過剰投与の美学(1話完結SS集)

大田ネクロマンサー

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メモリに近づく日

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大学も決まった俺は春休みにどうしても会いたい人がいた。俺は幼少期、喘息で母方の祖母のいる田舎で暮らしていた。3人兄弟の真ん中、隔世遺伝の喘息を患った俺に、両親は家族全員で空気の良いところへ引越す決断はしなかった。遺伝だから公害の補償金も出ず、家族全員で田舎で暮らせるアテもなかったのだ。

この年になればそういった事情も、両親の苦労も理解できるが、小学生の俺は半ば見限られたように思っていた。この田舎で暮らすのに祖母だけでは心許なく、田舎特有の静かな夜に毎日泣いていたのを覚えている。

「マサ! 麦茶でいい?」

充が台所の奥から叫んでいる。麦茶という単語が懐かしくて少しくすぐったい。喘息は中学入学までに落ち着いて、中学2年から東京に戻った。高校、大学と受験に熱中したのはこの田舎から離れて寂しかったから以外のなにものでもない。受験中はコーヒー以外の飲み物を飲んだ覚えがなかった。

俺はここに住んでいた頃の春を思い出して返事をするのを忘れてた。バタバタと台所から戻った充は、麦茶でいいかと質問していたのに、マグカップを2つ持ってきた。

「コーヒーにしたよ。よく考えたらマサももう大学生だもんな」

充は俺の2つ上の遠い親戚だ。祖母の家の近くに住んでいたため、俺が塞ぎ込んでいる時によく祖母が呼んでくれた。遊び盛りの充は最初の頃、この退屈で広すぎる祖母の家に来ることを面倒そうにしていた。それが心苦しくて、俺は充が喜びそうなことをなんでもした。

縁側に立っていた俺を応接間に来るよう充が呼ぶ。その時に、柱に刻み込まれた俺の成長記録に目を止めた。祖母が毎年俺の誕生日にこの柱に油性ペンで記入していた。一番成長した時、そして祖母が本当に俺を必要としている時、俺はこの家にいなかった。

「婆ちゃん、お前がいてくれたからボケなかったんだよ」

充はいつの間にか俺の横で柱の成長記録を撫でていた。祖母は俺が東京に帰ってすぐに認知症になって、今は施設で暮らしている。俺はそれを少し悔やんでいた。俯いて充の足元を見る。

「あ、ちょっとここから動かないでね」

そう言うと充は祖母のタンスから油性ペンを持ってきた。

「俺が書いてやるから、そのまま」

充は手を水平にかざし、俺の頭のてっぺんと同じ高さで柱に目印をつけた。

「柱の前に立つくらいするのに」

充は今日ずっとよそよそしかった。その理由はわかっていた。病弱でいつも充の後ろに隠れていた俺が自分より大きくなるとは思っていなかったのだろう。熱心に今日の日付を記入している充の腕を掴んだ。そのまま充を柱に押し付けて、油性ペンを奪った。

「や……やめろよ」

「俺と背比べするのは嫌だ?」

充は思いつめたように顔を歪めそっぽを向いた。眼下で目を背ける充は実物以上に小さく見える。そう見えてしまう自分がとても嫌だった。

「充、今日泊まっていってよ。また、あの遊びしよう?」

充は顔を背けたまま俺を見ない。

俺は充がこの家に来る理由のためだったら、彼が喜ぶことをなんでもした。充が罪悪感を抱かないようその行為を遊びと称し、何度も何度も家に呼びつけた。それは俺が望んだことでもあった。

「こんなに大きくなったら、もうあの遊びできない?」

充の指をそっと撫でる。

「ルール変えなくていいなら……俺も……したい……」

ルール。その言葉が安堵に似た懐かしさを胸にもたらす。

「俺も……充にしてもらいたい……」

充が俺を見上げて、その目がこっちに来いと命令している。俺はゆっくりと頭を下げて、柱に刻まれた中学生の頃のメモリに近づいた。

―――――――――――――――――――――――――
お題:背比べ/マグカップ/「ここから動かないでね」
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