林檎の蕾

八木反芻

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よん『重度の微熱と甘え下手な絆創膏』

8 マニアの熱視線

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 新調した洋服を着たサキは、すれ違う客を気にしながらスキップ混じりに廊下を歩く。洗濯物を詰め込んだ袋に顔をうずめながら、ホテル内にあるコインランドリールームのドアを開けると、壁際の奥のベンチに腰かける中年男性の姿が目に入った。
(びっくりしたぁ……!)
 外から見たところ人気は感じられなく、不覚にも心弾ませながら入室してしまったサキは、赤らむ頬をごまかすようにTシャツの襟元を引っ張りパタパタと扇いだ。
 サキは、男性の様子をチラリとうかがった。こちらに気づいていないのか、膝の上に広げたスケッチブックに視線を落とし前のめりになりながら、ただひたすらになにかを描き込んでいる。
 男性は一体なにを描いているのか。暇があればいつも絵を描いているサキとしてはとてつもなく興味をかきたてられたが、今は洗濯をしなければならない。それに、勝手に覗くなんてことは……。
 気を取り直して、サキは3台並ぶドラム式洗濯機に視線を移した。
(えーと? どうやって使うのかな……)
 サキが注意深く説明書きに目を通していると、
「洗剤は自動投入されますよ」
 突然の声に思わず振り向くと、顔を上げた男性が微笑んだ。
「余計なお世話でしたかな?」
「い、いえ……!」
「それ、洗剤については書かれてないんですよね~。といっても、僕使ったことないんだけどね、いつも成光くんがやってくれるから……」
 徐々に声が小さくなり、独り言のようにボソボソつぶやくと男性はまたスケッチブックに集中しだした。
「教えていただきありがとうございます……?」
 サキは素早く洗濯物を入れ、ドアをしっかり閉めた。洗濯と乾燥を行うコースを選んで、ポシェットから小さな財布を取り出し、表示された金額分の小銭を入れると勝手に動きはじめた。
 表示された時間を見ると、洗濯が終わるまでに約1時間はかかる。
(どうしようかな)
 部屋へ戻ろうにも洗濯物が心配。自分の物だけならまだしも、彼の分になにかあったら……そう思うと動けない。
 サキは、男性が猫背で座るベンチに目を向けた。
「……あの、お隣いいですか?」
「もちろん」
 座る場所は十分に空いていたが、男性は端に寄り「どうぞ」と手を向けた。
 会釈をして隣に小さく腰を下ろす。
 洗濯機が稼働する合間に、ときおり聞こえてくる鉛筆の擦れる音が心地よい。
 目を閉じていたサキだったが誘惑に負け、隣の様子を横目で覗いた。
 パーマがかった白髪交じりの頭に、丸いフレームの眼鏡をかけた男性。動く洗濯機はサキが使用する一台だけで、この人の洗濯物はないみたい。
(こんなところで絵……?)
 おもむろに視線を手元へ向ける。
 端から端、隅っこにまでビッシリと、鉛の筆の先で生み出される世界。そのスケッチブックに描かれた見覚えのあるタッチにサキの心は震えた。
(ホノカ先生の絵だ!)
 なんとその男性のイラストが、ひとり静かに興奮するサキが敬愛している“ミナトホノカ”が描くイラストと、とてつもなく似ていたのだ。
 ただ、スケッチブックに描かれているのは、ホノカマニアのサキでさえも見たことのないキャラクターばかり。
 そのキャラクターは、『天使系美少女少年戦士ミィナ!』シリーズのヒロインである“ミィナ”と似た猫の女の子で、ドリーミーでふわふわとした愛らしい子が描かれていたり、はたまたクールでミステリアスな大人っぽい子や、スポーティで弾けるような笑顔が似合う子だったりと、描くタイプはすべて違う。
 つい見惚れてまじまじと見つめていると、
「この中で、お嬢さんはどのキャラクターに惹かれますか?」
 話しかけられ心臓がドキンと跳ねた。
「見ても、いいんですか……?」
「どうぞどうぞ、見てください」
 スケッチブックを渡されたサキは、決められた空間に広げられた無限の世界をじっくりと眺める。あらためて見ると、顔立ち、服装、細かい装飾品まで、それぞれのキャラクターの特徴が明確に表現されている。そのなかにサキの胸をもっともときめかせる、あの女の子の姿があった。
「これ……!」
 サキは中央に小さく描かれたキャラクターを指差した。
「ん? ああ、その子かぁ~……!」
 少し残念そうに、でも嬉しそうな表情でうなずく男性が目にしたキャラクターは、
「その子、ミィナっていうんだ」
「はい!」
「……もしかして、知ってますか?」
「はい……!」
「そうですか! いやぁ~嬉しい! ぜひ握手しましょう!」
 男性の勢いに気後れするサキ。それでも、ウキウキと差し伸べられた手を拒否できずソッと控えめに握ると、男性はニヘッと照れ笑いした。
「なんかごめんね、驚かせちゃいましたね」
「い、いえ……!」
「本当に嬉しくてつい……。そっかぁ……ミィナ知ってくれてるんだぁ……」
 目を閉じ噛み締めるように男性はうなずく。その様子にサキはファンとして、同志であろうこの男性と色々話したくなってウズウズし出した。
 何度か口をもごつかせるもやはり話しかけられず、別の手段を考えたサキはポシェットから一冊の文庫本を取り出す。男性は少女の手元の、擦り切れるまで読み込まれたであろう、型崩れした本に目を落とした。
「あら、これまたずいぶんと……」
「お恥ずかしいのですが……」
「いやいや、これだけ愛読されていると知れば、作者もさぞ喜ばしいことでしょう。これは、シリーズ初の、ミステリーに挑戦した話だね、懐かしいなぁ……」
 なにかを思い返すように見つめる男性にソッと本を差し出すと、優しい眼差しでしみじみと眺めはじめた。
「いつでも読めるように必ず一冊は持ち歩いてるんです」
「持ち歩きには文庫本はちょうどいいし、単行本と比べて安価ですからね」
「……文庫本も単行本もどっちも持ってます」
「両方買ってるんだ……!」
「はい! 文庫本になったときに書きかえられた文章とか、そういうの見つけるの楽しいですし、あと、あとがきとか解説があるので、作者と作品のこと、もっと深く知れた気がして嬉しいんですよね。単行本なら、カバーがキラキラしててオシャレで飾りたくなりますし、文庫本もかわいいですけどね。あ、絵本ももちろんありますよ!」
 サキが屈託のない笑顔を向けると、男性は恥ずかしそうにうつむいて頭をかいた。
「……本、好きなんですね」
「ホノカ先生が好きなんです! 他の本は、あまり読まないので……」
「彼女の作品でなにが一番好きですか?」
「ミィナです!」
「そうだよねぇ、ミィナは彼女の代表作だからなぁ」
「ミィナはわたしの憧れなんです」
 この内気な少女でもつい熱くなってしまう、ミィナという三毛猫の女の子は『天使系美少女少年戦士ミィナ!』略して“天戦(単にミィナとも呼ぶ)”の主人公で、表の顔は誰もが胸ときめかせる国民的清純派スーパーアイドルだが、裏の顔は世界征服を目論む悪の組織と戦うスーパーヒーローなのだ。
 コメディ要素強めだが、子ども向けでも一切手を抜かないバトルシーンやシリアスなシーンに、トラウマを与えるような容赦ないストーリーが受け、可愛らしい絵柄とのギャップに刺さる大人もいる。
「どっちの姿もかわいくてかっこよくて。でも、アイドルのときも凛としていてかわいいというより、かっこいいんですよね。見た目とか仕草は女の子っぽくて、これぞアイドル! って感じなんですけど、歌う立ち姿は凛々しくてかっこいい! みたいな……」
 天使のような美しいルックスに、華奢なスタイルから発せられる透き通った歌声を持つミィナ。その柔らかさの中に芯のある力強さを感じさせる歌声に、みな魅了される。コンサートで機材トラブルに見舞われ、戸惑う観客の前でマイクを置いたミィナがアカペラで歌い上げるシーンは圧巻。
「その正統派アイドルがヒーローになって悪い奴らを倒す姿がもう……しかも肉弾戦……痺れます……!」
 ヒーロー時のミィナは素性がバレないよう顔を隠し男装しているため、その姿に心奪われる乙女も多い。この少女もそのうちの一人。ましてや初恋の相手だなんて、恥ずかしくて言えやしない。
「ギャップとかもう……ズルいんですよ……」
「ヒヒ……わかります……!」
 拳を固く握り、熱く語り合うふたり。いつの間にやら打ち解けている。話し相手のいないサキは、同じ好きなものの話ができて嬉しくて仕方がない。
「あ、あれも好きです。あの、なんでしたっけ? えーと、戦闘機パイロットの……」
「ああ~! あれはダメだよ、駄作駄作!」と、恥ずかしげに笑いながら手を振って否定する。
「いいえ、ホノカ先生の作品に駄作なんてないですから!」
「言ってくれますねぇ~」
 朗らかに話していた男性は突然、かしこまるように姿勢を正すとサキと向き直った。
「じゃあ、もしさ、もしね、もしもの話だけど……、ミィナの他にふたり足してユニットを作るとしたら、僕が描いたこのキャラクターの中で、どの子がいいですか?」
「ユニット、ですか……」
 もう一度スケッチブックを眺める。どのキャラクターも可愛くて、個性が際立っていて魅力的。
 ミィナの両隣に並ぶとしたら……と、描かれた女の子たちを頭の中で動かしてみる。そうやって何度もイメージするが、サキには選ぶことができなかった。
「すみません。どれもあまりしっくりこないです……」
「どうしてそう思われましたか?」
 否定したにもかかわらず、なぜか瞳を輝かせて前のめりに聞いてくる男性に驚いて、サキは少しだけ身を引いた。
「あ……わたしは、ミィナがアイドルのときもヒーローのときも、誰の力も借りずボロボロになっても、たったひとりで戦う、その姿がかっこいいなぁって思うんです。なので、わたしにはユニットとか考えられないです……」
「……ありがとう……僕もう泣きそうだ……」
 眼鏡を外し目元を拭う仕草をすると、突然の涙にオロオロするサキの手を取り強く握りしめた。
「嬉しいついでにこっそり教えちゃう。ミィナ、今度アニメになるんです」
「えっ! え、そうなんですか!?」
「まだ詳しくは決まってないので、秘密にしてくださいね」
 口元に人差し指をそえ、ウインクをかます。
「僕のせいでおじゃんになっちゃうかもしれないけど……」と続けたが、「アニメ……ミィナが動くんですね……ミィナが……」興奮するサキの耳には届いていないようだ。
「アニメになったら、シアンくんのファン増えそう……」
“シアンくん”とは、同作に登場するロシアンブルーの男の子で、2人組アイドルユニットのひとりで立ち位置は向かって右。実はミィナと同じく正体を隠しヒーロー(?)活動を行っている。アイドル時はミィナと挨拶を交わす程度で、ヒーロー時は単独行動を好むミィナとは相性が悪いが、ピンチのときは互いに助け合う仲でもある。そんなふたりの恋の雰囲気を匂わせる場面が何度か訪れるも、一向に発展しないところもサキが惹かれる要因の一つでもあった。
「お嬢さんはシアン推し?」
「いえ、ミィナです!」
 威勢良く答える姿に男性は声を出して優しく笑った。
「愚問でしたね。話していてそう感じてました」
 サキは熱が入り火照ってしまう頬に両手を添える。
「ミィナってホンットにかっこいいですよね……霹靂刺す秋風の巻の、ミィナの無双シーン……映像になったらもう……わたし堪えられないかもしれないです……」
「うわあ! そうなんですよ! 僕もそのシーン、期待してるんですよお!」
「あの巻はすごいですよね! いつものコメディ調と思わせといて、シリアス展開ですもん。でもバトルシーンの後の話は、今も怖くて読めないんですよね……」
「うん、あれはツラいからね。僕もあのシーンは慎重に」
 勢いよくドアが開いた。その人は少し苛立った様子で男性に向かってズカズカと歩いてくる。
「先生! やっと見つけましたよ、さあ早く部屋に戻ってください!」
「アララー、見ツカッテシマッター」と、男性のあからさまな棒読み。
 突然の出来事にキョトンとするサキに、ゆっくりと立ち上がった男性は言う。
「僕、この成光くんとかくれんぼをしていてね、ここに隠れていたんだ。でも見つかっちゃった」
「なにがかくれんぼですか、早く戻りますよ!」
 腕を引っ張る成光を「ちょっと待って」と引き戻す。
「成光くん。こちらのお嬢さん、ミィナの相当な大ファン!」
 男性が、困惑する少女に向かって手のひらを差し出して紹介すると、少女にちらりと目を向けた成光は苦い顔で大きなため息をついた。
「……わかってますよね?」
「もちろん。だから、お嬢さんに、」
 サキからスケッチブックを受け取ると、その一枚をビリビリと剥がす。
「僕のつたない絵でよければ、もらってくれますか?」
 サキに差し出したその絵は、さっき見せてもらったあの、かわいい女の子がたくさん描かれた魅惑の世界だった。
「いいんですか!?」
「うん、それもう必要ないから」
 笑顔で手渡す男性に今度は成光が聞き返す。
「……いいんですか?」
「うん、いらないんだ。もう一度話してみようと思ってね。だから、成光くんもよろしく頼むよ!」
「……仕方がないですね。私も先生の意向は重々理解していますから」
「ありがとう」
 イラストに興奮するサキの横で、ふたりはかたい握手を交わした。
「今日ここで、お嬢さんと出会えてよかったぁ。いやぁ~僕ね、この人にずぅっと監禁されててさぁ~」
「語弊です、訂正してください」
「でも、お嬢さんのおかげで、久々に楽しい時間を過ごせました。ありがとうございます」
「いえ! わたしもです……!」
「それでは私はこれで失礼いたします。早く戻らないと彼の怒りの鉄拳が降ってきますから」
「先生!」
「オーコワイコワイ」と笑いかける男性に釣られて笑うサキは、手を振って出ていく背中を慌てて呼び止めた。
「あ、あの! お名前聞いてもいいですか……?」
「僕? んー……僕の名前はミナトホノカ」
 先頭を行く成光がギョッとして振り向く。唖然とするサキ。男性は頭の後ろに手を回し、笑った。
「なーんて! 名乗るほどの者ではございません。僕は、お嬢さんと同じ、彼女の大ファンですよ。ただそれだけです」
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