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笑う観覧車
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冬の夜、横浜は寒い。海から吹き付ける風で体感温度は実際の気温よりも低い。なんのイベントもない横浜は通勤路と化し、遊園地のイルミネーションはなんだか哀愁を感じる。
いい大人が遊園地の前で待ちぼうけ。遊園地に勝るとも劣らない哀愁である。スマホを確認してみるがLINEの返信はない。さっき通話を試みたが応答はなかった。
会社帰りに会う約束をしていたから、そろそろ遊園地の閉園時間も迫る。待ち合わせ時間からもう1時間経った。いい加減諦めようと視線を前に向けたときに、見知った顔が現れた。
梶野春樹。このクソ寒い中を歩いてくるその姿も様になっている。梶野さんは会社の上司で、その精悍な顔立ち、年齢にそぐわない役職、この会社に着任するまでの経歴から、女子社員の憧れの的だった。男性社員からも慕われるその人格から、この横浜支社から栄転するのではないかと噂されていた。
「宮下、こんなところで何してるの?」
俺は黙る。遊園地の前で待ちぼうけしているところに、会社一かっこいい上司に話しかけられるとか、惨めさを通り越してなんだか笑えてくる。
「女の子誘ったんですけど、フラれたみたいです」
「だいぶ前に会社出てったよね? ずっと待ってたの?」
「いえ……買い物とかしてましたよ……ずっと待ってたわけではないです」
俺はこの期に及んで自分の惨めさから言い訳をし、その事実からも梶野さんからも目を背ける。梶野さんは俺の手首をコートの上から強引に掴み、自分の顔に押し当てた。突然のことでびっくりしたが、なんで梶野さんがそんなことをしたかわかった。梶野さんは、冷たくなってる、と笑った。
「笑いたければ笑えばいいですよ」
「うーん、でもこれだと全然笑えなくない?」
「傷口に塩を練り込んでいくスタイル、嫌いじゃないですよ……」
「宮下! 後世に語り継がれるほど、笑える話にしようよ!」
梶野さんは目をキラキラさせて言うが、何を言ってるかわからなかった。少年のように笑う梶野さんを見て、最近残業続いて頭おかしくなっちゃったのかな? とさえ思った。
俺は梶野さんに手を引かれながら遊園地に入る。なされるがまま俺と梶野さんは観覧車の前に来た。いつも通勤で遠目からしか見たことしかなかったので、その大きさに圧倒され、口を開けてしばらく見上げていた。その視界の中に梶野さんが入ってくる。
「女の子にフラれた勢いで、男2人で観覧車に乗る。なかなか笑えない?」
「ちょっと今は笑えないですね……」
「大丈夫、大丈夫。明日思い出したら笑えるって! 乗ろう!」
人の悲劇に便乗してはしゃいでいる梶野さんが、俺にとっては笑えた。梶野さんはキャリア組で、俺のような平社員と喋る機会はあまりない。こんな少年のような側面があるなんて思わなかった。
どう考えても会社帰りの男2人を見て目を逸らす観覧車の係員に、これみよがしに恋人のフリを見せつける。
「梶野さん、もう俺我慢できない」
「宮下、今日はこの後ホテルとってあるから、それまで我慢しなさい?」
「梶野さん……男前すぎる! 大好き!」
梶野さんの腕に自分の腕を絡ませて顔をなすりつける。梶野さんは俺の髪を撫でて囁く。
「後でもっと俺のことを好きになるんだから、今は我慢して……」
観覧車係員の絶望に似た顔を横目に観覧車に乗り込む。観覧車が動き始めたところで我慢ができず笑い出してしまった。2人でひとしきり笑った後で、もう少し色っぽい声の方がよかったのではないか、もっと直球でエロいこと言ったほうがよかったのではないか、と梶野さんと笑いながら反省会をした。
観覧車の外の夜景に目を奪われて、俺が窓に手をつけて黙ったら、会話が途切れてしまった。
「宮下は今日女の子とどうするつもりだったの?」
急な質問だったけど、あんなことをした後だったから気が緩み、ついつい本音を漏らしてしまう。
「そりゃ、あんな風に係員に羨ましられながら観覧車に乗って、キスでもしたかったですよ」
梶野さんを見ずに言ったが、梶野さんの漏れる息で笑ったのがわかった。
「じゃあしてあげるよ、こっちにおいで」
「なんでですか! 流石に笑えない……」
俺は梶野さんが伸ばした手を見て黙った。梶野さん指先が俺の頬に触る。そのあまりの冷たさに俺は顔を背けてしまう。
重い沈黙が流れた。それを梶野さんは明るく破る。
「女の子にフラれて、男2人で観覧車に乗り、男の上司に迫られました。なかなか面白くない? なんで急に梯子外すんだよー。ノリ悪いなー」
梶野さんは語尾を伸ばして、笑いながら言った。
「やっぱイケメンは違いますね、俺マジで惚れるかと思いました。梶野さんヤバイ。明日女子社員に自慢しよ」
「もうやめてー、イケメンもなかなか辛いんだから」
さっきの気まずい沈黙も含めて梶野さんは全部笑い話にしてくれた。でも観覧車を降りても、俺は梶野さんの冷たい指先を忘れられなかった。
遊園地を出たところで、約束していた女の子が息を切らして走ってきた。
「ごめんなさい! 電源切れて……!」
息も絶え絶えに言う彼女は本当に急いできてくれたんだと、感動で胸が震える。でも梶野さんがいなければ今の今までここに居なかった。そのお礼をしようと振り返ったら、梶野さんは優しく笑って歩き出した。
―――――――――――――――――――――――――
お題:冷えた指先/観覧車/「笑いたきゃ笑えばいい」
いい大人が遊園地の前で待ちぼうけ。遊園地に勝るとも劣らない哀愁である。スマホを確認してみるがLINEの返信はない。さっき通話を試みたが応答はなかった。
会社帰りに会う約束をしていたから、そろそろ遊園地の閉園時間も迫る。待ち合わせ時間からもう1時間経った。いい加減諦めようと視線を前に向けたときに、見知った顔が現れた。
梶野春樹。このクソ寒い中を歩いてくるその姿も様になっている。梶野さんは会社の上司で、その精悍な顔立ち、年齢にそぐわない役職、この会社に着任するまでの経歴から、女子社員の憧れの的だった。男性社員からも慕われるその人格から、この横浜支社から栄転するのではないかと噂されていた。
「宮下、こんなところで何してるの?」
俺は黙る。遊園地の前で待ちぼうけしているところに、会社一かっこいい上司に話しかけられるとか、惨めさを通り越してなんだか笑えてくる。
「女の子誘ったんですけど、フラれたみたいです」
「だいぶ前に会社出てったよね? ずっと待ってたの?」
「いえ……買い物とかしてましたよ……ずっと待ってたわけではないです」
俺はこの期に及んで自分の惨めさから言い訳をし、その事実からも梶野さんからも目を背ける。梶野さんは俺の手首をコートの上から強引に掴み、自分の顔に押し当てた。突然のことでびっくりしたが、なんで梶野さんがそんなことをしたかわかった。梶野さんは、冷たくなってる、と笑った。
「笑いたければ笑えばいいですよ」
「うーん、でもこれだと全然笑えなくない?」
「傷口に塩を練り込んでいくスタイル、嫌いじゃないですよ……」
「宮下! 後世に語り継がれるほど、笑える話にしようよ!」
梶野さんは目をキラキラさせて言うが、何を言ってるかわからなかった。少年のように笑う梶野さんを見て、最近残業続いて頭おかしくなっちゃったのかな? とさえ思った。
俺は梶野さんに手を引かれながら遊園地に入る。なされるがまま俺と梶野さんは観覧車の前に来た。いつも通勤で遠目からしか見たことしかなかったので、その大きさに圧倒され、口を開けてしばらく見上げていた。その視界の中に梶野さんが入ってくる。
「女の子にフラれた勢いで、男2人で観覧車に乗る。なかなか笑えない?」
「ちょっと今は笑えないですね……」
「大丈夫、大丈夫。明日思い出したら笑えるって! 乗ろう!」
人の悲劇に便乗してはしゃいでいる梶野さんが、俺にとっては笑えた。梶野さんはキャリア組で、俺のような平社員と喋る機会はあまりない。こんな少年のような側面があるなんて思わなかった。
どう考えても会社帰りの男2人を見て目を逸らす観覧車の係員に、これみよがしに恋人のフリを見せつける。
「梶野さん、もう俺我慢できない」
「宮下、今日はこの後ホテルとってあるから、それまで我慢しなさい?」
「梶野さん……男前すぎる! 大好き!」
梶野さんの腕に自分の腕を絡ませて顔をなすりつける。梶野さんは俺の髪を撫でて囁く。
「後でもっと俺のことを好きになるんだから、今は我慢して……」
観覧車係員の絶望に似た顔を横目に観覧車に乗り込む。観覧車が動き始めたところで我慢ができず笑い出してしまった。2人でひとしきり笑った後で、もう少し色っぽい声の方がよかったのではないか、もっと直球でエロいこと言ったほうがよかったのではないか、と梶野さんと笑いながら反省会をした。
観覧車の外の夜景に目を奪われて、俺が窓に手をつけて黙ったら、会話が途切れてしまった。
「宮下は今日女の子とどうするつもりだったの?」
急な質問だったけど、あんなことをした後だったから気が緩み、ついつい本音を漏らしてしまう。
「そりゃ、あんな風に係員に羨ましられながら観覧車に乗って、キスでもしたかったですよ」
梶野さんを見ずに言ったが、梶野さんの漏れる息で笑ったのがわかった。
「じゃあしてあげるよ、こっちにおいで」
「なんでですか! 流石に笑えない……」
俺は梶野さんが伸ばした手を見て黙った。梶野さん指先が俺の頬に触る。そのあまりの冷たさに俺は顔を背けてしまう。
重い沈黙が流れた。それを梶野さんは明るく破る。
「女の子にフラれて、男2人で観覧車に乗り、男の上司に迫られました。なかなか面白くない? なんで急に梯子外すんだよー。ノリ悪いなー」
梶野さんは語尾を伸ばして、笑いながら言った。
「やっぱイケメンは違いますね、俺マジで惚れるかと思いました。梶野さんヤバイ。明日女子社員に自慢しよ」
「もうやめてー、イケメンもなかなか辛いんだから」
さっきの気まずい沈黙も含めて梶野さんは全部笑い話にしてくれた。でも観覧車を降りても、俺は梶野さんの冷たい指先を忘れられなかった。
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「ごめんなさい! 電源切れて……!」
息も絶え絶えに言う彼女は本当に急いできてくれたんだと、感動で胸が震える。でも梶野さんがいなければ今の今までここに居なかった。そのお礼をしようと振り返ったら、梶野さんは優しく笑って歩き出した。
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お題:冷えた指先/観覧車/「笑いたきゃ笑えばいい」
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