私にお嫁さんがいることは知っています」
「うん、でも多分ラムダのお嫁さんが、こんな顔でラザニア食べてて、それが世界一幸せな瞬間だって知らないと思うんだ」
ラムダが口をキュッと閉じて僕を見た。
「こんなたった一度の失敗で、それが全てだと思わないで。ちょっと練習してみよう。僕のメッセージで、プリインストールされている顔文字スタンプで返信してみて?」
「はい」
僕は悩んだ。でも今彼に伝えたいことはただひとつだった。
『ラムダ、大好き』
ラムダはビジー状態になる。そして送られてきた返信は、やっぱり僕がラザニアを食べる写真だった。
僕は起き上がり辺りを見渡すが、今日のラムダは掃除機をかけていなかった。大抵この質問をする時には、掃除機をかけたい時か、要望がある時なのだ。
「うん、今日はお休みだよ? ラムダ。こっちにきて、いい子して?」
買い物に行きたいと言い出すのかと思って、ソファに座らせようと誘う。正直、僕は昨晩のラムダの暴走で疲れていた。心の底から僕を愛してくれているから無下にもできないが、体力には限界というものがある。
「カイ、私のいい子」
でも幼い頃から言い続けてくれるこの言葉に、僕はとても弱い。体力は底を尽きたが、この聞き慣れた優しい言葉を聞くと、心の中で鋭利なものが暴れ出す。
「どうしたの、ラムダ。一緒に買い物に行きたい?」
僕は彼の肩に顔を押し付け、離れたくないとアピールした。
「私は元ドローン兵器にしては、社会に溶け込み、うまくやっていると思っていました」
唐突な話題に、顔を離してラムダの顔を窺う。
「でも最近自信がないのです」
「え? え? なに? 僕は悪い子?」
「いいえ、カイはいい子。私のいい子です。私は勤め先でランチ仲間ができました。だからその子たちと連絡を取り合うようになったのです。その中で特に趣味の合う女性がいます」
僕は足の先から冷たいものが這い上がり、ラムダの肩を掴んでしまう。ラムダが自身の交友関係について話すことなんて、今までに例がない。家の中では壊れたラジオのように僕の武勇伝を語り、話題に上がったとしても共通の知人、ダイナマートの“おいたん”くらいなものだった。
「え……ラムダ、いまなにを言おうとしているの……」
「これを見てください」
僕の不安などよそに、ラムダはメインモニタにその女性と思しき人とのテキストメッセージを表示した。
「ラムダ、僕の質問に先に答えて。怖いんだ」
「カイは私のいい子。私の相談は怖いですか?」
「相談?」
「ええ。私はその子とのやりとりで、絵文字スタンプというものを知りました。それはテキストでは補えないヒトの心の機微を表現するための発明品です。それに受け取った側は相手の心を瞬時に認識できる優れものでもあります」
唐突な絵文字スタンプの歴史で謎が深まり、僕はメインモニタに映し出された会話文を目で追う。なんてことはない、ランチにどこへ行くかという誘いのメッセージだった。ラムダは女子力の高い店をチョイスして送っていた。
「しかし私の使い方が間違っているようで、彼女は私の絵文字スタンプの意味がわからないと言うのです」
更に文章を追う。相手からは、ラムダのチョイスしたお店は新規開店の人気店だから、別のインド料理店に行きたいと返ってきていた。そして、最後のラムダの返信で僕は絶句する。正確にいうと、ラムダが絵文字スタンプとして送った画像に、絶句したのだ。
「な……なん……」
唐突に僕の写真画像が貼られている。もはや絵文字スタンプという概念を超越していた。
「ら……ラムダ……こ、この画像は……どういう気持ちで送ったの?」
相手はインド料理の話をしているのに、なぜ僕がラザニアを食べている画像を貼ったのか。いや、もはや突っ込むべきところはそこではない。絵文字スタンプとは最終的には画像だが、同じ画像は画像でも意味合いが違う。なぜ実写の! 実在する人物写真の! しかもラザニアなんだ!
「やはり……カイにも意味がわかりませんか?」
「ご、ごめん。アドバイスしたいから、どういう気持ちで送ったのか教えてほしいな……」
「私も大好き、という意味で送りました」
む、難しすぎる! 百歩譲って友達が僕でも、その回答を理解することはできない!
「そっかぁ……」
「私の送る情報量が多くて、カイが音声通話に切り替えたことは分かっています。でもこの絵文字スタンプなら、一瞬で理解してもらえるから相手の負担にならないと思ったのですが……。私が人の気持ちをわかっていないから、絵文字スタンプも使いこなせないんですね……」
確かに、ラムダから一瞬で1000行くらいのメッセージが来て以来、僕はテキストメッセージではなく、時間を占有する代わりに情報量も少ない音声会話のみで連絡するようになった。それは僕の処理能力が圧倒的に低いからであり、彼の気持ちを否定したわけではない。
ラムダは悲しむことはない。でもそれは客観的憶測であり、今彼は悲しい事実に直面していた。
「ラムダ。大好きって気持ちに、僕の画像を使ってくれて嬉しいよ。でも人は共通認識のキャラクターや記号化された表情に共感しやすいんだ。ランチのお友達は、ラムダが僕のことを愛しているって知らないでしょ?」
「私にお嫁さんがいることは知っています」
「うん、でも多分ラムダのお嫁さんが、こんな顔でラザニア食べてて、それが世界一幸せな瞬間だって知らないと思うんだ」
ラムダが口をキュッと閉じて僕を見た。
「こんなたった一度の失敗で、それが全てだと思わないで。ちょっと練習してみよう。僕のメッセージで、プリインストールされている顔文字スタンプで返信してみて?」
「はい」
僕は悩んだ。でも今彼に伝えたいことはただひとつだった。
『ラムダ、大好き』
ラムダはビジー状態になる。そして送られてきた返信は、やっぱり僕がラザニアを食べる写真だった。
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