林檎の蕾

八木反芻

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ご『“友だち”の有効活用/ふれる冬』

5 2杯目のギムレット

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「前から思ってたんだけどさ、サキちゃん髪綺麗だよねー」と、サキの髪をサラっと撫でたのどかは頬杖をついて、温かいレモンティーを飲む。
 ここは喫茶エッグプラント。カウンター席に並んで座るサキとのどかは談笑中。
「黒髪ストレート、憧れちゃう。あたし黒髪似合わないんだよね~」
「わたしは、のどかさんみたいに明るい色に染めてみたいです。すごく憧れます」
「やだ、かわいい。よぅし、サキちゃんが大きくなったらおねぇちゃんと結婚するかい?」
「オヤジかお前は……」
 いつもの席に座っている田儀がちょっかいを出す。いつもの光景。なのに、その近くにあの人の姿はない。こうして喫茶店に何度か顔を出すが、あの日から一度も会えていない。やはり避けられているのだろうか。
「そろそろ行きやすかー」
 田儀は灰皿にタバコをグイッと押し付け立ち上がる。このあと会社の同僚と、友人知人を交えた忘年会らしい。
 田儀に誘われていたのどかは乗り気ではない様子で、レモンティーを一口分残している。
「ね~え~サキちゃんも行かな~い?」と、こんな風にさっきから何度も誘われるサキは、のどかに苦笑いを返した。
「こらこら、酒の場に未成年を誘うんじゃない。ほら、行くぞ」
「行くのかぁ……」
「なんだよ、行きたくねぇのか?誘ったときは『タダ食いできるー!』って喜んでたじゃねーか」
「べぇーつにぃ? 喜んでないしぃ」
 のどかは重い腰を上げる。
「サキちゃんもそろそろ帰るでしょ? 途中まで一緒に行こー」

・・・

 暖房の効いた電車内。その暖かさにまぶたが重くなるサキは携帯電話を開く。相も変わらず連絡はなし。今の現状、連絡するのも気が引ける。
(ハルさんもいるのかなぁ……)
 本当はついて行きたかった忘年会のことを気にしながら、サキはお気に入り登録しているとあるサイトを半年振りに開いてみた。
『三月のとまり木』という、ちょいとワケありな人たちが集まる少人数の掲示板サイト。
 最新のコメントの投稿日は、今日の明け方。
(よかった、まだ動いてる)
 スクロールすると、見慣れた名前を幾つか見つけてホッとした。

 ──こんばんは、みなさん。今日も生きてますか?
 ──こんばんは、夢食いさん。生きてるよー
 ──こんばんは、絵の具さん、ちくわブーさん。また朝が来ますね、おやすみなさい。

 ここの書き込みは決まって『こんばんは、○○さん。』の、挨拶から始まる。朝でも昼でも『こんばんは』。誰が決めたかは知らない。このサイトを見つけたときからそうだった。
(おやすみなさい……って、2日前か)
 サキはコメントを眺めるだけで、掲示板に投稿したことはない。いつも心の中で返信している。

 ──こんばんは、みなさん。ご無沙汰です!
 ──おつ。どうだった?
 ──こんばんは、ToTo10さん! 待ってた! 教えてもらった動画最高だったよ!

 画面をスクロールするサキが今一番気にしているのは、“管理人さん”のコメントの日付だった。

 ──こんばんは、管理人さん。
 ──こんばんは、おもちゃのおもちさん。

 管理人さんのコメントはいつも固定の挨拶だけ。それでも管理人さんの存在を確認できて嬉しかった。反面、少し寂しい。
(こんばんは、管理人さん……)
 と、書き込めば必ず返信が返ってくることは知っているが、尻込みするサキにはできなかった。
 到着を告げるアナウンスが耳に入り、サキは慌てて携帯電話を閉じた。眠気はもうない。
 ドアが開くと後ろから押された。
「あっ」
 その拍子に握っていた携帯電話が足元に落ちて、うっかり蹴飛ばした。知らない人たちの邪魔そうな視線を感じ、急いで拾う。つけていたストラップが欠けているのに気づいた。
(シアンくんの耳が……)
 そこに触れるとざらついて痛かった。
 携帯電話が壊れていないか開いてみると、掲示板が更新されていた。

 ──はじめまして、冬ツバメといいます。今日はどんな一日でしたか? 私はもう疲れました。

 ──私は四月が怖いです。毎年毎年、とても怖いです。怖くてたまりません。今さら楽になりたいわけではないのですが、どうしても誰かに聞いてほしくて、吐き出したくて、居場所を探していたらここにたどり着きました。

 ──今も、なにかに吸い込まれてしまいそうで、数分後、数時間後の私がどんな行動をとるのか、自分でもわかりません。私は私が嫌いです。

 ──連投失礼しました。明日まだ生きていたらまた来ます。おやすみなさい。さようなら。

 スクロールするサキ。
 次に更新されたコメントに目が止まる。

 ──こんばんは、冬ツバメさん。待っています。

 その送り主は管理人さん。
 いつもの呼びかけがないのに、応答するなんて。しかも、固定の挨拶文の後ろに続く言葉、(待っています……) 初めて見た。
 サキは嫉妬に近いものを感じて、悲しくなった。

(わたしはわたしが嫌い)

 ふと、落ちているガムの包み紙が目に入った。すぐに拾って捨てた。

(大嫌い)

『まもなく3番線に、』ホームにアナウンスが流れる。

(だいきらい……)

 時間どおり正確に走る電車の、白い前照灯がまぶしい。

(わたしだって……)

 ものすごいスピードで近づいてくるその光に、サキは目を細める。

(なんだろう)

 快速列車。ここには止まらない。

(すごく眠い……)

 大きな音を立てて迫ってくる光に、体が揺れる。


「危ない!」



 サキは一度だけ、管理人さんに直接コメントを送ったことがある。

 ──助けてください。

 それが、ハルとの出会いだった。


・・・


「聞いてよ。今日の朝さ、久しぶりに電車乗ったら痴漢されて」
「それは災難だったなぁ、向こうが」
「はあ?」
 居酒屋の入り口で靴を脱ぎながら、田儀とのどかはまた揉めている。
「あ! やっと来ましたね~!」
 ふたりを呼びに来た足立がヘラヘラと笑いながら近づいてくる。
(あ~だぁ~ちぃぃ~……! 貴様がいるから来たくなかったんだよあだちぃ!)
「上原さぁ~んお久しぶりです~! 会うの3回目なんですけど、俺のこと覚えてます~?」
「知らねーよ」
「またまたぁ~。あの熱い夜のこと、忘れたなんて言わせませんよぉ? すごく気持ちよかったです」
(意識あったんかい! あだちコノヤロウ! ……いやこえぇよ! 逆にこえぇよ!)
 もはや恐怖を覚えるのどか。ひきつる顔を笑って堪える。
「人違いじゃないですかー?」
「俺が上原さんと他の人を間違えるわけないですよぉ」
「ほらほら、話はいいから席はどこだ」
 入り口でごたつく足立に、早く席へ案内するよう田儀が促す。
 すでに酔っぱらっている足立についていくと、先に集まっていた人たちはみな飲み始めていて、それぞれが適当な話をして盛り上がっていた。
 遅れてきた二人は軽く挨拶をして、空いている席に座った。
 田儀は顔に見合わず人気があるのか、色んな人に呼ばれて、ジョッキ片手にちょこちょこ席を移動する。対してのどかは一人静かに飲んでいた。途中足立が来るかと警戒していたが来なかった。足立は他の女性に自分の貧弱な上腕二頭筋を見せながら話をしている。
 のどかがため息をついたとき、田儀がこっちにきて隣に腰を下ろした。
「どうした、全然食ってねーな」
「……ダイエット中」
「ウソつけ」
「オジサンも全然飲めてないでしょ」
「いいんだよ、みんなが楽しめりゃ」
「で、今度はあたしを楽しませにきたってわけ?」
「そいつぁハードルがたけぇな……」
 田儀はジョッキに残っていた泡のないビールを飲み干した。
「足立となんかあった?」
「なんで?」
「なんとなく?」
「なんもありません」
 のどかは食べるつもりではなかった枝豆に手を伸ばし、さやを押して一粒口の中へ飛ばす。隣の視線が気になる。のどかは顔を覗き込んでくる田儀を睨んだ。
「……なに」
「いーや、なんでもない」
「ウザ」
 そう言い放たれた言葉に、田儀は笑って枝豆を手に取った。

 ハンドドライヤーが故障中。ハンカチは持っているが今はバッグの中。
 のどかはまたため息をつく。
 幽霊ポーズでトイレを出ると、足立がそばに立っていてギョっとした。そこで「このあと二人で飲み直しませんか?」と誘われたが無論蹴った。それでもしつこく誘ってくるから「田儀さんが一緒ならいいけど」と勝手に巻き込んでやった。
 解散後、約束どおり三人は近場のダイニングバーへ向かった。オレンジ色に照された店内は少し薄暗く、雰囲気がありオシャレだが、どこか怪しげにも感じる。
 通されたのは半個室のソファ席。
「なんで隣が係長なんすか。係長は一人で座ってくださいよ」
「いいか足立。お前がこいつと飲めるのは俺のおかげだからな? まずは感謝をしなさい」
「あっ、すんません、ちょっと失礼します」
 足立は携帯電話片手に席を外す。
「なんなんだアイツは……。さあて、なに飲む?」
 メニュー表を眺めるのどかは、ひとつのカクテルを指差して、タバコに火をつける田儀に伝えた。
「あの波瀬さんが送ってった人いるじゃん?」
「小松さん?」
「あの人絶対波瀬さんのこと好きだよ」
「小松さんには彼氏くんがいるんだ。ないない」
「じゃあ乗り換えだね」
「……結婚してるんだぞ?」
「まあねぇ。波瀬さんはちゃんとしてるからないと思うけど、バレなきゃよくない?」
「よくないだろ」
「ふぅん。じゃあオジサンは奥様のこと一途に愛してるんだ?」
「え? ……もちろん」
「ふぅん」
 疑心する瞳を感じながら、目をつむる田儀は口の中に溜めた煙を肺へ落とす。
「結婚してから好きな人ができたらどうするんだろう」
 のどかは天井から吊るされたライトを見ながら、聞こえるように独り言を言った。

 それから小一時間が経過したとき、完全に酔いの回った足立が急に立ち上がった。
「のどかさん。俺と付き合ってください」
「無理、タイプじゃない」
「ハッキリ言っちゃうところ、大好きです」
 瞳を輝かせる足立は、悪寒に腕をさするのどかの手をとり、固く握りしめた。
「俺、頑張ります!」
「触んなっ……!」
 足立の握る力が強く、手を引っ込めるのにもたついた。
「この手の柔らかさ、暖かさ、形、一生忘れません」
「キッショ……」
「ありがとうございます!」
「めげないな~」と、田儀が他人事のように笑う。
「笑ってないでなんとかしてよ。オッサンの舎弟だろ」
「だから舎弟じゃ……」
「失礼します。ご注文お伺いします」
 注文をとりにきた店員に、田儀がドリンクのおかわりを頼むと、のどかはスッと手を上げた。
「あたしウーロンハイ」
「あ、すみませんウーロンハイじゃなくて、ウーロン茶で」
 田儀はすぐにのどかの注文を訂正する。
「勝手に変えないでよ」
「もう飲むな」
 店員がいなくなって、のどかはテーブルの下で田儀の足を蹴った。
「全っ然っ酔ってないっから」
「普通の女の子なら酔ってなくても『酔っちゃった~コテン』って、可愛く肩に寄りかかるもんだろ」
「普通のかっわいー女の子じゃなくて悪ぅござんした。つか、女の子って年でもないしまじで酔ってないし」
「こいつが酔ってるか否か、俺のダジャレでわかる」
 足立は田儀に小鉢を差し出す。
「では、このもろきゅうで」
「んなことキュウリ言われても……」
「……ドゥアッハッハッハッ!」
 田儀のつまらないダジャレに、のどかは豪快に笑い出した。
 足立は驚き、のどかは大笑いし、田儀はメニュー表を見る。
「……へぇ、この店ハヤシライスあるんだなぁ。米に一番合うのはやっぱカレーよりハヤシだな! ハヤシを囃し立てる」
 そこへちょうどよく店員がウーロン茶を持ってきて、受け取った田儀が足立に渡す。
「足立、これ持ってそこら辺歩け」
「え?」
 わけがわからず足立は言われるがまま適当に歩いてみる。
「ウーロン茶持ってうーろんうーろんするなよ~」
「うわっ! 巻き込まれた……。ギャグハラで訴えますよ……」
 ナスの漬物を持って「ごめんなすって」と続けた。
「お腹痛いっもうやめてっヒッヒッ」
 のどかは腹痛に顔を歪めながら笑う。
 田儀は目をつむり水を飲んで一言こう言った。
「Drink without looking at the water」
「んんっ、なに?」
「水を見ずに飲む」
 ゲラゲラと笑い転げるのどかに、足立は引き気味。
「ついていけないっす……」と、青ざめる足立はゆっくりと立ち上がる。
「おいおいどこ行くんだ、盛り上がってきたところだろ?」
「トイレですよトイレ……」
「トイレにいっといれ」
「ギャハハハハ! ヒーッ! ヒィーッ!」
 駆け足でトイレへ向かった足立。
 涙をぬぐうのどかはため息を吐いて、「疲れた」と一言つぶやくと急に素に戻った。
「今日は付き合わせて悪かった。釘刺しといたんだがなぁ……」
 田儀は灰皿にタバコを打ち付け、灰を落とす。
「お前が男嫌いなことは知ってる」
「別に嫌いじゃない。……嫌いだけど、好きな人もいる」
「ほぉー好きな人いるのか。俺の知ってる人?」
「うん。超知ってる」
「へぇー誰?」
 のどかは真っ直ぐと目の前を指差した。田儀は振り返って、後ろに誰もいないことを確認して視線を戻した。
「……俺?」
「うん」
「サンキュー。俺もお前のことは好きだ」
「それってエッチしたいって意味?」
 ジンフィズを口にしていた田儀はゴフッと吹き出し、袖で口をぬぐいながら「そんなわけないだろ……」と言った。
 のどかは両手で頬杖をついて、田儀を見つめる。濡れた胸元をおしぼりで拭く田儀が、その視線に気づいて顔を上げる。目が合うと、田儀はすぐに視線をそらして、また胸元を拭いた。
「したくないの?」
「……おじさんをからかうんじゃない」
「しようよ」
「冗談でもそんなこと言うな」
「冗談でもこんなこと言わない。好きな人にしか言わないし、初めて言った」
 のどかの清々しい顔。暑くもないのに額に汗がにじむ田儀は、おしぼりで首もとをぬぐう。
「あたし、丈さんとエッチしたい。ホテル行こうよ」
「……ホテルで火照る体、なんつって」
 のどかは一切表情を変えず、田儀の目をじっと見ている。
「笑えよ」
「面白くない」
「お前の酔い方がわからん」
「だって酔ってないもん。あたしさっきのお店でお酒飲んでないからね。まだ4杯目。正確には3杯しか飲んでない」
 田儀はジンフィズをちょっとだけ飲んで、「いつからなんだ……?」と控えめに聞いた。
「田儀さんが結婚する前から」
 のどかがそう答えると、田儀は顔を伏せて頭をかいた。
「別に田儀さんと結婚したかったわけじゃない。あたしじゃ田儀さんを幸せにできないから。田儀さんが子ども好きなの知ってたし。だから諦めた。何度も何度も諦めた。田儀さんが結婚したときは嬉しかったよ。絶対に叶わない人なんだなって思えて。本当によかった。ただ最後は、最後くらいは、ずっと好きだった人に抱かれてみたかった。それだけ」
 目の縁でとどまっていた涙が落ちて、のどかはとっさに両手で顔を隠した。
「ごめん、あたし酔ってるわ。なしなし。忘れて!」
 目元を擦るのどかは苦笑いを浮かべ、「ここのお酒強すぎ」と、ウーロン茶を飲んだ。
 しばらく黙っていた田儀が立ち上がる。
「しかし遅いな。様子見てくる。倒れていなければいいが……」
 田儀はいたたまれず、急ぎ足でトイレへ向かった。
 一人になったのどかは店員にギムレットを頼む。
 そのとき、なかなか戻ってこない足立の姿を見つけた。カウンター席で新しい酒を飲みながら、見知らぬ二人組の女性となにやら楽しそうに話し込んでいる。
 それを見たのどかは「去勢すればいいのに」とつぶやいた。
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