林檎の蕾

八木反芻

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ご『“友だち”の有効活用/なれる夏』

10 夏休みの宿題と冷めたコーヒーの味

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 あれからサキは喫茶エッグプラントへ足を運ぶようになり、カウンター席でのどかと向かい合いながら学校の勉強をした。
 コーヒーミルでガリガリとコーヒー豆を粉砕するのどかは、教科書を睨み頭を悩ますサキへ話しかける。
「サキちゃんさ、うちのマスターに会った?」
「たぶん……会ったというより、それっぽい人を見かけたことはあります」
「銀縁のメガネかけてる人?」
「はい、優しそうな……」
「あーやっぱり? なんかマスターにサキちゃんのこと聞かれてさぁ」
「えっ」
「ここにいたらダメだって」
「え……」
「ほらここタバコオッケーじゃん? お客さんいないときはいいんだけど、ここに来るお客さんって食後に絶対タバコ吸うのよ。で、煙とかさ『ここにいると体に悪いから、よかったらうちの2階へどうぞー』って。マスターがね、サキちゃんに伝えてって言ってた」
 出入り禁止じゃなくてサキはホッとした。
「この上がマスターの自宅になってて、あたしも何回もお世話になったんだ。心配しなくて大丈夫だよ、マスター理解ある人だから。まあもしなんかあったらあたしが助けに行くし?」

 それからというもの、サキは喫茶店を訪ねると2階へお邪魔するようになり、一人の時間が随分と増えた。のどかは休憩に入ると毎回お手製のおやつを持ってサキの下へ顔を出す。たまにマスターからの差し入れもあったりして、一人でも退屈はしない。
 のどかはいつもの常連二人組のテーブルに、食後のコーヒーを運ぶ。
「今日いる?」
「いるよ」
「会いに行ってこようかなぁ」
「ダメ」
「なんで」
「オッサン臭が移る」
「ひでぇ。言葉がキツいよのどかちゃ~ん」
「キツいのはオッサンのタバコ臭だから」
「そんなに?」
「波瀬さんは平気だけどね」
「露骨な差別だ。こうなったら強行突破してやる」
「だから、勉強してるから邪魔すんな」
「だ、か、ら。勉強でわからんとこあるかもしれないだろ? 顔見るついでに教えてくるよ」
 田儀はタバコを灰皿へ押し付け、体にまとわりつく煙と睨み付けるのどかを払い「失礼しまーす」と、マスターの自宅へ通じる厨房脇の階段を上がった。
「波瀬さんは行かないの?」
 のどかの誘いにハルは一言だけ返事して、口に銜えた2本目のタバコに火を点けた。

「ヒッ!」
「あっ、おじゃましてます……?」
「ど、どうも……」
 3階から下りてきた青年はなぜかサキを警戒し、壁を這うように距離をとりながら慌てて下へ逃げていく。
「お、たかしくん。おじゃまするよ」
「はっあ、はい……どうぞ……」
 様子のおかしい青年とすれ違う田儀は首をひねる。
「よう、元気?」
 軽い挨拶を交わし、サキの隣に腰を下ろす。田儀は、サキの手元の進まない宿題を覗き込んだ。
「……方程式か、懐かしい。xy、久しぶりに見たなぁ。平方根とか因数分解あったなー……ありゃあまだか」
 積み重なった教科書に手を伸ばし、パラパラと眺める。
「……社会にしないか? 地理歴史、あと公民やろう。それか英語だ!」
「ほとんど終わっちゃってて……」
「数学が残ってんのか。なら俺より君の叔父さんの方が得意だろうな。ちょいと呼んでくるか」
「いいいいですっ!」
 立ち上がる田儀の足にしがみついて止める。
「え? どうした、喧嘩でもしたか?」
「いえ……」
 彼がいては教えられても集中できそうになくて、引き止めるしかなかった。
「俺ぁ完全に忘れちまったよ」
 田儀はサキが広げた数学の教科書を取り、記憶を呼び起こそうとする。
「プラスとマイナスに分けて計算するんだろ? ……ややこしいことやってんな。これの答えってある?」
 サキはテキストに付属していた解答集を田儀に渡した。サキが今解いている問題と答えを照らし合わせる。
「正と負の計算はできる?」
「なんとなく……」
 テキストを遡る。
「お、できてるな。あれだろ、乗除が混じるとゴッチャになるんだろ」
「はい……」
「数学は問題を繰り返し解いて慣れるしかないよな」
 サキはテキストに目を落とす。数字がズラリと並んでいるのを見ると吐き気がしてくる。これがテストとなると、時間にも精神的にも追い詰められてもうお手上げ。
 サキは下腹部にざわつきを感じ、足をくねらせた。プレッシャーを感じると襲ってくる、このなんとも言いがたい不快感が嫌で嫌でたまらない。
 田儀はなにを思ったか、苦虫を噛み潰したような顔をしてうつむくサキの頭を鷲掴みすると、グルグルと大きく揺すった。
「みんなに合わせて焦って前へ進むより、一つ一つ理解して進む方がいい。じゃないと後で必ずつまずくから。周りは気にせず、ゆっくり自分のペースで進みゃあいいんだよ」
 されるがままのサキの目が潤む。
「できるに越したこたぁねぇが、数学より簡単な算数ができりゃそれでいいし、ま、できなくてもなんとかなる。俺みたいにな。あ? 俺みたいにはなりたくねぇってか? なんだと? ウォリャア!」
 田儀はサキの髪が乱れるほどにワシャワシャと撫でた。子どもをあやすような扱いに、おかしくなってきたサキの顔が自然とほころびはじめる。
「そろそろ休憩しよー? ってなにごと!?」
 スイカを持って上がってきたのどかは、サキのボサボサになった頭を見て、すぐさま田儀を激怒した。
 すっかり気分が落ち着いたサキは誤解だと止めに入り、馬乗りになって田儀の胸ぐらを掴むのどかをなだめた。
「ほらな、俺のおかげだろ」
 得意気な表情を浮かべる田儀にのどかはイラつき、あぐらを組む足にパンチを食らわせた。
「スイカたーびよー」
「お前も食うんかい。俺のは?」
「ない」
「俺にもサービスしろよ」
「めっちゃ水……」
「無視か」
「あまぁ……うま水だわ……」
「スイカの90%は水分だからな」
「そういうのいらない」
「人は約70%。だから人を英語でウォーターマンというんだ」
「へぇ!」と、サキが素直に納得するもんだから、のどかはほっとけない。
「テキトーなこと言うな」
「ちなみにスイカはウォーターメロン」
「メロン?」
「そう。このスイカおいすいか?」
「サブッ」
「もうダジャレはやめろんってか」
「まじで冷房いらんわ」
「そんな寒いか? ダジャレを聞いたお前の体感温度はれいぼぅ……あれ? 反応が薄い……これは温度の零度と冷房をかけ」
「説明せんでいい!」
 のどかは、舌にへばりついていとわしい種を「フッ」と皿へ飛ばした。
「そういや、たかしくん。様子が変だったが、お前なんか知ってるか?」
「たかしくん?」
 なにか心当たりのあるのどかは、悪ガキのようなイタズラな笑みを浮かべた。
「お前の仕業か」
「サキちゃんのこと説明するときに『実はマスターの隠し子なんだぜ』って、わっかりやす~い嘘ついただっけ~」
「えっ!」
「お前なぁ……」
「今二人は義理の兄妹ってことになってます」
「そういうのやめろよ、たかしくん純粋なんだぞ?」
「へいへい。あとで訂正しときますってぇ」

 時折聞こえてくる騒がしい音に、ハルは視線を上げる。
 手元の時計で時刻を確認し、一口分残したコーヒーを喉の奥へグッと押し込んだ。
 ゆったりと食道を通るコーヒーは、絶えず送られる冷房の風によってカップごと冷やされ、そのカップの底に三日月形に残った薄い茶色の液体を、彼らが戻るまでじっと見つめていた。
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