林檎の蕾

八木反芻

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よん『重度の微熱と甘え下手な絆創膏』

4 弱くて熱い手

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 迷子になりかけていたサキは、ミネラルウォーターの入ったペットボトルを3本抱え、ドアノブ上部のセンサーにカードキーをかざす。

 ──……カチッ──

 赤いランプが緑へ変わり無事解錠。
「ただいま戻りましたー……?」
 部屋に入ったサキは不思議そうに辺りを見渡した。ハルの姿が見当たらないのだ。ペットボトルを窓際のテーブルへ置き、膨らみのないベッドを覗いてみたが、やはりいない。
 ふと、シャワーの音が聞こえた。
(お風呂かな? ……)
 サキはなんだか嫌な予感がして洗面室へ向う。
 ドアに耳を当て様子をうかがうと、微かに水が噴出する音が聞こえて、ノックしてみた。
「ハルさん、わたしです。お水買ってきました」
 が、返事がない。
 鍵はかかっておらず、サキはドアノブに手をかける。
「……ハルさん? いますか?」
 やはり返事がない。
 室内を見ても、いるとしたらここぐらいしかなく、あの様子で部屋を出ていくとも思えなかった。
「入ってもいいですか? ……入りますよ?」
 胸のざわつきを感じながらサキは返答を待たずにドアを押す。
「失礼します……ハルさん!?」
 見開くサキの瞳に、裸でうずくまるハルの姿が映った。
 慌てて近寄るサキ。ハルの体はまたも震えている。
「大丈夫ですか!?」
 ハルの肌は濡れていて、サキは急いでバスタオルをかけると背中をさすった。
 それでも寒そうにしているハルにありったけのタオルをかける。
「寒いですか?」
「……あぁ……」
 ハルはノッソリと体を起こす。
 おもむろに伸ばしたハルの手は、憂わしげな表情をする彼女の頬に触れ、
(え……?)
 その手が肩へ落ちると、自ら体を寄せ、抱きついた。
「……ハルさん……?」
 紅潮し困惑するサキをよそに、そのまま力なくグワリと倒れ込み小さな体にのしかかった。
(ぐわっ……おもいぃ……!)
 あまりの圧迫感に息苦しさを感じ恥ずかしいとかそれどころではない。下敷きになったサキはハルの体を必死に叩き起こそうとした。
「しっかりしてくださいっ!」
 ハルは聞いてくれず、いくら叩いても起き上がらない。
(まさか、死んでる!?)
 そんなわけない。ハルはあまりの眠気にその場で眠ろうとしていた。
「ううう嘘でしょ!? こんなところで寝たら悪化しますよ! ちゃんと服着ないと! ちゃんと……ふく……?」
 裸を意識しだしたサキの顔は一気に茹でダコ。
 サキは力のない体を必死に押し、這い出ようと体をくねらせたが、
「ハッ……」
 下腹部に当たる柔らかなモノを感じてソッと動きを止めた。
(どうしよう……)
 ここで寝ようとしているこの人のためにも、なんとしてでも起こさなければならない。
(どうしたら……)
 意識遠のくハルの耳にすすり泣く声が届く。ハルはうっすらとまぶたを開いた。
「がんばってっ……起きて……くだっふぁいぃ~……!」
 腹部にか弱い圧力を感じたハルはヨロヨロと上半身を起こした。ぼやけた視界に映る少女は服の袖で目元を拭っている。
「ちょっと待っててください」
 そう言うとサキは部屋を飛び出た。そしてすぐ戻ってくる。その手にルームウェアを抱えて。
 正座して力なくグデンとこうべを垂れているハルに、サキは目を逸らしながらルームウェアを差し出した。
「あの、着替えられますか?」
 サキから受け取り「んー」と返事をしたものの、ハルはルームウェアを膝へ乗せたまま動かない。
「もぉ~……!」
 もどかしさが口に出てしまう。仕方なく上は着させることにした。
 まずは羽織っているバスタオルを腰元へ移動させる。
(これでよし!)と思いつつも、細身ながらもしっかりと筋肉がついたハルの体に、顔はドンドン火照っていく。色々と考えないように意識を別の方へ飛ばすサキ。
 袖に腕を通すときは微力ながらも協力してくれた。
「ふぅ……」
 なんとかすべてのボタンをかけ終えたサキは、あからさまに息をつく。
(あとは……)
 恥じらいながら顔を背けるサキはパンツを突き出し、
「……せっ、せめて……あの……パンツは、ご自分で……」
 受け取ったことを確認すると、素早く背を向ける。
 十数秒後、布が擦れる音が止まった。
「……履きました?」
「はい……」
 言葉を信用していないサキはおじおじしながら視線を向けたが、ちゃんと履いていた。
「立てますか?」
 立ち上がろうと前屈みに倒れるハルの体を支え、ベッドまで運ぼうとするも、
「あんたはここで寝なさい。俺はあっちで寝る……」
 と、ハルはソファへ行こうとするから、
「私のことはいいですから、病人はちゃんと布団で寝てくださいっおりゃ!」
 阻止しようとサキはハルの背中に手を伸ばし強引に引っ張った。
「うッ……」
 いきなり服を引っ張られ、その反動で腹部が圧迫されたハルは吐きそうになって、
「ちょえっ」
 腰をかがめ後ずさりするハルの体がグラつく。迫り来る背中に足を取られたサキは瞬間的に目をつぶった。
「うぎゃっ!」

 ──ドサッ──


「……アグレッシブだな……大丈夫か?」
「っ……はい……」
 目の違和感にまばたきしながらゆっくりと顔を上げると、目の前にハルの顔が。
「ハッ」
 気づけばハルをベッドへ押し倒す形に……と、彼女は勘違いしているが実際は、倒れるサキを押し潰してしまいそうだったハルは、サキを抱えとっさに体をひねりベッドへ倒れ込んだのだ。
 息を飲むサキの体は硬直し、ハルの目を見つめたまま動けなくなっていた。
 すると、サキを支えるように背中に置かれたハルの手のひらが腰へ流れ、そして……、
「……ぬぁああ! ごめんなさい!」
 彼女は慌てて起き上がった。
 ベッドを飛び降りたサキは平静を装うようにハルを睨み付けビシッと指差す。
「今度こそぉ、安静にしてくださいよぉ!」
 そう言って、クルリと背を向ける。
 思わぬハプニングの連続に、少女の心臓は今にも破裂しそうなほどバクついている。
(もうもたないよ……うう~……)
 小さな胸に当てた手を頬へ移した。いつも冷たいはずの指先まで火照ってしまい、これでは意味がない。
 必死になだめるその様子を薄目で見つめていたハルは、軽くあくびをして布団に潜った。
「ふぅ」
 サキは一呼吸置いてハルへ視線を戻した。彼は頭まで布団を被っている。忍び足で近づき覗いてみるが、眠っている様子はなく、サキは話かけた。
「食欲はありますか?」
「……ない」
「そうですか。でもなにか栄養のとれるもの、あった方がいいですよね」
 と、ハルの下から離れようとするとハルは布団から顔を半分出しサキへ目を向けた。
「どこ、行くんだ……?」
「下のコンビニ見てきます。栄養ドリンクとかゼリーとか、手軽な物買ってきますね」
「行くな」
「え?」
「行かなくていい……」
「でも」
 不意に服の裾が引っ張られた。見るとハルの手がそこにあった。布団から少しだけ覗かせるその手は弱々しく、サキはちょっとだけ愛おしい気持ちになってしまった。
(あぁ……これは良くない……)
 そう思って感情を飲み込んだ。なのに、
「えっと……では、薬持ってきますね」
「どこにも行くな……!」
 思わぬ言葉にサキは立ちすくむ。
(なんで……そんなこと、言うの……?)
 それはきっと単純な言葉。
 揺れる思いに胸がギュウッと締め付けられる。
 思えば思うほど、必死に抑え込んだはずの危うい感情がまた溢れてしまいそうで、サキは顔を背けた。
「……部屋からは出ません。ハルさんが、病院でもらった薬を、持ってくるだけですから……」
 単調な声で言うサキの指差す先を見て、安心したのかハルの掴む力が緩む。そして、上体を起こすハルから逃げるようにサキはソッと離れた。
 ワークデスクの上に置かれた薬と、テーブルに置いたペットボトルの水を用意しているとき、背中に視線を感じていた。気のせいかもしれないが、すこしばかり動きが鈍くなる。 
 サキは目を下へ逸らしながら、薬とキャップを開けた水を渡す。
「……あとはゆっくり寝てください」
 少女の心憂さに気づくことなく、ハルはおとなしく目を閉じた。


(……忘れてた!)
 明かりを落とした薄暗い部屋の中、サキはシャワーを止めに走る。ドアを開けると熱い湯気が少女に襲いかかった。
「ぅあっつ!」
 バスルームはサウナ状態。モワモワと立ち込める湯気に一瞬で汗だくになってしまったサキは、すぐさまレバーをひねった。
「ふぅ……」
 手で汗を拭うが拭いきれない。サキは床に落ちているタオルへ手を伸ばした。すべてのタオルをハルの背中へ投げつけたため未使用のものはない。一応躊躇はしたが、それで拭いた。感情はないことにしながら。
 汗を拭ったサキは脱ぎ捨てられたスーツやシャツへ目を向ける。
 せっかくの綺麗なスーツなのにもったいない。
 スラックスを持ち上げると、ポケットから赤い破片が落ちた。
(なんだろう?)
 それを手にとってみると、
(……血?)
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