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第6話 兄の変貌

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 あれから兄が変わったことといえば、指が一本以上入るようになったこと、ドライで何度もいけるようになったこと、そして週に2回以上外泊をするようになったことだ。俺は毎朝夢精を繰り返している。

 土曜日、珍しく昼間に夜が部屋に篭っていたので、コーヒを立てて牛乳を温めた。3月初旬といえどまだまだ寒い。暖かいカフェオレが完成したらマグカップを2つ持って兄の部屋に入った。

「兄さん、勉強忙しい? ちょっと休憩しない?」

 夜は振り向きも声も発しない。仕方がないのでマグカップを持ったままベッドの端に座った。

「兄さん大学はどうやって選んだの? 俺もそろそろ進路を決めなきゃいけないんだけど……」

 兄はまるで俺がいないかのように黙々とラップトップで何かを打ち込んでた。ベッドから立ち上がり、夜の背後に立つ。その気配を察してか夜が突然口を開いた。

「レポート全然できてないから、話しかけないでくれる?」

 その剣幕は今まで全ての時間の浪費を責めているかのようだった。そのままマグカップを夜の机に置いて、いつか買ってきた未開封のペッドボトルのコーヒーを持って部屋を出た。

 部屋の戸をゆっくり閉める間、夜の後ろから少しだけ眺める。相変わらず俺の存在など気にする素振りもない冷たい背中だった。戸に手をついて上を見上げ、息を短く何度か吐いて気持ちを落ち着かせる。

 自分の部屋に戻ったら一日中天井を見ていた気がする。階下で夕食だと母が呼ぶ声がしてはじめて夜が居ないことに気がついた。

「兄さんは……?」

「さっき出て行ったわよ。今日も友達の家に泊まってくるって言ってた」

「そっか……」

 母と2人だけの食事が用意されたダイニングの椅子に腰掛ける。

「もうテストが終わったからハメ外して遊んでるのよ」

 そうか。レポートとかも多分嘘だったんだな。

「どうしたの灯、天井になんかついてる?」

「花粉症なのかな? 鼻が詰まってて……上向くと鼻が通りやすくなるんだ」

 息苦しい。でも血は繋がっていないのに息をするように嘘を吐くところはとても似ている。違うのは夜は明確に俺を傷つけようとして嘘をつくことだ。

 その時急に夜の胸の匂いがした。

 俺は立ち上がりトイレに駆け込む。服も下ろさず便座に座り顔を上げて息を何度も何度も吐き出す。

 夜にこんな嫌な嘘をつかせているのは俺だ。

 そう思うと掻き毟りたいくらいビリビリと痺れて胸が痛い。その胸を叩くように母がトイレの戸を叩く。

「灯!? どうしたの!? 鍵開けて!!」

 もう一言でも喋ったら涙が溢れそうなのに、母はそれを許さない。

「おかあさん……ごめん……お腹痛くて……」

「大丈夫なの!?」

 本当は大丈夫じゃない。助けて欲しい。お母さんの大事な息子を汚した。赤の他人が兄弟という特権を使って汚したのだ。

「大丈夫……」

 大丈夫なことといえば、一線を超えていない、それくらいしかなかった。心が手に入らないのであればこんなに固執することはないのに、当てずっぽうに動き回って袋小路に立った。

「おかあさん……大丈夫……」

 最近よく天井を見る。そこにずっと探していた光景があった。昔はよく夜に抱きついて顔を見上げていた。昔から自分の行動は何一つ変わっていない。

 でも夜をあんな風に変えたのは俺だ。



 次の日の朝早く、いつものように下着を洗っていた。最近は虚しさや罪悪感も薄れて気が抜けていたんだと思う。だから玄関の戸が開く音が聞こえた時に必要以上に狼狽えて、洗ってる途中の下着をそのまま洗濯機に放り込み玄関先まで出た。

「お、おかえり、夜。随分はやいんだね」

 夜は無言のまま靴を脱ぎ俺の横を通り過ぎようとした時、いつもとは違うシャンプーの匂いがした。その衝撃に耐えられずつい夜の腕を掴む。

「夜……どこに泊まってたの……」

 夜は俺の腕を振り払い歩き出そうとしたので、また掴んだ。

「関係ないでしょ……離してよ……」

「関係なく……ない……」

 腕を引き寄せて夜を抱きしめる。

「夜っ……」

 俺の懇願など無視して夜は渾身の力で俺を引き剥がす。久しぶりに夜と目が合った。だから疑問が口からこぼれ落ちた。

「誰に……抱かれたの……?」

 夜の返事は平手打ちだった。すごい音が響き渡ったが片方の耳でしかそれをきけなかった。片耳はキーンと甲高い音を拾いいつまでも煩くて、母が玄関先に来るまで茫然自失で立ち尽くしていた。
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