19 / 19
過渡期における上下関係
しおりを挟む
病気一つで人の生活がここまで激変し、十年先だと思われていた未来がこんなにはやく訪れるとは、去年誰が予想できただろう。これが節目だとばかりにDX推進の潮流が追い討ちをかけ、メンバーシップ型からジョブ型へ。製造業は黒字リストラが敢行され、例に漏れず今俺が所属している会社でも希望退職を募っていた。
しかしなぜだろう。会社が新陳代謝を図るべくやる気になればなるほど、働きもせずマウンティングに躍起になるオジサン社員の巣窟になる。
執務室に不愉快なハウリングが響き渡る。オンライン会議で、音響の設定すらできないオジサン社員の悲鳴がユニゾンするという大惨事。阿鼻叫喚とはこのことである。
「ちょっと、蜷川さん! もう会議始まってるよ! この設定やってよ!」
俺は無言で立ち上がり、上司のパソコンのスピーカーの出力を切る。
「あれ? 蜷川さんこの会議に入ってなかったっけ? ごめんごめん。チャットだとやっぱり伝わりづらくてさ。顔見ないと細やかなニュアンスって分からないじゃん。営業の頃の勘かな?」
上司は昔、営業成績で名を馳せたプレイヤーだった。そしてその手法が強引で、社内外のクレームによりこの部署に都落ちしたプレイヤーでもある。施してやったのにマウンティングしてくるあたり、こいつもなかなかに末期症状である。
上司がイヤホンを耳に突っ込んだので、俺は自販機に向かった。青白い光に照らされるこの場所だけが俺の居場所だ。
「蜷川さんは上司に優しいね」
自販機からガコッと缶コーヒーが落ちた時、後ろから声をかけられた。振り返るとこの会社一変わり者の進藤さんがヘラヘラ笑っている。
「進藤さんほどじゃないですよ。希望退職に手を挙げたって本当ですか?」
「うん、もうだいぶオジサンだし。蜷川くんみたいな新しい可能性に席を譲らないとね」
彼が変わり者と呼ばれる所以はそのプレイスタイルにあった。こうやってヘラヘラ話しかけてくるが、彼は隣の部署の部長である。他の部署の部長とは違い、役職を命令系統の役割くらいにしか思っていない。だからゴマすりと口だけでのしあがろうとする社員が寄り付かないのだ。
しかし部の中の人間の幸福度は高い。社内政治なんていう今まさに消え去ろうとしているメンバーシップ型の因習に縛られず、付加価値の高い仕事ができるのだ。
「俺、その席には座りませんよ」
「蜷川さん結局俺のラブコールに応えてくれなかったもんね。一緒に働きたかったなぁ」
何度か部署移動しないかと打診されたことがあった。しかしそれができない理由が俺の中にあったのだ。別に彼の元で働きたいわけではない。
「俺は……」
「ごめんごめん、なんか最後の最後に嫌な上司みたいな感じになっちゃったね」
「進藤さん辞めてどうするんですか?」
「え? まだ決めてないけど、フリーランスでしばらくやってみようかと思ってるよ」
元々優秀なエンジニアなのだ。管理職を捨てても有り余る程に。気ままな独身貴族を謳歌して、シンガポールあたりで悠々自適に暮らすのだろう。
「俺、進藤さんを部下にしたかったです」
「へ?」
「だから部署移動断ってたんですよ。俺、進藤さんを部下にして、命令したかったです」
剥き出しの俺の欲望に進藤さんは黙った。彼はさっき挨拶回りで菓子を配ってた。これが最後だから、いいのだ。
「命令って……」
「ここじゃ言えないようなエロい命令ですよ」
「セ……セクハラだよ……それ……」
ジョブ型へ転換したら、成し得ない野望だ。それに、進藤さんがいなければ意味がないし、セクハラでもある。
「セクハラで会社辞めさせられなかったの、進藤さんのおかげです。部署違ったけど、お世話になりました」
十度くらいの適当なお辞儀をする。
「それって……上下関係ないとダメなの?」
「あった方が燃えますね」
「俺は、蜷川くんの上司みたいに、優しくされたかったよ……」
信じられない返答に黙って地面を見続ける。昨今様々な常識が覆っているが、こんなことがあるか?
試しに進藤さんに近寄ってみる。彼はビクッとしたが、拒絶はされなかった。彼の股に自分の太腿を差し込み顔色を窺う。
「俺も同意してるからセクハラじゃないけど、会社ではやめようよ」
進藤さんの顔が赤く染まっていく。
「優しくします」
上下関係がなくとも、彼を手に入れられた悦びに、俺の下半身が暴れ出す。
「でも俺が上です」
コクコクと頷く彼の真っ赤な耳に、言われた通り優しく唇を寄せた。
しかしなぜだろう。会社が新陳代謝を図るべくやる気になればなるほど、働きもせずマウンティングに躍起になるオジサン社員の巣窟になる。
執務室に不愉快なハウリングが響き渡る。オンライン会議で、音響の設定すらできないオジサン社員の悲鳴がユニゾンするという大惨事。阿鼻叫喚とはこのことである。
「ちょっと、蜷川さん! もう会議始まってるよ! この設定やってよ!」
俺は無言で立ち上がり、上司のパソコンのスピーカーの出力を切る。
「あれ? 蜷川さんこの会議に入ってなかったっけ? ごめんごめん。チャットだとやっぱり伝わりづらくてさ。顔見ないと細やかなニュアンスって分からないじゃん。営業の頃の勘かな?」
上司は昔、営業成績で名を馳せたプレイヤーだった。そしてその手法が強引で、社内外のクレームによりこの部署に都落ちしたプレイヤーでもある。施してやったのにマウンティングしてくるあたり、こいつもなかなかに末期症状である。
上司がイヤホンを耳に突っ込んだので、俺は自販機に向かった。青白い光に照らされるこの場所だけが俺の居場所だ。
「蜷川さんは上司に優しいね」
自販機からガコッと缶コーヒーが落ちた時、後ろから声をかけられた。振り返るとこの会社一変わり者の進藤さんがヘラヘラ笑っている。
「進藤さんほどじゃないですよ。希望退職に手を挙げたって本当ですか?」
「うん、もうだいぶオジサンだし。蜷川くんみたいな新しい可能性に席を譲らないとね」
彼が変わり者と呼ばれる所以はそのプレイスタイルにあった。こうやってヘラヘラ話しかけてくるが、彼は隣の部署の部長である。他の部署の部長とは違い、役職を命令系統の役割くらいにしか思っていない。だからゴマすりと口だけでのしあがろうとする社員が寄り付かないのだ。
しかし部の中の人間の幸福度は高い。社内政治なんていう今まさに消え去ろうとしているメンバーシップ型の因習に縛られず、付加価値の高い仕事ができるのだ。
「俺、その席には座りませんよ」
「蜷川さん結局俺のラブコールに応えてくれなかったもんね。一緒に働きたかったなぁ」
何度か部署移動しないかと打診されたことがあった。しかしそれができない理由が俺の中にあったのだ。別に彼の元で働きたいわけではない。
「俺は……」
「ごめんごめん、なんか最後の最後に嫌な上司みたいな感じになっちゃったね」
「進藤さん辞めてどうするんですか?」
「え? まだ決めてないけど、フリーランスでしばらくやってみようかと思ってるよ」
元々優秀なエンジニアなのだ。管理職を捨てても有り余る程に。気ままな独身貴族を謳歌して、シンガポールあたりで悠々自適に暮らすのだろう。
「俺、進藤さんを部下にしたかったです」
「へ?」
「だから部署移動断ってたんですよ。俺、進藤さんを部下にして、命令したかったです」
剥き出しの俺の欲望に進藤さんは黙った。彼はさっき挨拶回りで菓子を配ってた。これが最後だから、いいのだ。
「命令って……」
「ここじゃ言えないようなエロい命令ですよ」
「セ……セクハラだよ……それ……」
ジョブ型へ転換したら、成し得ない野望だ。それに、進藤さんがいなければ意味がないし、セクハラでもある。
「セクハラで会社辞めさせられなかったの、進藤さんのおかげです。部署違ったけど、お世話になりました」
十度くらいの適当なお辞儀をする。
「それって……上下関係ないとダメなの?」
「あった方が燃えますね」
「俺は、蜷川くんの上司みたいに、優しくされたかったよ……」
信じられない返答に黙って地面を見続ける。昨今様々な常識が覆っているが、こんなことがあるか?
試しに進藤さんに近寄ってみる。彼はビクッとしたが、拒絶はされなかった。彼の股に自分の太腿を差し込み顔色を窺う。
「俺も同意してるからセクハラじゃないけど、会社ではやめようよ」
進藤さんの顔が赤く染まっていく。
「優しくします」
上下関係がなくとも、彼を手に入れられた悦びに、俺の下半身が暴れ出す。
「でも俺が上です」
コクコクと頷く彼の真っ赤な耳に、言われた通り優しく唇を寄せた。
0
お気に入りに追加
15
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。



ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる