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本編

第19話 1000回の朝焼け

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 ラムダが去ってから、僕は休暇の全日程を病院で過ごした。こんな縁もゆかりもない場所で1人捨てられた事実に正気を保つことは困難だったが、鎮静剤を打ってくれるだけ家よりはマシだった。
 ダイナマートの店主は退院予定日キッカリに僕を迎えにきてくれた。いつも陽気で卑猥な冗談を言う店主も、道中気をつかってかほとんど話らしい話をしなかった。家の前に到着した時、僕がお礼を言ったら、なぜか店主が泣き出した。

 あれから僕が変わったことといえば、クーデターを機に昇進した全ての士官を徹底的にマークするようになったこと。その中にはオリガー少佐も含まれていた。子悪党と違い人格も優れた悪党というのはなかなか尻尾を出さない。しかし失うものがない者が、利害関係なしに遂行すれば、根深い構造を変えることもそう時間はかからなかった。政治家数名と軍幹部ら数十名を芋づる式に白日の下に晒し、違う欲にまみれた者に引導を渡す。そうやって自国でトカゲの尻尾切りを循環している間に、国交が途絶えていた隣国に体力が戻った。まさか摘発された者たちが、なんの利益も産まない時間稼ぎをさせられているとは微塵も考えなかっただろう。

 あの日からおおよそ3年。僕は汚職浄化のサイクルを作ることに没頭し、あまり家に帰っていなかった。そうでもしなければうまく生きていくことができなかった。

 夜は睡眠導入剤で眠り、夜中激しい動悸とともに目覚める。少しの物音に怯え、押し寄せる後悔に苛み、そのまま朝日を見る。昇る朝日の美しさに胸が破れ、その痛みで涙を流す。僕はいい子と呟いて、自分の頭を抱える。こんな非生産的なことをするくらいだったら寝ないで働いた方がずっとマシだった。

 僕はなんのために生きていくのかさっぱりわからなくなってしまった。軍で行う汚職浄化のサイクルも一体なぜこんなことを始めたのか分からなくなっていた。毎日朝日を見て胸が痛い理由も、もうよくわからなくなっていた。痛みに耐え、孤独に耐え、ただただ耐え続ける先に、何もないということが更に耐えられず思考停止に陥っていた。

 その日は休日で珍しく家にいた。たまに帰る家が荒れ放題だったので、僕は朝から掃除をしていた。玄関センサーに何かが反応していたが、僕はこれを無視して掃除を続ける。ラムダが居なくなってからというもの、仕事以外で話す人間が極端に少なくなり、口語を喋ると吃ったり噛んだりがひどくて、プライベートでは人を避けるようになった。

 1度ダイナマートの店主が気分転換にドライブに連れて行ってくれたことがあったが、僕の口語が酷すぎてあまり会話にならなかった。僕はそれが恥ずかしくて俯くのに、店主はそれを責めるように心配する。仕事ではちゃんと喋れるのだと言い訳もしたければ、別においたん以外に喋る人なんていないからいいのだと言いたいのに言えない。心配されると泣き出しそうになりさらに喋れなくなるので、僕はおいたんも避けるようになってしまっていた。

 メインモニタの下を片付けている時に、メッセージが溜まっていることを知る。仕事のデバイスは持ち歩いているからプライベートなメッセージだが、3件も溜まっているのは珍しかった。

 履歴は全て2日前で、ダイナマートの店主からだった。1件目2件目は、なぜリアルタイムで応答しないのかという理不尽なメッセージだった。そして3件目は映像メッセージだった。ちょうどいいのでメインモニタに映し出す。

<仕事が忙しいっていったってほどがあるだろう! なんで連絡もよこさないんだ! これ見てみろ>

 ダナマートの店主の怒鳴り声と共にニュースの録画映像が流れる。アンカーマンが流暢に隣国の解放軍勝利の吉報を述べていた。

<有志によって形成された解放軍の首都鎮圧及び掃討作戦終了宣言から5日、3年ぶりの選挙に先立ち、暫定政権代表のティリンス氏が国交の途絶えた各国のメディアの前で会見を行ないました。この会見後ティリンス氏は暫定政権代表として……>

 ティリンス氏がクローズアップされた時に、ニュース映像が一時停止される。

<左奥、見えるか? 見えなかったら自分で拡大してみろ。これ、ラムダじゃねぇか?>

 そこでメッセージは途絶え、停止したニュース映像だけが残る。咄嗟にメインモニタの映像を拡大し、そしてその場にへたり込んでしまった。

 モニタに手を伸ばし、指の先がラムダの頬についたら、その冷たい肌触りに懐かしさと罪悪感が噴き出した。そんなことをできる立場じゃないとわかっているのに体がいうことをきかない。画面にキスをして、頬をつける。
 ラムダとキスをしてるみたいだった。最近は朝日を見る時にしか涙が出ないのに、じわじわと目頭が熱くなり、頬にその熱が溢れるのを感じる。

「カイ」

 懐かしい声がして、胸が締め付けられる。僕の愚行を叱咤されているようだった。

「ぼ、ぼぼくは……わ、悪い子」

 うまくない口語で許しを乞う。ラムダが生きているだけでいい、そう願っていたはずなのに、欲張りになって生きる意味すら見失っていた。僕は悪い子だった。

「カイはいい子。私のいい子です」

 幻聴が唐突に続きを喋り出した時に、僕はモニタから頬を離し声のする方に振り返った。

「カイは私のIDを抹消しなかったのですか? 勝手に入ってきて申し訳ございません。後でお仕置きしてください」

 僕は信じられない光景に後退りした。
 ラムダがすぐ目の前に立っていたのだ。
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