林檎の蕾

八木反芻

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よん『重度の微熱と甘え下手な絆創膏』

2 危険なバイバイ

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 なにが植えられているのか検討もつかない枯れた植木鉢を横目に見た。
 薄暗い路地裏。うねる謎の配管、今にも壊れそうな唸り声をあげる室外機が置かれ、三人が並んで歩くには狭い。
 排気ダクトから漏れる油臭さにサキは鼻をしかめる。
「ちゃんと歩けよ」
 歩みを止めようとする少女の腕を掴み、強引に引っ張る必死な顔の帽子男と、その後ろでのんきに鼻歌を口ずさむ短髪男の温度差に胸やけを感じるサキ。
 サキは帽子男の顔を盗み見る。険しい表情で暑さとは違う汗を流している。
 サキは男の手を見様見真似で噛んでやった。
「いってえ! なにすんっだ!」
 振り上げられた拳にサキは身を縮ませた。が、その拳は落ちてこない。うっすら目を開けると、鼻歌の男が焦る男の胸ぐらを掴んでいた。
「おい、傷つけんなよ。テメェの立場わかってんのか?」
 迫る鼻歌男の顔は背を向けていて見えないが、その背中越しから見える帽子男の表情は明らかに怯えていた。
「ごめんなぁ。こいつバカだから……」
 鼻歌の男は振り返り、サキに穏やかな笑顔を向けた。
「どこ行くのー?」
 彼らの注意がそれている隙に少しずつ距離を取っていたサキだったが見つかってしまった。すぐに背を向け走ったが、鼻歌男の素早さには敵わずつかまってしまう。
「ホンットなんもできねぇな、お前。そーんなお前にオレたちは仕事あたえてやってんだぞ? しっかり押さえとけよ」
 鼻歌男はまたもサキの背中をトンと押し帽子男へ預けた。
「っ……どうして……」
「あれあれ? おっかしいなぁ。もとはといえばサキちゃんがオレたちと一緒に行くって言ったんじゃん? 同意ってことでオーケーっしょ?」
「話が違います……」
「ハッハッハッ、違ったか~」
「離してください……!」
「ここで離れたらまた迷子になっちゃうよぉ?」
「そのほうがマシです……!」
「そんなこと言うなよぉ。オレたちについてくれば、海外行けるかもしんねーぜ?」


 ただでさえ狭い道なのに青いポリバケツや謎の植木鉢、チェーンの外れた自転車が道幅を更に狭めいとわしい。窮屈そうにそれらを避け、時折壁に手をつきふらつく体を支えながら急ぎ足で追う男の影は、揉めるような話し声を頼りに少女と青年たちの下へ向かっていた。
 ここは飲み屋が多いのか、ビールや日本酒の空きビンが入れられたボトルコンテナが高く積まれているのが目につく。そのコンテナの中に丸まった古新聞を見つけた男は足を止める。周りを気にもせず古新聞を手に取り開くと、中身の欠片一つを拝借した。痕跡が残らないよう丁寧に手早く包み直すと、すぐさま音のする方へ足を向ける。
 陽はさらに西へ落ちてゆき、辺りは一段と暗くなる。ここは道が狭く建物が密集しているせいで一日中光が届かない。
 足元の空き缶を蹴った。
 気だるい笑い声が大きくなる。
 足早に突き当たりの角を曲がると、追っていた少女と青年二人の姿が目に入った。
「黙って言うこと聞いて、イイコにしてりゃいいのよぉ」
 鼻をすする音と諭す声。
 男は鞄を放ると一人の青年に狙いを定め走った。
 迫るその影に気づく間もなく、つまらなそうに笑う青年は体勢を崩しゴミの山に突っ込んだ。
 何事かとタックルされた青年の睨むような瞳に、人の形をした影の見下ろす眼光が映る。
「ハルさん……!」
 サキは声を上げた。
 馬乗りになるハルは青年の頬を鷲掴みにすると拳を振り上げた。かざした拳には鋭く青く光るモノが握られている。それが割れたビンの破片だと気づいた青年は逃れようと体を捻るも、押さえつけられ動けない。
「やぇ……っ!」
 青年の声が言葉になる前にハルは拳を顔面めがけて振り下ろす。
「ヒッ!」
 青年はとっさに目をつむった。
 が、
 痛みが来ない。
 震えるまぶたを開いた青年は息を呑んだ。
「っ……」
 振り下ろされた拳は目元寸前で止まっている。少しでも動けば破片は眼球に刺さりそうだ。
「目を背けるな」
 ハルはつぶやく。
 身動きの取れない青年は声を出すこともできず、ぼやけた破片の先端をただ凝視していた。
 全身の力が抜け立つ気力もなくなった青年に破片の先端を向けたまま、ハルはもう一人に視線を移す。
 サキの腕を掴んだままこちらを見つめる帽子の青年は、なにもできず棒のように突っ立っている。
 反撃してこないとわかったハルは少し腰を上げた。それにビクついた帽子の青年は後退りして、掴んだ手を離すと少女や仲間を置いて一人逃げ出した。
 走り去る青年を目で追うサキは、その姿が見えなくなるとホッと息を吐いた。
 視線をハルへ戻したサキは目を見開く。
 ハルの背後にはフードを被ったあの青年が立っている。
「あっ……」
 青年の手がハルの背に向かって伸びる。
「ハルさん後ろ!」
 その手はサキの叫び声に振り向こうとしたハルの横顔を通りすぎ、短髪青年へ差し伸べられた。
 ハルは見つめ合う二人の顔を確認すると、向けていたビンの破片をポケットへしまいゆっくりと体を退けた。
 ようやく解放された短髪青年の姿を見たパーカー青年はケラケラと笑う。
「……無様」
「うっせぇ」
 ゴミ山の隙間にケツが埋まり起き上がれず、差し伸べるその手を嫌々そうに掴むと、パーカー青年は嬉しそうに引っ張りあげた。
「あんの野郎ただじゃおかねぇ……」
「いいよ別に。あいつのことは端から期待してないし、今回はあまり気乗りしなかったんだよね」
「んなのんきなこと言ってられるか。さっさとヘタレの始末しに行かねーと面倒だぞ」
「お巡りさんちに駆け込む前に捕まえないとね……」
 もう一人の仲間が尻尾巻いて逃げた路地を退屈そうに眺めるパーカー青年は口を尖らせ、
「オッサン、一発ぶん殴ってくれたらよかったのに」と、ハルへ屈託のない笑顔を向けた。
「肩貸せ。足動かねんだよ」
 片足を浮かせる短髪青年は、パーカー青年の肩に手を回す。
「アハハ、ウケる」
 笑いながらも応えるように腰に手を添えると、二人は歩き出した。
「足手まとい~」
「うるせえ」
 安心したサキはハルの下へ駆けたが、ハルはそばへ寄るサキから離れ、放った鞄を拾うと「待て」と青年たちの足を止めた。
 不審な眼差しを向ける二人。
 鞄から薄い長財布を出したハルは、カードやら身分証を抜き取り、現金だけ残した財布を二人の足元へ投げた。
 パーカー青年は拾い上げ、ハルを見る。 
「持っていきなさい。貸してやる。もう一度私かこの娘に会ったらその時は、倍にして返しなさい」
 中を確認したパーカー青年は驚いて思わずハルを見つめた。その様子に隣から財布を覗き込んだ短髪青年は二度見する。
「……マジ?」
「言っただろ? 貸してやると」
 二人は顔を見合わせる。
「いいや、もう会うことはないよ。オッサンおっかないしさ」
「あいつナニモンよ?」


『賢く生きようぜ……?』
 ハルは、左右に揺れる棒を隠すように、青年の口元へ手を伸ばす。
『私のことは殺してくれても構わない。だが、私が死ぬのはあの娘を助けた後だ。それともうひとつ……』
 口元を覆う手のひらで、棒を叩くように口の奥へ押し込み、反射的に吐き出されたキャンディが地面に落ちた。
『食べ物は座って食べなさい』
 喉元を気にしながら咳をする青年は笑い、砂利のついたキャンディをゴリゴリと踏みつけた。
『今殺す』
 ポケットに手を突っ込んだ青年は不思議がり、全てのポケットをまさぐる様子に、ハルはバタフライナイフを見せた。
『あんたが探しているのはこれか?』
『……なんで』
 奪い返そうとする青年の手を払い、片手でナイフをクルッと回し鞘を開き、出した刃先を青年に向けた。
『相手を軽んずるほど、動きの隙が多くなる。チャンスはいくらでもあった。あとは自分で考えなさい』
 ハルはまたナイフを回し、刃を閉じて青年へ差し出した。
 青年が疑いつつも受け取ろうとした時、ハルはパッと手を引っ込めた。
『刃物を携帯する理由は?』
『キャンプですよキャンプ。サバイバルキャンプです』
 ナイフを返したハルは青年に背を向け、少女が消えた方向へ歩き出す。ハルを眺めていた青年は、手元のナイフに目を移し、構え、遠退くその背中目掛け走った。
 近づく足音にハルはとっさに身をひるがえしたが、ナイフは脇腹をかすめた。ハルは素早く青年の手首を掴みナイフを叩き落とし、そのまま強く捻り上げる。
『くあぁっ……ごめんごめんっ……やるつもりはなかったんだけどぉ~、ボクの好奇心がさ……許して、ね?』
 青年は顔に脂汗を滲ませながら、ニッコリ笑う。
 ハルがゆっくりと手を離すと、青年は掴まれていた手首を押さえ、飛ばされたナイフを拾いに向かった。
『……オジサンって、お巡りさん?』
 青年の何気ない質問に、ハルは横目でチラリと見て、答える。


「『ただのサラリーマン』だってさ」
 パーカー青年はジーンズのケツポケットに財布をしまった。
「あー、そうだー。お返しにこれあげるよ」
 別のポケットへ手を突っ込むとクシャクシャに丸まった茶色い小さな紙袋を取り出し、ハルへ向かってヒョイと投げた。
 受け取ったハルはクシャクシャの包みを開き覗く。中には派手な色彩のカプセルが二個入っていた。
「アタマ、スカッとするぜ?」
「はぁ……バカじゃねーの……」
 ため息をつき呆れる短髪青年を諭すように肩をポンポン叩く。
「ただの風邪グスリよ」
「オレ知らね~」
「そんじゃあオッサン、と、女の子チャンバイバイ~」
 パーカー青年はハルとサキにヒラヒラと手を振り、足に違和感を覚える短髪青年の体を支えると、二人は肩を組んでその場を立ち去った。
 ようやく、ようやくホッとしたサキはハルへ近寄る。
「ハルさん」
 サキが顔を見上げると、ハルは汗を滲ませていた。なんだかいつもと違う様子にサキは眉間にシワを寄せ心配そうに見つめる。
「ハルさん、大丈夫ですか……?」
「あんたは?」
「え?」
「あんたは何もされていないか……?」
「あ……はい、ハルさんが助けてくれたから……」
 それを聞くと、ハルはグッタリと地べたにうずくまってしまった。
「ハルさん……?」
 サキは慌ててしゃがむとハルの顔を覗き込んだ。
 ハルの呼吸は荒い。とどまっていた汗は首元へ流れワイシャツの襟を濡らす。
 サキは震える背中にソッと触れ、
「失礼しますね」
 前髪を避けおでこに手を当てる。
「……やっぱり」
 サキはスカートのポケットから取り出したハンカチでハルの汗を拭うと、ハルはその手を掴み行為をやめさせヨタヨタと起き上がった。
「……家まで送る……」
「なに言ってるんですかこんな状態で!」
 ハルはサキに目を向けた。サキの瞳はまたも潤んでいて、その目つきから怒りを感じたが、彼女がなぜ怒っているのか彼は理解できなかった。
 一喝するサキはたたずむハルの足元で横たわる鞄を抱えて言った。
「今日はわたしが送ります!」

・・・

「……ホテル?」
 陽は完全に沈み、美しくライトアップされた夜の街で立ち止まるサキは、一つのビジネスホテルを見上げた。前に訪れたシティホテルとは違うシンプルな外観。
「こっち」
 ハルは振り向き、頭にクエスチョンマークを浮かべる少女を呼ぶと、ホテルへ誘い入れた。
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